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2015年2月

2015年2月 6日 (金)

定善を実践する必要も気もない韋提希が、定善を実践したと思い込んでいる高森顕徹会長

高森顕徹会長は、自分の誕生日を祝ってもらうことを嫌います。それは、自分が年をとったと思いたくないからです。高森会長の言う絶対の幸福とは、この程度のものです。

ところで、アニメバス基地なるものの金集めが会員の間で話題になっています。100万円以上で表彰、200万円以上で壇上での表彰ということで、名誉欲をかきたてての金集めに必死です。全国の会館の建設目的は、逼迫する台所事情から出た苦肉の策で、実際の建設費以上に会員からの献金をさせることでした。結果は、それなりに思惑通りとなったようですが、それにしても無限に会館を建て続ける訳にもいかず、今度は地元ではなく本拠地近くへの箱物建設となっただけのことです。将来の展望や需要など関係ないことです。

さて、献金について語られる際に善の勧めが必要不可欠ですが、その根拠が釈尊による韋提希への善の勧め、という迷信です。釈尊が韋提希に定善の実践を勧められたという事実はありません。

『観無量寿経』で定善を説かれる直前に、

仏、韋提希に告げたまはく、「なんぢはこれ凡夫なり。心想羸劣にして、いまだ天眼を得ざれば、遠く観ることあたはず。諸仏如来に異の方便ましまして、なんぢをして見ることを得しむ」と。ときに韋提希、仏にまうしてまうさく、「世尊、わがごときは、いま仏力をもつてのゆゑにかの国土を見る。もし仏滅後のもろもろの衆生等、濁悪不善にして五苦に逼められん。いかんしてか、まさに阿弥陀仏の極楽世界を見たてまつるべき」と。

(現代語訳)

さらに釈尊は韋提希に仰せになった。
「そなたは愚かな人間で、力が劣っており、まだ天眼通を得ていないから、はるか遠くを見とおすことができない。しかし仏には特別な手だてがあって、そなたにも極楽世界を見させることができるのである」
そのとき韋提希が釈尊に申しあげた。
「世尊、わたしは今、仏のお力によってその世界を見ることができます。でも、世尊が世を去られた後の世の人々は、さまざまな悪い行いをして善い行いをすることがなく、多く苦しみに責められることでしょう。そういう人たちは、いったいどうすれば阿弥陀仏の極楽世界を見ることができるでしょうか」

とあります。簡単にいえば、釈尊は韋提希に浄土を見せられたが、韋提希が自分の力で浄土を見ることはできないので、韋提希は釈尊入滅後の衆生のことを心配して、浄土を見る方法を釈尊に教えてほしいと請うた、ということです。もっと端的にいえば、韋提希はすでに浄土を見ているので定善をする必要もなく、またできるとも最初から思っていないが、定善の方法だけを釈尊から教えて頂いただけのことです。

要するに韋提希は定善の実践など試みてはいないのです。

この程度のことも知らないのですが、また私のことをこのように非難するでしょう。

飛雲は難しい根拠で煙に巻いているだけだ

難しくもなんともなく、高森会長が『観無量寿経』を読んだことがない、読む気もない、読む能力もない、ただそれだけのことです。

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