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2014年3月 8日 (土)

今後、高森顕徹会長に謝罪会見はあるのかないのか

嘘が発覚し、謝罪会見をする人物や団体を、マスコミを通して目にすることがあります。その会見の中で、新たな嘘をつくこともありますが、少なくとも隠しようのない嘘については謝罪をしています。
ところが高森顕徹会長は、隠しようのない嘘について謝罪するどころか必死に誤魔化そうとしています。それを60年以上も続けてきた人物です。高森会長が嘘をつき続けてきた集大成が『なぜ生きる2』と言ってもよいでしょう。

さて、19願や定散二善は捨てるために説かれた、とまで法然上人は仰って、親鸞聖人もその通りに教えられているのですが、それに激怒した人たちがいたのです。

釈迦一代の善の勧めは無駄であったと言うのか

どこかで聞いた言葉ですが、当時の聖道門がこのようなことを言ったのは当然とも言えます。自分たちが実践している善を否定されたことになるのですから。
しかし法然上人は、18願の念仏で浄土往生をしたいと願っている人に対して、このように仰ったのであって、聖道門を信じている人に対しては善の位置付けをほとんど仰っていませんでした。
それで、親鸞聖人が聖道門を信じている人に対して説明をされたのが、化土巻であり、三願転入の文であったのです。聖道門と19願を権仮方便として定義され、18願に導くための仮の教えであると説明された訳です。これは、聖道門を信じている人に対しての説明であって18願を信じている人に対しての説明ではありません。18願を信じている人に対しての説明は、法然上人と同じで、廃立です。

ここで話をすり替えたのが高森会長です。18願を信じている人に対して、18願まで導くための方便が19願だから、19願を実践せよ、と。

会員には理解しがたいと思いますので、もう少し説明すると、聖道門を信じている人は18願を信じる気は全くありません。聖道門を信じている人は、18願は善をする気のない悪人に仏教を信じさせるための程度の低い仮の教えだとしか見做していません。それと、18願を願いながら信心決定していない人とが同じである筈が有りません。対機説法ですから、機に応じて違う法を釈尊が説かれたということです。それが八万四千の法門です。

ここまでの基本的なことが理解できれば、『一念多念証文』

おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ。これを仮門となづけたり。
この要門・仮門といふは、すなはち『無量寿仏観経』一部に説きたまへる定善・散善これなり。定善は十三観なり、散善は三福九品の諸善なり。これみな浄土方便の要門なり、これを仮門ともいふ。この要門・仮門より、もろもろの衆生をすすめこしらへて、本願一乗円融無碍真実功徳大宝海にをしへすすめ入れたまふがゆゑに、よろづの自力の善業をば、方便の門と申すなり。

もそのまま素直に読めると思います。
釈尊が多くの教えを説かれたと言っても、それは『観無量寿経』の定散二善に集約されて、それらは18願を信じさせるための仮の教えだ、という以上の意味はなく、定散二善の実践など、どこにも勧められていないのです。
この御言葉は、この前の

しかれば『大経』には、「如来所以 興出於世 欲拯群萌 恵以真実之利」とのたまへり。

を説明する中で出てくるお言葉ですから、「如来所以 興出於世 欲拯群萌 恵以真実之利」をすでに信じている人には関係のない話なのです。

再度言うと、

釈迦一代の善の勧めは無駄であったと言うのか

という人に対して、それは18願を信じる気のない人を18願を信じさせるために聖道門も19願も定散二善も仮の教えとして説かれたのですよ、と親鸞聖人が仰ったというだけのことです。

釈迦一代の教えは18願だ

と信じている人は、法然上人、親鸞聖人が勧められる通り、19願・定散二善を捨てればいいのです。

なお、高森会長の謝罪会見は、永久にありません。

親鸞聖人の教えを間違って伝えたならば、腹を切ってお詫びをする

とまで言い切っていたのですから。

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コメント

高森さんは、絶対謝罪はしないまま亡くなって行かれるでしょう。
光晴氏の「いじめないでくれ」事件の時、光晴氏も一切謝罪無しでシレットしてましたから、
親も子も一緒です。
そんな人とご縁があった自分は、過去世でどんなことをしていたか分かったものじゃない。

人の振り見て我が振り直せですね。
高森さんは、反面教師と思っています。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

投稿: とくよしみね | 2014年3月 9日 (日) 22時09分

社会での謝罪会見があり、最近ではホテルでの食材偽装がありました。会社とかの謝罪会見では責任者が深々と頭を下げて時には涙を流しながら謝罪もありますが、共通項は社会で商いをして今後も組織の存続です。(まれに倒産謝罪会見もあり)
一応に社会で存在を認知された組織です。しかし親鸞会の場合は社会的な認知度も低く、社会的な信用もありません。謝罪対象は覚醒した脱会会員に特定されます。高森氏には社会的責任とかの神経回線の存在もありません。

投稿: 過去に会員 | 2014年3月16日 (日) 20時16分

とくよしみね 様

仰る通り、会長は反面教師にしかなりませんね。


過去に会員 様

謝罪対象は脱会会員だけではなく、トンデモ本の読者、本願寺にもすべきでしょう。
しかし、社会常識が欠落している会長には、社会的責任が何を意味するのかも判らないと思います。

投稿: 飛雲 | 2014年3月16日 (日) 21時41分

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