高森顕徹会長の知らない雑行のイロハ
五雑行はものがらが悪いから捨てよ、諸善万行はものがらはよいが心がけが悪いからその悪い心がけを捨てよ
という頓珍漢なことを言っているのが、高森顕徹会長です。この言葉だけ見ても、高森会長の無知がハッキリ判ります。
高森会長の妄言しか知らない会員の為に、雑行のイロハを根拠を基に説明します。
親鸞聖人は『教行信証』化土巻・雑行釈で
それ雑行・雑修、その言一つにして、その意これ異なり。雑の言において万行を摂入す。五正行に対して五種の雑行あり。雑の言は、人・天・菩薩等の解行、雑せるがゆゑに雑といへり。もとより往生の因種にあらず、回心回向の善なり。ゆゑに浄土の雑行といふなり。
(現代語訳)
さて、雑行と雑修とは同じような言葉であるが、意味は違っている。雑という言葉には、すべての行をおさめてしまうのである。五種の正行に対しては、五種の雑行がある。この雑という言葉は、人間や神々に生れる行や菩薩の行などがさまざまにまじっているという意味で雑というのである。これはもとより阿弥陀仏の浄土に往生する因ではなく、浄土を願う心をおこし、これらの行を浄土往生のための善としなければならないから、浄土往生の行としては雑行というのである。
少し理解しづらいかもしれませんが、簡単に言えば、「もとより往生の因種にあらず」の善を「回心回向」したものを雑行というのです。つまり、往生とはもともと関係の無い善である聖道門で教えられる善(倫理道徳の善も含む)を、浄土往生の為と思ってしたならば、それが雑行になるのです。
これと同じことを仰ったのが、高森会長が善の勧めの根拠に利用している『浄土和讃』の
諸善万行ことごとく
至心発願せるゆゑに
往生浄土の方便の
善とならぬはなかりけり(現代語訳)
諸善万行は、 本来、 聖道門の行である。
けれども、 この行によって浄土往生を願わせたいと、 阿弥陀如来が至心発願の誓いをお立てくださったので、
浄土往生のための方便の
善とならないものはなかったのである。
この御和讃は善を勧められたのではなく、雑行の説明をされただけのことです。
会員は頭が混乱していると思いますので、別の根拠を挙げるなら、『選択本願念仏集』に
初めに往生の行相を明かすといふは、善導和尚の意によらば、往生の行多しといへども大きに分ちて二となす。一には正行、二には雑行なり。
(現代語訳)
初めに往生の行相を明かすというのは、善導和尚の意によると、往生の行は多いけれども大きく分けて二つとする。一つには正行、二つには雑行である。
如何でしょうか。雑行とは「往生の行」です。「往生の行」でないものは、雑行ではありません。
ここまでくれば、最初の妄言が妄言と理解できると思いますが、一応解説しますと、高森会長がものがらが悪いとして捨てよと言っている五雑行も、ものがらがよいと言っている諸善万行も、ものがらは同じ聖道門の行(倫理道徳の善を含む)なのです。具体的に言えば、さとりを求めて法華経を読誦すれば、それは聖道門の行であり雑行ではありません。しかし、往生のために法華経を読誦すれば雑行になります。さとりを求めて布施をすれば、それは聖道門の行であり雑行ではありません。しかし、往生のために布施をすれば雑行になります。
要するに、五雑行と諸善万行とは同じものがらで、諸善万行の中に五雑行と呼ばれる善行があるに過ぎません。
ここでもう少し思考を働かせれば、自らの意思でものがらの悪い五雑行を捨てるのですから、同様に自らの意思で同じく悪いものがらの諸善万行を捨てることができるのです。
ちなみに高森会長の言う「心がけが悪い」に当たるのが、「回心回向」「至心発願」です。つまり、往生の為に、という心がけです。この心がけを捨てたなら、五雑行も諸善万行も聖道門の行(倫理道徳の善を含む)になるのですから、18願での往生を願う行者は、往生とは無関係と思って倫理道徳の善に大いに励めば宜しいでしょう。
もし本気で往生したいと思うのなら、往生の為にと思って布施に励むことは直ちに止めましょう。
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コメント
初めて投稿致します。ここ数年幽霊会員から今年3月に無事に退会した者です。幽霊会員でいる間、飛雲様のサイトを始め多くの批判サイトを拝見して「やはり親鸞会はおかしい」と確信を深めさせて頂きました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
雑行については三願転入と同様に何回も教学講義で聞かされてきましたが、結局のところヘンテコドグマを刷り込ませるためだったのかと感じました。五雑行と諸善万行は並列と押し付けられていたのですが、諸善万行に五雑行が含まれていたのですね。これまた一撃必殺であり、コメントせずにおれなくなった次第です。
今は仏法聴聞している身ではなく信心頂いている身でもありませんが、常に念仏するよう心掛けさせて頂いております。念仏の大切さを教えて頂き有難うございます。及ばずながら応援しておりますので、引き続き頑張って下さいませ。
南無阿弥陀仏
投稿: 元◯◯会長 | 2014年12月 4日 (木) 03時03分
元◯◯会長 様
コメント有難うございます。
雑行を捨てよ、とは正確に言えば、雑行と助業を捨てて念仏一行になれ、ということです。
法然上人はこのことを強調されたのですが、親鸞聖人は法然上人の教えを継承された上で更に踏み込まれて、
自力念仏を捨てて他力念仏に帰せよ、を強調されたのです。
親鸞会は、雑行の時点で落第ですから、高森会のいうことを信じていたなら救われることは永遠にありません。
投稿: 飛雲 | 2014年12月 6日 (土) 21時17分