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2014年9月20日 (土)

高森顕徹会長の小智は菩提のさまたげといへる

『浄土十疑論』の

能臨終遇善知識十念成就者、皆是宿善業強、始得遇善知識十念成就。

について、善導大師は完全に否定なされたのですが、法然上人も善導大師の解釈を継承なされています。

『往生浄土用心』

宿善によりて、往生すべしと人の申候らん、ひが事にては候はず。かりそめの此世の果報だにも、さきの世の罪、功徳によりて、よくもあしくもむまるる事にて候へば、まして往生程の大事、かならす宿善によるへしと、聖教にも候やらん。
ただし念仏往生は、宿善のなきにもより候はぬやらん。父母をころし、仏身よりちをあやしたるほとの罪人も、臨終に十念申て往生すと、観経にも見えて候。しかるに宿善あつき善人は、をしへ候はねども、悪にをそれ仏道に心すすむ事にて候へは、五逆なんどは、いかにもいかにもつくるまじき事にて候也。それに五逆の罪人、念仏十念にて往生をとげ候時に、宿善のなきにもより候ましく候。

往生は必ず宿善によるのだという聖教のあることを踏まえられて、念仏往生は宿善がなくても往生できることを教えておられます。下品下生の往生については「父母をころし、仏身よりちをあやしたるほとの罪人も、臨終に十念申て往生す」とまとめられています。

また

弥陀は、悪業深重の者を来迎し給ふちからましますとおぼしめしとりて、宿善のありなしも沙汰せず、つみのふかきあさきも返りみず、ただ名号となふるものの、往生するぞと信じおぼしめすべく候。

とも仰っています。宿善が有るか無いかに関係なく、「ただ名号となふるものの、往生する」のです。

このように善導大師、源信僧都、法然上人が『浄土十疑論』を否定されたのを承けて聖覚法印は『唯信鈔』に

つぎにまた人のいはく、「五逆の罪人、十念によりて往生すといふは、宿善によるなり。われら宿善をそなへたらんことかたし。いかでか往生することを得んや」と。
これまた痴闇にまどへるゆゑに、いたづらにこの疑をなす。そのゆゑは、宿善のあつきものは今生にも善根を修し悪業をおそる、宿善すくなきものは今生に悪業をこのみ善根をつくらず。宿業の善悪は今生のありさまにてあきらかにしりぬべし。しかるに善心なし、はかりしりぬ、宿善すくなしといふことを。われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず、宿善すくなしといへどもふかく本願を信ぜり。逆者の十念すら宿善によるなり、いはんや尽形の称念むしろ宿善によらざらんや。なにのゆゑにか逆者の十念をば宿善とおもひ、われらが一生の称念をば宿善あさしとおもふべきや。小智は菩提のさまたげといへる、まことにこのたぐひか。

(現代語訳 「21世紀の浄土真宗を考える会」宿善の厚薄 唯信鈔の言葉より)

次にまたある人が言うには「五逆罪を犯したような罪の深いものでも、10回の念仏で浄土に往生するというのは宿善(過去世の善根)によるものだ。私の場合、過去世に善根を積んできたとは思えない。どうして往生することができましょうか」と。
これもまた愚かなはからいによって、いたずらに阿弥陀仏の本願を疑っているのです。それはどうしてかというと、過去世の善根の積み重ねが多かった人は、今生においても善根を修め悪業を造ることを恐れますし、過去世に善根を積み重ねることが少なかった人は、今生においても悪を好み善をしようとしません。その人の過去世に善をしてきたかどうかは、今生のありさまから、明らかに知られるのです。我が身を振り返ると、善い心がありません。宿善が少ないということが思い知らされます。しかし、そんな罪の深い者ですが五逆の重罪は犯していませんし、善根が少ないといっても、阿弥陀仏の本願を信じさせて頂いています。五逆の者の10回の念仏でさえも宿善のおかげです。ましてや一生涯念仏を称えさせて頂けるのは宿善(阿弥陀仏の方からのお手廻し)のおかげであり、有り難いことです。五逆の重罪を犯した者が10回の念仏を称えるのが宿善によるとし、私たちが念仏を称えるのは宿善が浅いと思うのはどういう訳でしょうか。浅薄な分別心が往生成仏の妨げになるというのはこういう考えのことでしょう。

と書かれています。これは『浄土十疑論』の矛盾を説明したものです。

宿善を過去世の善根とする『浄土十疑論』によれば、五逆の者は、「今生に悪業をこのみ善根をつくらず」の「宿善すくなきもの」になる筈ですが、「逆者の十念すら宿善による」ならば、五逆罪を犯していない我々は、「宿善あさしとおもふべき」ではないし、平生から念仏の教えを聞いている人は五逆の罪人よりもより救われるということです。

親鸞会で教えている宿善論は、明らかに『浄土十疑論』に沿っています。善導大師、源信僧都、法然上人、聖覚法印が否定なされたものを肯定して、”これこそが親鸞聖人の正しいみ教えだ”と言っているのですから、「小智は菩提のさまたげといへる」の元凶が高森顕徹会長であることは疑いようがありません。

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コメント

後の名無し 様

私は以前にも言いました。

親鸞聖人、蓮如上人を仏教ではない、他の宗教だ、と言って誹謗するような「悪をこのむひと」「無宿善の機」は、相手にしません。
相手にして欲しいのなら、親鸞聖人、蓮如上人の御言葉を尊重する姿勢をみせられるべきです。

投稿: 飛雲 | 2014年9月20日 (土) 07時31分

親鸞会ではよく出息入息 不待命終 が出てきますが これはどこからの引用なのか分からないのですが。
四十二章経ではないかと言われたのですが、その言葉が見当たらないので、できれば御指導お願いします。

投稿: 玉川付近 | 2014年12月11日 (木) 17時06分

玉川付近 様

私も以前に調べたことがあるのですが、出典が不明です。「出息入息」は、経典に幾つも出てきますが、「不待命終」がわかりません。想像するに、大沼師が意訳したものをそのままパクッただけのことではなかろうかと思います。

投稿: 飛雲 | 2014年12月11日 (木) 18時50分

「出息入息 不待命終」に
早速の対応に感謝します。
よく似たものを見つけてしまいました。
http://www.pureland-buddhism.org/の17・死的恐怖にはあるのですが、
正直 漢文で読み取れません。
お忙しいとは思いますが、一度 見てご意見いただけたらありがたいです。

投稿: 玉川付近 | 2014年12月12日 (金) 07時23分

玉川付近 様

これは、以前に親鸞会と関係した台湾の人が作ったサイトです。親鸞会で言っていることを参考にしている部分がありますので、親鸞会と同じことを言っていても何も不思議な話ではありません。ただし、親鸞会を批判しているところもありますので、親鸞会教義そのままでもありません。

投稿: 飛雲 | 2014年12月14日 (日) 06時45分

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