会員を騙すことしか頭にない高森顕徹会長
親鸞会では、組織維持のために必死に必死に三願転入を声高に叫び、善の勧めと言う名目で、金集め人集めを会員に強要しています。
三願転入については、4年前のmixiでの法論で、完膚なきまでに叩きのめされて、その悔しさを紛らわすために『なぜ生きる2』で”反論”したのですが、即返り討ちにあって、『なぜ生きる2』の宣伝が大々的にできない状態に追い込まれています。
それでも会員向けには、高森顕徹会長の言っていることの”正しさ”を刷り込み続けています。その典型が、
19願には「十方衆生」とあるのに、親鸞会を非難している者は、19願は聖道門の人のためのものだと言っている
というものです。4年前から進歩向上もなければ、創意工夫もありません。
この直接的な根拠は、『教行信証』化土巻
しかるに濁世の群萌、穢悪の含識、いまし九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入るといへども、真なるものははなはだもつて難く、実なるものははなはだもつて希なり。偽なるものははなはだもつて多く、虚なるものははなはだもつて滋し。
ここをもつて釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、本誓願を発してあまねく諸有海を化したまふ。
です。ここは前段と後段との繋がりで考えれば簡単な話です。
しかるに濁世の群萌、穢悪の含識、いまし九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入るといへども、真なるものははなはだもつて難く、実なるものははなはだもつて希なり。偽なるものははなはだもつて多く、虚なるものははなはだもつて滋し。
前段の意味は、仏教以外の宗教を出て、半満・権実の法門という聖道仏教に入ったといっても、その教えの通りに修行をしてさとりを開く人が甚だ少ない、ということです。
それを踏まえて「ここをもつて」です。
聖道門に行き詰まった人が多いから、釈尊は観経を説かれ、阿弥陀仏は19願を建てられたということですから、
『なぜ生きる2』にある
釈尊も阿弥陀仏も「群生海」「あまねく諸有海」という全人類に対して定散二善、19願を説かれた
が間違いになるのです。
もちろん他の根拠もあります。
「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。
18願の「唯除五逆誹謗正法」についての説明ですが、「唯除」とあるから、五逆罪・謗法罪の者も「十方衆生」から漏れていない、ということを親鸞聖人が仰っています。
ということは、「唯除五逆誹謗正法」のない19願の「十方衆生」には、漏れている者があるということです。簡単な論理です。
もっと直接的に仰ったのが、『浄土和讃』大経讃の
臨終現前の願により
釈迦は諸善をことごとく
『観経』一部にあらはして
定散諸機をすすめけり
です。
『なぜ生きる2』にもこれは載っていますが、その意訳がまた恣意的な誤魔化しです。
阿弥陀仏が十九の願に勧める善を、釈迦は『観無量寿経』一巻に定善・散善の二つで解き明かされている。
最後の行の「定散諸機をすすめけり」が無いのです。
ただし脚中には、
*定散諸機 弥陀の救いを求めて、定善や散善を実行する人々。
とあります。釈尊は「定散諸機」に対して観経の定散二善を説かれたと親鸞聖人が仰っています。高森氏の言葉を使うなら、釈尊は定善や散善を実行する人々に対して定散二善を説かれたということです。「定散諸機」と対比されるのが「逆悪の機」です。
『正信偈』に「矜哀定散与逆悪」とある通りです。
親鸞聖人が法然上人の法語を編纂された『西方指南抄』には、
第十九の願は、諸行之人を引入して、念仏の願に帰せしむと也。
とあります。19願は、諸善を実行してきた人を念仏の願に帰せしめるための願だということです。
以上のことから、『なぜ生きる2』の
釈尊も阿弥陀仏も「群生海」「あまねく諸有海」という全人類に対して定散二善、19願を説かれた
が完全に間違いで、諸善のできる人、つまりは元々聖道門で諸善を修してきた人のために建てられたのが19願と判ります。
簡単な話で、善のできない悪人に対して釈尊は定散二善を説かれたのでもなく、阿弥陀仏は19願を建てられたのではないということです。
高森会長もそのことは知っていますが、死ぬまで修正することはないでしょう。
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コメント
蓮如上人以来の大善知識を擁し、破邪顕正することを使命とし、真実開顕に命を懸ける(つもりになっている?)者の集まりである親鸞会。それなのに外部からの批判には一切答えない。正に当今は、親鸞会なぜ答えぬ。彼らの言う「真宗の危機は人類の危機」は全くその通りと思うが、親鸞会の危機の前には人類の危機などどうでもよくなっている。高森会長のミココロにかなうことが最優先事項になっている。
投稿: | 2014年8月27日 (水) 11時04分
名無し 様
親鸞会の危機も、現在の会員にはどうでもよくなっているように思います。高森会長のミココロにかなうことを目指しながら、疲れ果てている会員も意外と多いかもしれません。
投稿: 飛雲 | 2014年8月31日 (日) 07時05分