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2014年1月 8日 (水)

一口問答(三願転入2)

高森顕徹会長の御指示により、会員はアマゾンの『なぜ生きる2』のレビューを書くことも、見ることも禁止となりました。高森会長の恥をこれ以上晒したくないのでしょう。
高森会長には先見の明が余りにも無さ過ぎて、多くの退会者から笑われています。
悔しければ、私がいつでも法論の相手になりますので、私に直接連絡をください。お待ちしています。

問い

親鸞聖人は「如来の諸智を疑惑して 信ぜずながらなをもまた 罪福ふかく信ぜしめ 善本修習すぐれたり」(正像末和讃)と仰って、19願から20願まで進んだのは、なんと素晴らしいことであろうか、と声価されています。親鸞聖人の教えが、まさに三願転入である明証ではないですか。

答え

これは、『大無量寿経』にある20願成就文を言い換えられたお言葉です。『三経往生文類』にはこの和讃に当たる部分を、「この諸智において疑惑して信ぜず。しかるになほ罪福を信じて善本を修習して、その国に生れんと願ぜん。」と紹介されています。和讃と20願成就文とが見事に対応していることがお判りだと思います。
それと、これを含む前後の和讃は誡疑讃と呼ばれていて、19願と20願を信じることは仏智不思議を疑うことだ、と親鸞聖人が厳しく誡められたものです。
親鸞聖人の教えが、まさに三願転入を勧められていない明証ではないですか。

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コメント

>高森顕徹会長の御指示により、会員はアマゾンの『なぜ生きる2』のレビューを書くことも、見ることも禁止となりました。
こんなことストレートに会員に連絡したらいかにも怪しくないですか?
私はこのサイトがきっかけで退会しようと思っている会員ですが、最近参加していないので状況がよく分かりません。
それにしても『なぜ生きる2』のレビュー、一般の人のものと思えるのがありませんね…
更新楽しみにしてます。

投稿: | 2014年1月 9日 (木) 11時56分

名無し 様

退会を決意されたこと、大変喜ばしいことです。
なお、会長の指示で怪しくないものの方が少ないと思います。第三者が「怪しい」と思うことでも、会員は「深い御心」と思い込みます。
アマゾンのレビューについては、本願寺の陰謀とか悪質な中傷とか言っているのでしょう。
三願転入について本を書いたらどうなるかさえ、予測できないのですから、お粗末です。

投稿: 飛雲 | 2014年1月 9日 (木) 21時30分

たんぽぽさんとやりあった新人太郎さんと飛雲さんはまったく同意見ってことですか?

投稿: | 2014年1月14日 (火) 07時43分

上の名無しさんは、玉見さんですね。わかりやすい人です。揚げ足取りですか?
新人太郎さんの意見をまとめたのが、以下ですよね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

三選の文は、浄土宗においても浄土真宗においても特別な御文でして、『教行信証』は三選の文の解説書と言えます。

マインドコントロールされていると理解できないでしょうが、普通の思考があれば、素直に読めばいいのです。

先のコメントにも書いていますが、まずは聖道門を捨てる、次に雑行を捨てる、最後は念仏一行を選び取るのですが、浄土宗はここで終わってしまう訳ですね。法然上人がここまでしか仰っていませんので、念仏を称えていれば、浄土に往ける、と理解したのもある意味仕方がないことです。
しかしそれを親鸞聖人は、それでは法然上人の御心とは違うとして、この後に、自力を捨てて他力に帰せ、と明言されているのです。その自力が罪福を信じる心であり、仏智不思議を疑う心と仰っています。

ですから、三選の文の「称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに。」は、法然上人は報土往生、つまり他力念仏を意図して仰ったのは、真宗の人なら誰でもわかることで、それを大袈裟に言うことの方が馬鹿げています。
ところが、先ほど言いましたように、自力の念仏で報土往生できると勘違いした浄土宗の人が多かったので、親鸞聖人は、それでは化土往生にしかならない、と化土巻で教えられているのですね。

ですから、「称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに。」は、法然上人は他力念仏で仰り、それを自力念仏と誤解した人の為に親鸞聖人がその間違いを化土巻で正されたということになります。

