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2014年6月 6日 (金)

高森流三願転入論を完全に否定された親鸞聖人

『なぜ生きる2』が売れていないことを訝しんでいる会員が、少なくありません。
親鸞会の中では大絶賛しているのに、会員以外には最低の評価をされていることも、薄々気が付いています。
当然と言えば当然な結果ですが、こうなることを予想できずに出版した高森顕徹会長の愚かさにも目を向けるべきでしょう。
嘘を隠すために嘘をつき、その嘘を隠すために更に嘘をつく。これを繰り返して、嘘がばれないと思っている方がおかしいです。

さて、三願転入について語りたいのなら、『三経往生文類』に書かれた内容を読むべきですが、親鸞会では『三経往生文類』自体をほとんど知りません。書名からも判りますが、『大無量寿経』・『観無量寿経』・『阿弥陀経』についての往生、言い換えると18願・19願・20願について、親鸞聖人がそのまままとめられた御著書です。

結論を先に言えば、高森流三願転入論を完全に否定されています。

観経往生といふは、修諸功徳の願により、至心発願のちかひにいりて、万善諸行の自善を回向して、浄土を欣慕せしむるなり。しかれば『無量寿仏観経』には、定善・散善、三福・九品の諸善、あるいは自力の称名念仏を説きて、九品往生をすすめたまへり。これは他力のなかに自力を宗致としたまへり。このゆゑに観経往生と申すは、これみな方便化土の往生なり。 これを双樹林下往生と申すなり。

(現代語訳)

「観経往生」 というのは、 修諸功徳の願 (第十九願) によって 「至心発願」 と誓われた要門に入り、 さまざまな善や多くの行によって自ら積んだ功徳を回向し、 浄土往生を願うのである。 そこで 『観無量寿経』 には、 定善・散善、 三福の行や九品のさまざまな善、 あるいは自力の念仏を説いて、 九品それぞれに異なる往生をお勧めになっている。 これは、 他力の中で自力をかなめとして説かれた教えである。 このようなわけで 「観経往生」 というのは、 どれもみな方便の浄土への往生である。 これを 「双樹林下往生」 というのである。

まず、19願の役割を「浄土を欣慕せしむるなり」とありますように、浄土を願っていない人に浄土を願わせるためのものであることを仰っています。
では、浄土を願っていない人とは誰のことかといえば、浄土門を信じていない人、つまりは聖道門を信じている人のことです。このことについては、4年前mixiでの三願転入法論で最初から議論になったところで、高森会長がどんな詭弁を弄しても覆すことのできなかった内容です。高森会長が逃亡し、トピックまで削除するという、名実ともに大惨敗で終わった法論でした。

次に、『観無量寿経』・19願で勧められていることは何かについて、「定善・散善、三福・九品の諸善、あるいは自力の称名念仏を説きて、九品往生をすすめたまへり」とあります。ここで仰っていることは、機に応じた行による往生が勧められている、ということですが、少し説明すると

上品上生・上品中生・上品下生には行福による往生
中品上生・中品中生には戒福による往生
中品下生には世福による往生
下品上生・下品中生・下品下生には自力念仏による往生

ということです。
ところで、親鸞会では、全人類は下品下生と断言しているのですから、勧めるのは自力念仏でなければならない筈です。しかし、実際に勧めているのは財施の行福です。明らかに矛盾しています。

それと、『三経往生文類』で親鸞聖人が仰っているのは、九品往生が『観無量寿経』・19願で勧められているのであって、20願・18願に入るために勧められているとは仰っていないことが重要です。どういうことかと言えば、19願では19願の往生を目指して19願の往生を遂げる、という説明しか親鸞聖人はなされていないのです。もっと端的に言えば、19願を18願に入るための道程として仰っていないということです。19願と18願は完全に別物で関連付けて仰っていないのですから、三願転入が万人共通の道程という理屈は否定される訳です。

更には、この『観無量寿経』・19願の往生については、「これみな方便化土の往生なり」と仰って、報土往生はできないとされています。よって、『観無量寿経』・19願の往生を目指すな、が親鸞聖人の結論です。

今回のエントリーをまとめると

『三経往生文類』において19願とは、

1.浄土を願っていない聖道門の人に浄土を願わせるためのもの
2.下品下生を含む悪人には、自力念仏での往生が勧められている
3.18願に入るための万人共通の道程ではない
4.化土往生しかできないから19願を求めるな

になります。
高森邪義が完全に否定されています。

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コメント

飛雲さん
拝見、納得させられました。深謝致します。
東大数学科から仏教講師になったおかもんさんも、くだらないブログを
必死に書かず、親鸞聖人のみ教えの素晴らしさに気づいてほしいと思わずに
おれません。(このままでは東大の価値も下がる一方です。タイトル変更したほうが。)

投稿: 愚愚流 | 2014年6月 6日 (金) 21時31分

高森先生は、「後生の一大事の解決のため、阿弥陀仏に向かって善を差し向けること」が、19願の道を進むことになりますが、これは19願を突き進むと教えられているのではなく、阿弥陀仏のお働きにより20願に廻入されるのが三願転入と教えられています。ただ19願の説明をされたお言葉から三願転入の結論否を引き出せますか。

投稿: | 2014年6月 7日 (土) 09時36分

愚愚流 様

東大卒であろうが、中卒であろうが、真宗の教えは理解できる筈ですが、自分は賢いのだというプライドが、易しい教えを訳の判らない教えにしているのかもしれません。

投稿: 飛雲 | 2014年6月 7日 (土) 09時41分

名無し 様

仰っていることが判りにくいのですが、親鸞聖人が19願について仰っていることは

1.聖道門の人を浄土門に入れるための方便の願である。
2.聖道門から19願に入って19願を実践したなら、方便化土に往くことになる。
3.方便化土にしか往けない19願を信じ求めるのをやめて、18願を信じなさい。

ということです。
19願を20願へ入るための道程と教えられている箇所はありません。20願さえも信じ求めるなと仰っています。
ただし、20願に関しては19願とは扱いが違い、20願から18願という道程で説明されている箇所は少しですがあります。

要するに親鸞聖人が仰っていることを一言で言えば、19願を信じることなく、最初から18願を信じなさい、です。
19願は親鸞聖人にとってはもともと眼中にないのですが、聖道門が19願に拘ったので、19願は貴方達を浄土門に導き入れる方便としての役割しかないですよ、が結論です。

どんな詭弁を弄しても、親鸞聖人が19願を肯定的に仰った箇所はありません。
高森会長の言っていることには、何1つ根拠がないということです。
 

投稿: 飛雲 | 2014年6月 7日 (土) 09時55分

気になったこと。
親鸞学徒なら、「親鸞聖人は、~と教えられている」と言うべきではないでしょうか。
「高森先生は、~と教えられている」では親鸞会以外の人を納得させることはできませんよ。

投稿: 過去に熱心な会員 | 2014年6月 7日 (土) 17時41分

バカ森は自分の教えに従って財施や勧誘に勤しむ会員に向かって「19願の入口にさえ入っていない」と言い放ちながら、さらに財施や勧誘をすすめるばかりで、他の教えを説かない。18願にさえ向かえない会員は哀れです。化土往生もかなわずどこへ行かされるのか。自分の後生を見据えて決断してほしいと、ただただ願うばかりです。

さいごにおまじないを一つ
「バカ森、ばーかばーか、お前なんかばば食てとっとと死んじまえー 」

投稿: | 2014年6月10日 (火) 02時52分

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