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2014年10月21日 (火)

釈尊が臨終の父王に念仏三昧を勧められたと言いながら、会員に諸善を強要する高森顕徹会長

『観無量寿経』の下品下生で臨終の極悪人に勧められているのは、念仏だけです。これは浄土門はもちろん聖道門でも、常識中の常識です。どんな屁理屈を捏ねても、善を勧められているお言葉は出しようがありません。
これとは少し違いますが、『教学聖典』にもこんな問答があります。

(問)
 念仏無間という狂人どもを破る根拠を三つ以上あげよ。

(答)
 ○勿論、一切経に出ていない言葉である。
 ○それどころか「汝好くこの語を持て、この語を
  持てとはすなわちこれ無量寿仏の名(念仏)を持
  てとなり」と観無量寿経にある。
 ○釈尊が臨終の父王に念仏三昧を勧められる訳が
  ない。                 (観仏三昧経)

問いがカルトそのものですが、それはおいておくとして、釈尊が臨終の父親に勧められたことは、諸善ではなく念仏であると親鸞会でも認めているのです。

この根拠は『教行信証』行巻にあります。

『安楽集』にいはく、「『観仏三昧経』にいはく、〈父の王を勧めて念仏三昧を行ぜしめたまふ。父の王、仏にまうさく、《仏地の果徳、真如実相、第一義空、なにによりてか弟子をしてこれを行ぜしめざる》と。仏、父の王に告げたまはく、《諸仏の果徳、無量深妙の境界、神通解脱まします。これ凡夫の所行の境界にあらざるがゆゑに、父の王を勧めて念仏三昧を行ぜしめたてまつる》と。

(現代語訳)

『安楽集』にいわれている。
『観仏三昧経』に、<世尊は、父である浄飯王に念仏三昧を修めるようにお勧めになった。父の王は世尊に、≪仏のさとりの徳は真如実相第一義空とのことでありますが、それを観ずる行を、どうして弟子であるわたしに教えてくださらないのですか≫とお尋ねした。
世尊は父の王に、≪仏がたのさとりの徳は、はかりがたい深い境地であり、仏は神通力や智慧をそなえておいでになります。これはとうてい凡夫が修めることのできる境地ではありません。そこで、父の王に念仏三昧を修めることをお勧めしたのです≫と仰せになった。

釈尊は、神通力もなく浅い智慧しかない父王に対して、念仏三昧だけを勧められ、観行を勧められることはされませんでした。

これが何を意味するかは、説明するまでもないことです。

父王は過去世の善根が厚いから念仏三昧を勧められた、とは書かれていません。理由は「凡夫の所行の境界にあらざるがゆゑに」ですから、過去世の善根の厚薄は無関係であることも、よく判ります。

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コメント

高森会長は、自分で自分の首を絞めることを言っているなんて、間抜けですね。
自分も、この問答に疑問を持っていました。善を勧められていないじゃないかとね。

投稿: ULTRA | 2014年10月23日 (木) 14時13分

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