しかし、例え「称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに。」を自力念仏と誤解していたとしても、雑行を捨て、助業をすてることはできますので、たんぽぽさんの質問は愚問にしかならない訳ですよ。

法然上人の仰せを正しく伝えられるために、親鸞聖人は、化土巻で第二十願を自力念仏の願として説明されているのです。

真門釈の直前に

『観経』に准知するに、この『経』(小経)にまた顕彰隠密の義あるべし。
顕といふは、経家は一切諸行の少善を嫌貶して、善本・徳本の真門を開示し、自利の一心を励まして難思の往生を勧む。ここをもつて『経』(同)には「多善根・多功徳・多福徳因縁」と説き、釈(法事讃・下)には「九品ともに回して不退を得よ」といへり。あるいは「無過念仏往西方三念五念仏来迎」(同・意)といへり。

と仰り、「一切諸行の少善を嫌貶して、善本・徳本の真門を開示し」と、雑行を捨てて念仏一つになることを教えられています。ここで雑行が残っているとか愚かな考えは出て来ようがないのですが、お目出度い思考だと、そうとしか読めない訳ですよね。

更に真門釈で、『阿弥陀経』を引かれて

『阿弥陀経』にのたまはく、「少善根福徳の因縁をもつて、かの国に生ずることを得べからず。阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持せよ」と。

と仰っています。雑行は「少善根福徳」だから嫌って、「多善根・多功徳・多福徳因縁」の念仏1つになるのは当然なことです。

また『観無量寿経疏』を引かれて

自余の衆行、これ善と名づくといへども、もし念仏に比ぶれば、まつたく比校にあらざるなり。

と仰っています。念仏は雑行とは比べ物にならない功徳があると思って念仏1つになるのですから、どうして雑行が入り込む余地があるのでしょうかね。

更には、同じく『観無量寿経疏』に引用された『阿弥陀経』を引かれて、

また一切凡夫を勧めて〈一日・七日、一心にして弥陀の名号を専念すれば、さだめて往生を得ん〉と。

とあります。「一心にして弥陀の名号を専念すれば」ですから、雑行など全くありません。

決定的なのが『弥陀経義疏』中の襄陽の石碑に刻まれた経に

善男子・善女人、阿弥陀仏を説くを聞きて、一心にして乱れず、名号を専称せよ。称名をもつてのゆゑに、諸罪消滅す。すなはちこれ多功徳・多善根・多福徳因縁なり

とあり、第二十願は、「一心にして乱れず、名号を専称せよ」です。

雑行が信前に廃らないとか、妄想以外の何物でもないことがお判りいただけると思います。

このような親鸞聖人の教えを正しく理解されたからこそ、存覚上人は親鸞聖人の

雑行を棄てて本願に帰す

を『六要鈔』に解説されて

「建仁」等とは、元年辛酉、大祖聖人六十九歳、鈔主聖人二十九歳。始めて門下に入りて即ち宗旨を伝う。

と言われたのでしょう。

「雑行を棄てて」=「(法然上人の)門下に入りて」
です。

親鸞聖人同様、雑行は信前に捨てることができ、それを法然上人の門下に入ったこととされたので、勿論他力に帰したこととは同時ではありません。

蓮如上人は存覚上人のことについて

『御一代記聞書』158に

前々住上人(蓮如)、南殿にて、存覚御作分の聖教ちと不審なる所の候ふを、いかがとて、兼縁、前々住上人へ御目にかけられ候へば、仰せられ候ふ。名人のせられ候ふ物をばそのままにて置くことなり。これが名誉なりと仰せられ候ふなり。

と、存覚上人を大絶賛され、存覚上人の解釈に無条件で従う、とまで仰っているのです。

法然上人、親鸞聖人、存覚上人と続いてきた「雑行を捨てる」の流れを、蓮如上人が変えられたと考える方が、余程愚かでしょう。

投稿: 反親鸞会 | 2014年1月14日 (火) 10時17分

親鸞会は、何をやっても飛雲さんに勝てないので必死ですね。

法論では手も足も出ないから、そのうちに暴力沙汰を起こすかもしれません。飛雲さん、気を付けてください。

でも飛雲さんに何かあったら高森会長が真っ先に疑われると思います。

投稿: うしお | 2014年1月14日 (火) 13時02分

先ほどの質問は、玉見ですが、どうかされましたか?

