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2014年9月 4日 (木)

聖教も無視、文法も無視して必死に金集めを正当化する高森顕徹会長

いつも言っていますように、何が何でも善の勧めだけは絶対に修正しないのが、高森顕徹会長であり親鸞会です。
最近の顕正新聞や顕真は、全国の会館紹介とそれに付随する形で、善の勧めを必死で強調しています。
たとえば『歎異抄』第1章

しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆゑに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑにと[云々]。

の高森流ヘンテコ解釈です。
文法そのままでは、「弥陀の本願に救われるには」と信前になるが、ここは文法に外れた「弥陀の本願に救い摂られたならば」という信後のことだとするものです。

以前はこれを本気で信じ込んでいた高森会長ですが、今ではこれが間違いだと徹底的に指摘されて知っているのです。知っていながら、嘘を付きとおし金集めの正当性を言わざるをえないのです。

高森邪義は簡単に論破できます。根拠は沢山ありますが、親鸞会の会員でさえ知っている根拠を提示するなら、『正信偈』

極重の悪人はただ仏を称すべし。

です。これも信後だ、あるいは信一念の時だ、といいそうですが、この元は『往生要集』にあり、親鸞聖人は『教行信証』行巻でも紹介されています。

『観経』には「極重の悪人他の方便なし。ただ弥陀を称して極楽に生ずることを得」

親鸞会の大好きな「方便」ですが、「他の方便なし」です。「弥陀を称して」以外の方便がない、つまり極重の悪人には善の勧めがない、もっと端的に言えば、弥陀の本願に救われるのに善は不要、という根拠です。

これでも、信一念のことだ、とか寝恍けたことをいうのなら、この大元の『観無量寿経』下品下生を見れば明らかなことです。

下品下生といふは、あるいは衆生ありて不善業たる五逆・十悪を作り、もろもろの不善を具せん。かくのごときの愚人、悪業をもつてのゆゑに悪道に堕し、多劫を経歴して苦を受くること窮まりなかるべし。かくのごときの愚人、命終らんとするときに臨みて、善知識の種々に安慰して、ために妙法を説き、教へて念仏せしむるに遇はん。 この人、苦に逼められて念仏するに遑あらず。善友、告げていはく、〈なんぢもし念ずるあたはずは、まさに無量寿仏〔の名〕を称すべし〉と。かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するがゆゑに、念々のなかにおいて八十億劫の生死の罪を除く。
命終るとき金蓮華を見るに、なほ日輪のごとくしてその人の前に住せん。一念のあひだのごとくにすなはち極楽世界に往生することを得。

長いですが、簡単に言えば、過去現在、善をやったことのなく、五逆・十悪を造っている悪人が、平生に仏法をきくこともなかったのが、臨終になって初めて仏法を聞きたいと言う気持ちになり、善知識から勧められたのは念仏1つで、勧められるまま念仏を十回称えて往生する、ということです。
他の方便」である善は不要、「ただ弥陀を称して」弥陀の本願に救い摂られるのです。

会員は『正信偈』くらいは、拝読したら如何ですか。高森会長の邪義は『正信偈』で論破できるのです。

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コメント

会長は自分の間違いが会員の間違いになることを理解できないほどの頭脳の持ち主。ただのサイコパスだとわかりました。最後まで金目でしょ。

投稿: | 2014年9月 4日 (木) 20時31分

南無阿弥陀仏に出会いながら その素晴らしさがわからないのは 本当の南無阿弥陀仏を説く知識から聞いていないからですね。間違った教えを何度、死ぬまで聴いても同じです。私達の善のおよぶことのない南無阿弥陀仏を頂きましょう。

投稿: | 2014年9月 5日 (金) 20時59分

>長いですが、簡単に言えば、過去現在、善をやったことのなく、五逆・十悪を造っている悪人が、
>平生に仏法をきくこともなかったのが、臨終になって初めて仏法を聞きたいと言う気持ちになり、
>善知識から勧められたのは念仏1つで、勧められるまま念仏を十回称えて往生する、ということです。
>「他の方便」である善は不要、「ただ弥陀を称して」弥陀の本願に救い摂られるのです。

上記の意味がよくわからないので違っていたら教えて頂きたいのですが、
例えば、飛雲様が病院に行き末期の癌を患っている患者に仏法を説き、その教えにより弥陀の救いにあわせることができる。
例えば、飛雲様が命のダイヤルに電話をかけてきた人に仏法を説き、その教えにより弥陀の救いにあわせることができる。
ということでしょうか。

もしそうならば、どんどんして頂きたいと思います。そうして多くの人が救われるならば、真宗も発展し正しい教えもひろまって
いくと思います。

もし、それが難しいとするならばどのような理由で困難なのでしょうか。

早く飛雲聖人になって頂きたいと思います。

投稿: よくわからないのですが | 2014年9月12日 (金) 22時58分

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