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2014年11月13日 (木)

行と信心を混同させて金集め人集めを強要する高森顕徹会長

三願転入について再度確認しておきましょう。

19願--修善(行)+自力(信心)
20願--念仏(行)+自力(信心)
18願--念仏(行)+他力(信心)

18願と19願とは、行も信心も異なります。20願はその中間で、19願とは信心が同じで行が異なり、18願とは行が同じで信心が異なります。

親鸞会が拘っている

自力一杯求めなければ自力無功と知らされない

の自力とは、自力の心であり、自力の信心のことです。少し考えれば判りますが、「自力一杯求めなければ自力無功と知らされない」を言うのであれば、修善を命懸けで求めて結果的に自力無功と知らされるのではなく、念仏を自力の信心で命懸けで称えた結果として自力無功と知らされることになるはずです。

修善を捨てるには修善を命懸けでして、微塵の善もできないと知らされなければならない

と間の抜けた反論を親鸞会はしてくるでしょうが、修善を捨てた先には20願の念仏一行になるのです。

つまり、修善を命懸けでして微塵の善のできない者であった、と知らされたとしても、それが18願にはならないと言うことです。なぜなら三願転入を前提とするなら、微塵の善のできない者のために念仏を阿弥陀仏が御用意なされて、それを自力の信心で称えている段階の20願に移行するだけだからです。

『教行信証』化土巻・真門釈

まことに教は頓にして根は漸機なり。行は専にして心は間雑す。

(現代語訳)

まことに、名号はこの上ない功徳をまどかにそなえ、ただちにさとりに到る他力真実の法であるが、これを修めるものが、自力を離れることができず、速やかにさとりに到ることのできない衆生なのである。行は専すなわち念仏一行であるが、これを修める心は雑すなわち本願を疑う自力の心である。

とある通りです。

要するに、信心は自力と他力を自分では選べないとしても、行は修善と念仏を自分で選ぶことになるのです。
それでもまだ屁理屈を言うのなら、親鸞会の大好きな三願転入の文を良く見てましょう。

論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。善本徳本の真門に回入して、ひとへに難思往生の心を発しき。

19願を離れて20願への回入は、「論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて」です。阿弥陀仏のお力によりてではないのです。
善知識方が勧められる通り、修善を捨てて念仏一行を自らの意思で選ぶのです。信前の人は、その念仏一行に自力の信心と他力の信心の違いがあることに悩むのであって、行の段階で修善か念仏かと悩んでいるのなら、「論主の解義」を否定し、「宗師の勧化」に背いている者なのです。

自力の信心を捨てることと、修善という行を捨てることは、別のことなのですが、それを混同させて、金集め人集めを会員に強要しているのが高森顕徹会長であることをよくよく知るべきです。会員もうんざりしている度重なる「なんとかお布施」が、18願と何の関係がありますか。

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コメント

飛雲様いつもご教授ありがとうございます。
このエントリーを読み「なるほど」とまた納得、それにコメントしたいと思いながら忙しさに追われ日が過ぎてしまいました。
さて以前、高森会長側近のT大卒の講師から教えを聞く機会が多くあり三願転入についても質問したことがあります。
「アニメ世界の光 親鸞聖人第1部に親鸞聖人が獲信するシーンが描かれていますが、アニメではどこで親鸞聖人は19願から20願に回入されたのですか?」と。
そのとき講師は「19願から20願へは18願への転入のように水際が立たない」と返答されました。
当時私は高森会長側近の講師の言われることに間違いないと信じ込んでいたので、「19願から20願への回入はハッキリするものではない、だからアニメでもハッキリとは描いていないのだろう」と理解しました。
しかし今それは誤りであると考えます。今回のエントリーで解説されているように、親鸞聖人は「論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて」19願を離れて20願に回入されたということは、明らかに修善を捨てて念仏一行へと水際は立っています。
親鸞会で禁止する体験談を言えば、私は論主の解義・宗師の歓化を正しく解説する飛雲様のブログをよく読み、親鸞聖人の教えを曲解している高森会長の「宿善と聴聞と善のすすめ」に決別を決意し念仏一行を実践しました。これも水際が立っています。またその旨を支部長に話したところ、私はめでたく親鸞会を除名となりました。
いまだ親鸞会で「自力無効と知らされるまで高森会長の勧める善に励む」方々は、いつ20願に回入するのでしょうか?「臨終間際にはなんとかなれるのでは」とでも思っているのでしょうか?
よくよく飛雲様のブログを読み、七高僧・親鸞聖人どなたも勧められていない19願を捨て念仏一行と心を定めていただきたいと願うばかりです。長々と失礼しました。

投稿: どら焼き | 2014年12月31日 (水) 22時58分

どら焼き 様

仰るように20願は念仏一行になることです。諸善は自分の意思で捨てて、念仏一行を選ぶのですから、19願と20願とは、意識の上でも大きな違いがあります。
念仏一行の会員が増えると、金集め人集めを会員にさせることができませんから、このような苦しい言い訳をするしかないでしょう。

投稿: 飛雲 | 2015年1月 4日 (日) 07時25分

高森会長はいつも「三願転入」と声高に話しながらも、アニメでは親鸞聖人が「念仏一行」の20願に回入たシーンを描いていないので三願転入にはなっていない。しかも獲信のシーンは法然上人から無常観や罪悪感を責め立てられ、泣き崩れて・・・・・。あれ土蔵秘事がやることではないのですか?
また、私が聞いてきた会長の法話や座談会では、20願を詳しく解説した話を聞いたことはありません。よほど20願を避けたいのか、ご自身がそこを通った経験がないのか?と詮索してしまいます。

投稿: どら焼き | 2015年1月10日 (土) 18時30分

どら焼き 様

20願については、会員の時から私は疑問を持っていました。本当に20願を通るのかと。それと、会長は19願、20願を通ってきたのかという疑問もありました。
退会してから判りました。どちらも通っていないでしょう。

投稿: 飛雲 | 2015年1月11日 (日) 21時18分

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