まさか質問した人物によって答えが変わるわけではないでしょ。

大事な教義の部分を主張するなら自分の名前を出しますが、朝の忙しい時間の質問が名なしだったからって、いちいち反応しないでね!(^^)


投稿: 玉見 | 2014年1月14日 (火) 19時59分

あれ? 飛雲さん急にだまってしまってどうしたんですか?

たんぽぽさんとやりとりした新人太郎さんと、飛雲さんは同じ意見か
どうかお尋ねしただけなのですが?

念のため、大事な部分をピックアップしておきますね。
どうもあなたの分身のような人の焦点がブレているようですので。


あ、都合が悪いからって削除したり、変なコメントいっぱいつけてこのコメントが見れないように煙幕はらないでくださいね(笑)

過去に、都合の悪いコメントを消したり煙幕はったり、あなたがしてきたことは何度も見てきましたから。


では、質問です。
以下の部分の(たんぽぽさんとやりとりした)新人太郎さん

えっと、もうややこしいから、今後はたんぽぽさんとやりとりした

新人太郎さんは、「飛雲太郎さん」って呼ぶことにしますね。


いい直します。

飛雲太郎さんと、飛雲さんの意見は同じですね。

以下の部分が最終結論でしたね。

/////////////////////////////////////////////////////////

●たんぽぽさんのコメント


挑発には乗らないといっていますから、無駄ですよ。

今までは、それで成功したこともあったのかも知れませんけれど、

話を別のところに持っていって、色々な質問をいっぺんに出してきたり、

まったく関係ない一覧で煙幕をはったり。

もう、すべてお見通しなのですから、あがけばあがくほどみっともないですよ。

そう思われませんか?

「脳みそ」「小学生」云々の言葉づかいも、幼稚に見られますよ。念のためにお伝えしておきますが。。。

あくまで1つずつ順番に話します。

その方針を変える気持ちはありません。

まず、蓮如上人からです。

1つの根拠の○×さえ認められない人に、別の議論は出来ません。

ちなみに、その雑行の表も、あなたが勝手につくったものですし。。。

さて、ちょっと甘やかしてしまいましたが、今度こそ

★最終の忠告★

としましょう。

下記の二つの問題に、次のコメントでちゃんと答えなければ、

「新人太郎は間違っていました」

と認めることにします。

もう、他の読んでいる人たちもウンザリでしょうから。

【最終結論】

【1】

●親鸞聖人  「称名はかならず生ずることを得」の称名は他力」
                      (自力に非ず)

    根拠:「称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに。
         明かに知んぬ。是れ凡聖自力之行に非ず」

                    『教行信証・行巻 304ページ』

●新人太郎さん「称名はかならず生ずることを得」の称名は自力

【2】

●蓮如上人  「雑行(往生のためにする善・五雑行ではない)は他力で廃る」       
         ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
         (雑行は、たのむ一念で廃る)     

●新人太郎さん「雑行(往生のためにする善・五雑行ではない )は自力で廃る」
         ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
        (雑行は、自力で信前に何度も廃る) 

 ★下記の蓮如上人のお言葉が一念でないことを明らかにしてください。
  できなければ、「雑行(往生のためにする善・五雑行ではない )は一念で廃る」
  が正しいと認めたこととします。

 (他のお言葉を出して、ごちゃごちゃ言い出た場合

  「すみません、答えられないので、他の言葉でごまかしました。
   逃亡しようとしていました。
   新人太郎が間違っていました」

 と認めたことにします。

蓮如上人の根拠

(もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、
 一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、
 御たすけ候へとたのみまうして候ふ。
 【たのむ一念】のとき、往生一定御たすけ治定

      『領解文』真宗聖典 975ページ)

