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2014年9月15日 (月)

高森顕徹流宿善論は、みづから失し他を誤りて害をなすことこれはなはだし

天台大師が顕したと伝えられる『浄土十疑論』の

能臨終遇善知識十念成就者、皆是宿善業強、始得遇善知識十念成就。

について、善導大師はその誤りを正されています。親鸞会でも有名な『正信偈』の一文

善導独明仏正意

ですが、これが自分の首を絞める御言葉と知りません。
善導大師は、聖道門の言う宿善論の誤りを正された、つまり高森顕徹会長の宿善論を完全に否定されたのです。

会員には信じられないことでしょうから、具体的に御文を紹介しておきます。

五逆罪の者が臨終に念仏を10回称えて往生する、と説かれた『観無量寿経』下品下生の往生を、文面通りに受け取れなかった聖道門の諸師は、過去世における善業が強いが故に、善知識に遇って10回の念仏で往生を遂げたのだと解釈しました。そのことを『玄義分』の中で、下品下生を含む下輩について、当時の聖道門の解釈をまとめて以下のように仰っています。

下輩の三人はこれ大乗始学の凡夫なり。 過の軽重に随ひて分ちて三品となす。 ともに同じく一位にして往生を求願す

臨終に初めて往生を願ったのではなく、過去世から大乗を学び始めて往生を願っていた凡夫だという解釈です。

それに対して善導大師は反論なされました。

『玄義分』

次に下輩の三人を対せば、諸師のいふ、「これらの人はすなはちこれ大乗始学の凡夫なり。過の軽重に随ひて分ちて三品となす。いまだ道位にあらず。 階降を弁ちがたし」とは、まさに謂ふにしからず。なんとなれば、この三品の人、仏法・世俗の二種の善根あることなし。ただ悪を作ることを知るのみ。
(中略)
下品の三人はこれ悪に遇へる凡夫なり。悪業をもつてのゆゑなり。終りに臨みて善によりて、仏の願力に乗じてすなはち往生を得。かしこに到りて華開けてまさにはじめて発心す。なんぞこれ始学大乗の人といふことを得んや。

(現代語訳)

つぎに下輩の三種の人を対破するならば、他師らは、これらの人は大乗始学の十信位の凡夫であって、罪の軽重にしたがって三品に分けるが、まだ修行をしていないから、その上下を区別しがたいといっているが、そうではなかろうと思う。何となれば、この三種の人は、仏法につけ、世間につけ、いずれの善根もなく、ただ悪を作ることだけを知っている。
(中略)
下品の三種の人は悪縁に遇うた凡夫であって、悪業があるから、臨終に善知識により、弥陀の願力に乗託してすなわち往生することができ、かの国に至って華が開けて、そこで始めて菩提心をおこすのである。どうしてこれが大乗始学の十信位の人ということができようか。

と仰っています。

高森理論で言うところの”宿善の厚い者”は、「大乗始学の凡夫」「始学大乗の人」のことになり、これを善導大師は「なんぞこれ始学大乗の人といふことを得んや」と一刀両断に斬り捨てられています。
下品上生、下品中生、下品下生は、「この三品の人、仏法・世俗の二種の善根あることなし。ただ悪を作ることを知るのみ。」と明言なされていますので、過去世にも、仏道修行したことがないだけでなく、倫理道徳の善さえもしてこなかった、過去世の善根がない人のことです。過去世の善根がないのですから、高森理論では”無宿善の者”です。

要するに、高森理論での”無宿善の者”が、臨終の念仏のみで往生を遂げることを善導大師が断言なされて、それを「善導独明仏正意」と親鸞聖人が仰ったのです。ところが、そんなことさえ知らずに、聖道諸師と同じことを親鸞聖人が教えられたとか喚いているのが高森会長だということです。

この後善導大師は

もしこの見をなさば、みづから失し他を誤りて害をなすことこれはなはだし。

と続けられ、もし高森流宿善論に拘るなら、自らの利益を失い、他人を誤まらせ、害をなすことが甚だしい、とまで厳しく非難なされています。
それでもまだ高森流宿善論を信じますか。

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