高森顕徹会長が刷り込む迷信
親鸞会では、多くの迷信が蔓延っていますが、最も根深いものが、
善に励んで宿善が厚くならなければ信心決定できない
あるいは、
善をしなければ信仰が進まない
というものです。
人によって信心決定する時期が異なることから、退会後もこのような迷いに陥る人が意外に多いのですが、語弊を恐れずに敢えて言えば、逆です。
善に励んできた人程、または親鸞会で他の会員よりも活動をしてきた人程、信心決定しにくい傾向にあります。
その理由は、善に励むことができる人は、自力に拘るからです。自分のやってきたことが宿善になる、信仰にプラスになるという思いが強いと、どうしても自力を捨てにくくなります。
このことを端的に表現されているのが『歎異抄』第3条の
善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。
です。この「善人」とは、善に励んでいる人のことです。「悪人」は善をする気の無い人のことです。会員で幹部の人は「善人」と言ってもよいかもしれません。幽霊会員は「悪人」と言えるでしょう。
つまり、幹部会員でさえ往生できるのなら、幽霊会員は尚更往生できることになりますから、上記のことを裏付ける根拠にもなるのです。
「悪人」とは全人類のことで、「善人」とは自分が「悪人」と思えず「善人」と自惚れている人のことだ
とか、これまたお目出度いことを親鸞会は言いますが、このことを覚如上人は『口伝鈔』第19条に法然上人、親鸞聖人、如信上人からの口伝として、
これも悪凡夫を本として、善凡夫をかたはらにかねたり。かるがゆゑに傍機たる善凡夫、なほ往生せば、もつぱら正機たる悪凡夫、いかでか往生せざらん。しかれば善人なほもつて往生す、いかにいはんや悪人をやといふべし
と紹介なされています。
凡夫に「善凡夫」と「悪凡夫」という二種類の人が存在していて、阿弥陀仏の18願は、「善凡夫」を「傍機」とし、「悪凡夫」を「正機」となされていると明言なされてきたことになります。
もう一度会員に当て填めてみると、阿弥陀仏の18願は、
幹部会員を「傍機」とし、幽霊会員を「正機」となされているのですから、幹部会員、元幹部会員よりも、幽霊会員や元幽霊会員だった人の方が、早く信心決定するのは、当然とも言えます。
もちろん、幹部会員や元幹部会員でも、「自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり」ですから、自力の行である善に拘ることをきっぱり捨てることです。
宿善が厚くならなければ、とか、これだけ善に励んできたから他の人よりも信仰が進んでいる、とかいう迷信を直ちに捨てれば、他力をたのむことができます。
高森顕徹会長の刷り込みは、かなり巧妙です。しかし、高森顕徹会長の話で、まともなところはほとんどありませんので、すべてが間違っていると思う所から、親鸞聖人の教えを聞き直すのがよいと思います。
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コメント
何十年も同じ話を聞いてきて助からんのに、いい加減気づかなあかんよ会員さんたち。
聞いてるあんたが悪いんやない、説いてるあの人が悪いんやて。あんたら皆んな真面目やからね、「助からんのは自分の聞き方が悪いからや」と思てまうんやろけど、それが間違いなんや。何十年聞いて助けんような仏さんとは違いまっせ阿弥陀様は。
高森さんが仏の正意を間違うから、仏さんも助けようにも助けられんのやで。
飛雲さんの言うように「高森さんではあかんな」と、まずは捨ててからが本当の阿弥陀様との対面やね。
投稿: | 2015年1月12日 (月) 03時45分
親鸞会のアニメ4部では弁円信者の兵右衛門が甚作の誘いによって、弁円から「邪教だ」と聞かされていた親鸞聖人の法話に参詣しました。
「善知識は高森先生以外いない」と聞かされている会員さんもこれを見習って、いろんな人の法話を聞いてみられては如何でしょうか。
投稿: | 2015年1月12日 (月) 22時49分
会員や講師の皆さん、飛雲さんに反論出来なかったらあなた方は自分達の正当性を永久に証明できませんよ?親鸞会の正邪は教えのみによって判断されるべきではないのですか?
と、強く思いました。
投稿: | 2015年1月12日 (月) 22時54分
皆さんの仰るとおりです。会を離れたのは活動が辛い訳じゃない。教えが可笑しいからです。
投稿: | 2015年1月13日 (火) 20時13分
親鸞会の親友部員のみなさん
毎日ごくろうさまです。安月給でたくさん働いて本当にえらいなあと思います。
残業代も出ないのに、休みも返上して働くのは、もちろん信心決定のため、ですよね。
給料と働いた時間の差が大きければ大きいほど、宿善がたまるという理屈でしょうか。
高森さんは講話の中でよく「働いたのに給料もらえなかったら誰が働きますか?」と因果の道理を説きますが、働いた分さえ払わないでおいて、よく言いますよねー。
まあでもその分は宿善となって、今生では間に合わなくとも、来世ではきっと信心決定できると思って頑張っているんですね、みなさん。
でももしどんなに働いたかと、信心決定が無関係だったら・・・、どうしましょうね。
それでもまだ残業しますか、みなさん。
阿弥陀様はどう仰ってますか。18願をよくみてみましょうね。ではでは。
投稿: | 2015年1月14日 (水) 06時41分