お粗末な雑行詐欺を続けざるを得ない稀代の悪知識
親鸞会では、未だに雑行を強く勧めている頓珍漢な教義、というよりも、金集め人集めのための詐欺教義に徹しています。
10月1日号の顕正新聞には、雑行について
煙草のまない人に”煙草のむな”と言う人がいないように、”煙草を止めよ”、と言われるのは、煙草をのんでいる人にである。
同じく、雑行を棄てよ、と言われるのは、雑行をやっている人にである。
などと進歩も向上もない低レベルの詭弁を言い続けています。
高森顕徹会長の信者でなければ、こんな詭弁に引っ掛かる人はほとんどいないでしょうが、高森会長を唯一無二の善知識と信じ切っている会員は、この低レベルの詭弁を信じるより仕方がないのです。
これまで何度も何度も言ってきましたが、煙草のまない人にも”煙草のむな”と普通に言います。学生にも言いますし、喫煙習慣のない一般の人も含めて、煙草の害について説明して、”煙草を止めよ”と推進しています。
他の例を挙げれば、危険ドラッグを止めよ、と言われていますが、危険ドラッグを吸ってから止めよう、と思う愚か者はいません。
自殺を止めよ、と国挙げて言われていますが、それは自殺をした人に止めよ、と言われていると考えているなら、日本で普通に生活することは無理でしょう。自殺をする人が後を絶たないから、まだ自殺していない人に、自殺を止めよ、と言われるのです。当たり前過ぎる話です。
同じく、雑行をやっていない人に対しても、雑行を棄てよ、と言われます。
もし、私の言うことに反論したいのであれば、雑行をやっていない人にまず雑行をせよ、と教えられている歴代の善知識の御言葉を1つでも示せばいいのですが、それは絶対にできません。無いのですから。
前回のエントリーで書いた内容を再度掲示します。
19願--修善(行)+自力(信心)
20願--念仏(行)+自力(信心)
18願--念仏(行)+他力(信心)
雑行とは19願に属しますが、19願の外に聖道門があり、その外に外道があります。
高森詭弁通りなら、聖道門を棄てよ、と教えられますが、聖道門を信じ求めたことのない人は、まず聖道門を求めてから聖道門を棄てよ、です。
その前に、外道を棄てよ、と教えられますが、外道を信じたことのない人には、まず外道を信じてから外道を棄てよ、です。
しかし、外道も聖道門も信じ求めよとは、絶対に言わないことが、高森詭弁のお粗末さを表わしています。
行も信心も異なる19願雑行を問題にしていること自体、高森教義は、親鸞聖人の教えと対極の位置にあるのです。
実に簡単な理屈です。
振り込め詐欺よりも低レベルの詐欺師、稀代の悪知識に、いつまで騙され続ければ気が付くのでしょうか?
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