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2015年1月18日 (日)

高森顕徹流因果の道理という迷信

現世利益をちらつかせながら、因果の道理で会員の繋ぎとめ、一般の人の取り込みに躍起になっているのが、現在の親鸞会です。「光に向かえば影がついてくる」は、大沼師からのパクリですが、高森顕徹会長の教えと指示の通りに従えば、親鸞会で言う相対の幸福も得られる、と会員に信じ込ませています。
もちろん、これも迷信です。
親鸞聖人が教えられている因果の道理とは、報土の因果の道理であって、世間の因果の道理ではありません。ましてや、親鸞聖人の教えを真面目に信じ求めたら、相対の幸福が得られるかという話は、親鸞聖人には全くありません。親鸞聖人が相対の幸福に恵まれた方であったのかどうかを少し考えてみれば、誰でも迷信に気が付くと思います。

親鸞聖人は報土の因果を、本願力回向で説明なされました。『教行信証』信巻

しかれば、もしは行、もしは信、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまふところにあらざることあることなし。因なくして他の因のあるにはあらざるなりと、知るべし。

(現代語訳)

このようなわけであるから、往生の行も信も、すべて阿弥陀仏の清らかな願心より与えてくださったものである。如来より与えられた行信が往生成仏の因であって、それ以外に因があるのではない。よく知るがよい

この御言葉は、『浄土文類聚鈔』にもあります。

親鸞聖人が教えられた因果の道理とは、衆生が報土往生する因は、100%阿弥陀仏が用意なされたものであるということです。ですから、私の方で何かを付け加えることは不要ですし、付け加えようとすること自体が間違いになるのです。

蓮如上人が「金をほりいだすやうなる聖教なり」とまで絶賛された『安心決定鈔』にも

まことに往生せんとおもはば、衆生こそ願をもおこし行をもはげむべきに、願行は菩薩のところにはげみて、感果はわれらがところに成ず。世間・出世の因果のことわりに超異せり。和尚(善導)はこれを「別異の弘願」とほめたまへり。衆生にかはりて願行を成ずること、常没の衆生をさきとして善人におよぶまで、一衆生のうへにもおよばざるところあらば、大悲の願満足すべからず。面々衆生の機ごとに願行成就せしとき、仏は正覚を成じ、凡夫は往生せしなり。

とあります。世間の因果の道理と聖道門の因果の道理に超越し異なった因果の道理だということです。

親鸞聖人は『正像末和讃』

罪福信ずる行者は
 仏智の不思議をうたがひて
 疑城胎宮にとどまれば
 三宝にはなれたてまつる

と仰っているように、世間・出世の因果と報土の因果とを同一視していることを疑心と仰っているのですから、高森会長の教えは疑心の教えであり、報土往生を完全に妨げる教えです。

この最も重要な要の中の要の教えを捻じ曲げて、宿善だの三願転入だの光に向かへと言って世間的な因果の道理と結びつけて、金集め、人集めを強要しているのが、親鸞会です。

大根の種を蒔いたら、大根の芽しか出てこないし、スイカの種を蒔いたら、スイカの芽しか出てきません。珍しくまともな高森会長の理論ですが、それなら、相対の幸福の芽は、相対の幸福の種を蒔かないと出てきません。
具体的に言えば、お金を儲けるにはお金を儲ける努力をすることです。お金を儲けるにもいろいろありまして、大金持ちになるにはコンビニで24時間365日バイトしてもできません。大金持ちになるためにはたとえば事業を起すとか別の方法や違う努力をしなければなりません。ましてや親鸞会の活動をして多額の献金をしたことが因となってお金持ちになれることがありますか。それこそ、大根の種を蒔いてスイカをとろうと期待すること以上に愚かな思考です。
もっと言えば、”真実のため”という名目で反社会的な活動や卑怯な宣伝活動、嘘をついて、相対の幸福が得られると思っているなら、カルト宗教の信者そのものでしょう。

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コメント

親鸞会が言う、絶対の幸福どころか 相対の幸福も 得られないのが 会長の教えです。自分の欲望と引き替えに会員を必堕無間にしようとする悪魔の挑戦であり 真宗史上最も恥ずかしい極悪知識です。

投稿: 愚愚流 | 2015年1月19日 (月) 19時44分

会にいた頃の疑問

・会に財施して相対の幸福が帰ってくるなら、出す代わりにすぐ使った方がてっとり早いのでは。また、いつ帰ってくるのか。
・獲信のための善のすすめがあるのに、仕事や勉強などに努力しても宿善にはならないようだ。
・善をしたら獲信は早くなるのか。
ならないならする意味がない。早くなるなら善が役に立っているではないか。
・「人生が充実する教え」のはずなのに、心は暗くなるばかり。
・学ぶことがなくなったが、会の外の仏教書を読んだり会長のしない話をしたらまずい空気がある。それでは他門、他宗、他宗教の人を納得させることはできないだろう。
世界中に広めようと言っていることと合わない。

なんのことはない。「教えもトップもニセモノだった」それだけで殆どの矛盾は解消する。
疑問を持ち続けていてよかった。

投稿: | 2015年1月20日 (火) 02時12分

少々長文になりますが御容赦下さい。

私は以前、こちらのコメント欄で「高森流因果の道理」の真相について尋ねたことがありましたが、改めて考えるとやっぱりおかしいと思えます。何故なら、本当に「自因自果」で、私が救われるとしたら、その因は結局私自身にある…、という事になってしまうでしょう。これでは「全人類は必堕無間の極悪人」ということにならないのでは?と思えたのです。…本当にあの会の教義は突き詰めると矛盾だらけのようです…(組織の腐敗や反社会的行為を知った時よりも教義の破綻を知った時の方が私としてはショックが大きかったです。「『浄土真宗親鸞会』なんて立派な名前を名乗っておきながらこんなものか」なんて)。
この「高森流因果の道理」のおかしさを、前にも述べたように私も自分だけではなかなか分からず、それで飛雲さんに御教示を頂いたりしたのですが、これを間違いと思えないが故に会の呪縛に苦しんでいる元会員さん達も多いでしょう。この「高森流因果の道理」プラス「必堕無間」の呪縛に…。加えて(これも前述しましたが)会で苦しみ、絶望させられたあまりに真宗や親鸞聖人を、ひいては仏教そのものまで誹謗するようになってしまった人達も少なからずいるようですし(もっとも、単なる荒らし目的でコメントしている人ももちろんいるでしょうが…)、全くもって会長達の罪は深いと思えます。「法を壊つ者」とは彼らのことだと(でも高森会長は「本願寺や華光会に行かれるよりはましだ」とか思ってそうですが)…。

投稿: あずきあらい | 2015年1月25日 (日) 01時43分

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