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2014年9月14日 (日)

聖道門と同じ発想で宿善論を叫ぶ無恥な高森顕徹会長

親鸞会では、『観無量寿経』の下品下生の往生自体を知りませんし、知っても認めません。それで浄土真宗を名乗るのですから、お笑いです。
この下品下生の往生から聖道門が宿善という概念を生み出したのですが、それと同じことを言っているのが親鸞会です。無知とは恐ろしいものです。

過去現在善をやったこともなく、五逆・十悪を造っている悪人が、平生に仏法をきくこともなく、臨終になって初めて仏法を聞きたいと言う気持ちになり、善知識から勧められたのは念仏1つで、勧められるまま念仏を十回称えて往生する、ということを信じられない聖道門は、様々に強引な解釈をしてきました。その代表が天台大師智顗が著したとされる『浄土十疑論』です。

能臨終遇善知識十念成就者、皆是宿善業強、始得遇善知識十念成就。

とあります。臨終に善知識に遇って十回の念仏で往生を遂げる五逆罪を犯した者は、宿世に善を行ってきた宿善業の強い人であったので、往生できるのだと解釈したのです。ここに宿善という言葉が見られますが、単純に宿世の善根という意味で使われています。

これを承けて『往生要集』には

かの一生に悪業を作りて、臨終に善友に遇ひて、わづかに十たび仏を念じて、すなはち往生することを得。かくのごとき等の類は、多くこれ前世に、浄土を欣求してかの仏を念ぜるものの、宿善うちに熟していま開発するのみ。 ゆゑに『十疑』にいはく、「臨終に善知識に遇ひて十念成就するものは、ならびにこれ宿善強くして、善知識を得て十念成就するなり」と。

(現代語訳)

かの一生涯の悪業を作ったものでも、臨終に善知識に遇い、わずかに十たび念仏して、ただちに往生することができる。このような人たちは、多くは前世に浄土を欣い求めて、かの阿弥陀仏を念じていた者で、その宿善が内に熟して、いま開発したのに外ならぬ。
それ故に《十疑論》にいわれている。
臨終に、善知識に遇うて、十念が成就する者は、みな宿善が強いので、始めて善知識に遇うことができて、十念が成就するのである。

と源信僧都は宿善の解説をなされています。『浄土十疑論』を引用しながら、意味を変えられ、宿善を

前世に、浄土を欣求してかの仏を念ぜる

と定義されています。

これは『大無量寿経』に

もし人、善本なければ、この経を聞くことを得ず。

とあることや『定善義』

この人は過去にすでにかつてこの法を修習して、いまかさねて聞くことを得てすなはち歓喜を生じ、正念に修行してかならず生ずることを得

と説かれているのも同様のことです。

ところがそのことを踏まえられた上で源信僧都は

まさに知るべし、生死の因縁は不可思議なり。薄徳のものの、聞くことを得るも、その縁知りがたし。

(現代語訳)

これによってわかるであろう。生死の因縁は不可思議なものである。功徳が少ないものでありながら、聞くことができるのは、そのわけを知ることが難しい。

とか、

問ふ。仏、往昔に、つぶさに諸度を修したまひしに、なほ八万歳にこの法を聞きたまふことあたはざりき。いかんぞ、薄徳のたやすく聴聞することを得る。 たとひ希有なりと許せども、なほ道理に違せり。

答ふ。この義、知りがたし。

(現代語訳)

問う。仏は昔つぶさに諸の菩薩の行を修めたもうたが、八万年に及んでも、この法を聞くことができなかったという。どうして、功徳の少ないものが、たやすく聴聞することができようか。たとい、それは稀な例であると認めても、やはり道理に違うであろう。

答える。この義は、なかなか難しい。

とも仰っているように、下品下生の往生を遂げる者の過去世がどうであったのかを知ることは源信僧都でも判らなかったのです。

源信僧都でさえ判らないことを判ったふりをして大上段に構えて宿善論を言いふらしているのが高森顕徹会長ですが、高森会長は源信僧都以上の善知識ですか、あるいはハッタリの悪知識ですか。よくよく考えてみましょう。

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コメント

親鸞会に入会したての頃、"耳四郎の獲信"の話を聞きました。大泥棒の耳四郎が法然上人の一座の説法を聞いて獲信した話にへぇーーっと驚き、先輩に「そんなことがほんとにあったんですかね」と聞きました。先輩は「(耳四郎は)過去世で相当の善を積んでいたんだろう」と答え、近くに講師や他の先輩もいましたが無言で同意しているようでした。これって天台大師の説と同じであった訳ですね。しかもその説は善導大師によって論破・否定されているのに(←今回の記事で初めて知りました)。現役会員一人一人にアンケートを取り、この天台大師の説についてどう思うか聞いてみたいです。
改めて親鸞会の論の支離滅裂さ、油断ならざることが知らされました。

投稿: | 2014年9月16日 (火) 22時04分

名無し 様

全く仰る通りです。いつも支離滅裂です。

投稿: 飛雲 | 2014年9月20日 (土) 07時14分

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