(「聖人の御流は、【たのむ一念】のところ肝要なり。
 故に、たのむということをば代々あそばしおかれ候えども、
 くわしく何とたのめということをしらざりき。

 然れば前々住上人(蓮如上人)の御代に『御文』を御作り候いて、

 「雑行をすてて、後生たすけたまえと一心に弥陀をたのめ」

 とあきらかにしらせられ候。
 然れば御再興の上人にてましますものなり」

    『蓮如上人御一代記聞書188』真宗聖典904ページ)

【要約】

【1】

○親鸞聖人   自力に非ず(他力)

○たんぽぽさん 自力に非ず(他力)
               
●新人太郎さん 自力

【2】

○蓮如上人   他力

○たんぽぽさん 他力

●新人太郎さん 自力

投稿: 玉見 | 2014年1月14日 (火) 20時01分

念のため、証拠もあげておきます。

これも消さないでよっ、自信あるんでしょ、飛雲さん


//////////////////////////////////////////////////

●たんぽぽさんのコメント:

 それにしても終わりにしたい一杯ですね。

 ところで、

 「称名はかならず生ずることを得」の称名は他力の称名

「雑行をすてて、後生たすけたまえと一心に弥陀をたのめ」は一念同時

 それでよろしいですね。

(返答日時: 2013/12/17 20:16:43:JST )


●新人太郎さんのコメント:

違うと言ってますが

(返答日時: 2013/12/17 20:18:41:JST )


●たんぽぽさんのコメント:

答えをいただき有難いです。

新人太郎さんの主張

【1】「称名はかならず生ずることを得」の称名は自力

【2】「雑行をすてて、後生たすけたまえと一心に弥陀をたのめ」は一念同時ではない。

ということがやっと分かりました。

投稿: 玉見 | 2014年1月14日 (火) 20時02分

玉見 様

すでに終わった内容を質問してくるとは、驚きましたが、いいでしょう御要望にお応えしておきます。

>【1】

>●親鸞聖人  「称名はかならず生ずることを得」の称名は他力」
>                      (自力に非ず)

>    根拠:「称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに。
>         明かに知んぬ。是れ凡聖自力之行に非ず」

>                    『教行信証・行巻 304ページ』

>●新人太郎さん「称名はかならず生ずることを得」の称名は自力

これについては、明らかに否定されているのに、それをしつこく言ってくる気持ちが判りませんが、はっきり言っておきます。
法然上人が「称名はかならず生ずることを得」と仰った称名は当然他力です。
親鸞聖人もこれは他力だと仰っています。当然のことです。
そんなことを一々説明する必要があるのかということです。
ただし、これを自力と考える人も多いので、それを親鸞聖人が誡められた。


以上で何か問題がありますか。


>【2】

>●蓮如上人  「雑行(往生のためにする善・五雑行ではない)は他力で廃る」       
>         ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
>         (雑行は、たのむ一念で廃る)     

>●新人太郎さん「雑行(往生のためにする善・五雑行ではない )は自力で廃る」
>         ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
>        (雑行は、自力で信前に何度も廃る) 

これもすでに説明が有った通りですが、理解できないのか理解したくないだけなのかでしょう。

まず
>蓮如上人の根拠

>(もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、
> 一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、
> 御たすけ候へとたのみまうして候ふ。
> 【たのむ一念】のとき、往生一定御たすけ治定

については、最新のエントリーで書いた通りです。
雑行=19願
雑修=20願
であるなら、20願に入った時点で19願を離れ雑行を捨てていることになります。
これが違うなら、三願転入は嘘だと言うことです。

「【たのむ一念】のとき」がどうなるかは、「往生一定御たすけ治定」ですが、何か難しい話ですか。

「【たのむ一念】のとき、」同時に雑行を捨てる、とは国語が判れば読めませんが。

証拠として出された

>●新人太郎さんのコメント:

>違うと言ってますが

>(返答日時: 2013/12/17 20:18:41:JST )

が明確に否定した証拠ですが、何か問題でもありますか。

投稿: 飛雲 | 2014年1月14日 (火) 20時26分

新人太郎さんの主張

【1】「称名はかならず生ずることを得」の称名は他力

【2】「雑行をすてて、後生たすけたまえと一心に弥陀をたのめ」は一念同時ではない。

投稿: 飛雲 | 2014年1月14日 (火) 20時34分

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