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2014年12月16日 (火)

日本語の能力が著しく欠けている高森顕徹会長の珍釈

12月1日号の顕正新聞の論説に「極重の悪人は唯仏を称すべし」(正信偈)についての珍釈が載っています。

「私は煩悩具足の凡夫であった」と、自己の真実が知らされると同時に、そんな極悪人を無条件で救う本願に疑い晴れ、念仏称えずにおれない身になった人のことを、源信僧都は「極重の悪人は唯、念仏を称えなさい」と言われているのである。
「私が極悪人なものか、アイツよりはマシだ」とうぬぼれ、自分を善のカケラもない煩悩具足の巨魁とは少しも思っていない者に、「念仏を称えさえすれば、誰でも死んだら極楽だ」と仰ったのではない。

読者の皆さんなら、間違いをすぐに指摘できると思いますが、高森顕徹会長の珍しき法しか聞いたことが無い会員には、おかしなところが判らないかもしれません。

まず、日本語が少しでも理解できるのならば、「極重の悪人は唯仏を称すべし」は、親鸞会が否定する「念仏を称えさえすれば、誰でも死んだら極楽だ」という意味になります。親鸞会では日本語をまともに使えないので、こんなおかしなことを平気でいうのです。親鸞聖人の教えられたことを正確に言うならば、「念仏を称えさえすれば、誰でも死んだら報土か化土だ」ということになります。根拠は沢山ありますが、たとえば『浄土和讃』の一番最初の

弥陀の名号となへつつ
 信心まことにうるひとは
 憶念の心つねにして
 仏恩報ずるおもひあり

誓願不思議をうたがひて
 御名を称する往生は
 宮殿のうちに五百歳
 むなしくすぐとぞときたまふ

信心を獲た念仏は報土、信心を獲ていない念仏は化土と親鸞聖人は明言されています。

次に「煩悩具足の凡夫」と「極重の悪人」とは、意味が違います。2つの関係を判りやすく言えば、「煩悩具足の凡夫」の中に「極重の悪人」に分類される人がいると言うことです。嘘だと思う会員のために根拠を挙げておきます。蓮如上人の書かれた『正信偈大意』

「善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪」といふは、浄土門の祖師その数これおほしといへども、善導にかぎり独り仏証をこうて、あやまりなく仏の正意を明かしたまへり。されば定散の機をも五逆の機をも、もらさずあはれみたまひけりといふこころなり。

五逆の機」(=「極重の悪人」)とは別に「定散の機」があります。言うまでもありませんが、「もらさずあはれみたまひけり」ですから、「五逆の機」も「定散の機」も共に信前の機です。
本願に疑い晴れ、念仏称えずにおれない身になった人のこと」を「極重の悪人」と言うような愚かな解釈ができる筈もありません。

同様に「自分を善のカケラもない煩悩具足の巨魁とは少しも思っていない者」も、大きな勘違いです。これも「煩悩具足の凡夫」の中に「極重の悪人」のような「善のカケラもない」者がいるのですが、一方で善のできる「定散の機」もいます。

まとめると、「極重の悪人は唯仏を称すべし」とは、善のできない「極重の悪人」は唯念仏しか往生の道はない、ということです。

今回は簡単な説明をしておきましたが、次回は「極重の悪人は唯仏を称すべし」の御言葉自体の解説を根拠を基にします。それは、根拠のない妄想珍釈の高森会長との違いをはっきりさせるためです。

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唯念仏」カテゴリの記事

コメント

高森教学はホントに根拠が希薄ですよね…聖教の根拠は無視して高森会長の珍説をしっかり覚えている人が教学力のある人として認められている。。おかしいよ

投稿: | 2014年12月17日 (水) 16時00分

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