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2014年1月 6日 (月)

一口問答(三願転入1)

一万年堂出版は、常に新しい書籍を発刊し続けなければなりません。その目的は、『なぜ生きる』と『歎異抄をひらく』を、新書と共に宣伝することです。『なぜ生きる2』の位置付けも他の書と同じですが、同時に会員向けでもあります。
ところで、支離滅裂で前言撤回の多い『なぜ生きる2』を読んだ会員の中で、疑問を感じる人も少なからずあります。ただし、周りがこれを絶賛するので、自分には理解できないが素晴らしい内容に違いない、と思い込もうとしているのです。
少し思考を働かせれば、高森会長の詭弁を見抜くことは容易いのですが、高森会長が絶対に正しい、という思い込みが、思考を停止させるのです。

そんな訳で、会員にも判るように、三願転入についての一口問答を作っていきます。

問い

親鸞聖人は20願について「それ濁世の道俗、すみやかに円修至徳の真門に入りて、難思往生を願ふべし。」(教行信証化土巻)と仰っています。19願の人々に、折れず曲がらず速やかに20願へ進めよ、ということですから、すべての人が19願を通るように親鸞聖人が勧められているではないですか。

答え

20願を勧められたお言葉が、なぜ19願から始めなければならないという意味になるのですか。三願転入の文でも同じで、「論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。善本徳本の真門に回入して、ひとへに難思往生の心を発しき。」とは、七高僧方のお勧めによって、19願を出て20願に入った、ということであって、七高僧方が19願を勧められたのではありません。
要するに、七高僧方も親鸞聖人も19願を勧められてはいない、ということです。

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コメント

お久しぶりです。11月23日の記事のコメント欄にて質問した親鸞会2世の者です。

年末年始なので実家に帰省し、「高森親鸞会の誤りと浄土真宗の正義」の歎異抄をひらくの誤りを指摘した記事を印刷して本願寺からの批判が来ているという体で両親に見せました。
残念ながら、結果としては期待したような反応は得られませんでした。


まず、親が指摘したのはこのサイトを運営されている方のプロフィールです。この方には失礼な話なのですが、「浄土真宗本願寺派(西本願寺)の門徒」とほぼ匿名に近い形で綴られていおり、親鸞会の会合などで時々耳にする「ネットには高森先生や親鸞会に対してあらぬ批判や誹謗中傷を行う者がいる」ことの典型だと思ったようです。「法論を申し込むのであれば反論書を出せばいい」とまず言われました。
そこで「でも、歎異抄解説本の批判書なんて世の中に売れるわけないし企画の時点で出版社にはねられるんじゃないかな」と言ったところ「別に批判書の形でなくてもいい。ひらく以降解説書が1冊も出ていない時点で反論は無いといっていい。確かにエッセイのような形で書かれた本は多少あると思うが、正式な解説書は出ていない」と言い返されました。解説書が全く出ていないというのは間違いなく新聞に書かれていることが根拠だと思うのですが、自分も歎異抄の解説本をいちいちチェックしていたわけではないのでそれが嘘かどうか証明することはできませんでした。
「結局、本願寺の僧侶が僧侶と名乗らずに『門徒』を自称し、責任を上手く逃れながら批判して内輪で回し読みしているだけ。反論する価値もない」とまず反論する気も会に報告する気もないことを初めに言われました。


「それでも、とりあえずこの記事のどこが間違ってるか見てよ」とお願いして最初の《ただ念仏して》と《弥陀の本願まことにおわしまさば》の2つを見てもらいました。記事に対する親の反論は以下の通りです。

『「ただ念仏して」の「ただ」は、法然上人の教えられた通り、念仏一行が往生の行だということである。』
↑法然上人は他の宗派の諸行と念仏の行を区別して説くこと(=行々相対)を集中的にされた。親鸞聖人の教えはあくまで信心往生であり、「ただ」とは18願の世界に導かれて信心を頂き、「ただのただも要らんただじゃった」となったこという。
歎異抄は親鸞上人のお言葉なのだから法然上人や源信僧都、善導大師、観経のお言葉ではなく親鸞上人のお言葉で主張しなければならない。『極重悪人唯称仏』はだけでは根拠として弱いし、逆に信心による往生を説かれた御文はいくらでもある。
『「びっくり仰天」することが「ただ」なのではない』と最後にあるが、そんなことは高森先生は教えられていないし言いがかりだ。
(※注、今気づきましたが、ひらくには『ただただ、びっくり仰天。』と書いてあります。たぶん親は気づいていません。)

『高森氏が「弥陀の本願まことにおわしまさば」を誤解している』
「おわしまさば」はたしかに文法的にはそう取れるかもしれないが、文法的な誤りなどを問題にして善知識でない者(=梯實圓氏)の解釈を持ってきて説明しているので話にならない。親鸞聖人の「誠なるかなや」などの断言と矛盾している。


「高森先生はずっと反論を待っておられる。しかしこのような匿名の形でこの程度の批判しかできないのなら相手にする必要はない」というのがうちの親の結論です。

匿名ではない「堂々とした批判」ならいいみたいです・・・
しかし匿名ではない形で親鸞会運営者だけに法論を申し込んでも、無かったことにされて「反論は出ていない」ことになってしまうんだと思います。
匿名ではなくかつ全親鸞会員が目にできる批判なら相手にするということだと思いますが、、、親を説得するのはちょっと時間がかかりそうです。

投稿: | 2014年1月 7日 (火) 01時47分

名無し 様

コメント有難うございました。
概ね予想された展開です。

>正式な解説書は出ていない

大嘘ですね。少し調べるだけでも、沢山の解説書が出ています。ただし、会長の主張に対する反論など無駄ですから、直接的な反論書はでていません。出す必要性もありません。

御両親は会員歴が長いので覚えておられると思いますが、親鸞会の公約

「親鸞会は公約しています。親鸞会の主張に対して異議、反論のある方は遠慮なく申し出てください。相手が集団であれ、個人であれ、公開であれ、非公開であれ、討論であれ、文書討論であれ、相手の希望される方法で、時と場所を問わず、本当の親鸞聖人のみ教えを開顕するために、喜んで対決に応じます。」

は、嘘であったということを認められたことになります。昨年か一昨年にも、宣言していましたので、この公約は有効な筈ですが、嘘でしたということです。

次に匿名の件ですが、2年前に私は実名で法論を申し込んでおります。その詳細は
http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-0cd9.html
に書いてあります。

しかし、2年近く経っても私には直接何も言ってきません。ただ、この直後に顕真で内輪向けに反論をしただけです。
その詳細は
「浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人のみ教えと同じか?」
http://sinrankaix.exblog.jp/
にまとめてあります。

実名で法論を申し込んでも、この有様です。

>内輪で回し読みしているだけ

ブログを公開していますので、内輪ではなく、全世界に向けて発信しています。顕真でしか公開できない会とは大違いです。

>歎異抄は親鸞上人のお言葉なのだから法然上人や源信僧都、善導大師、観経のお言葉ではなく親鸞上人のお言葉で主張しなければならない。

この部分は法然上人のお言葉です。

親鸞におきては、「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」と、よき人の仰せを被りて信ずるほかに、別の子細なきなり。(『歎異抄』第二条)

したがって、法然上人のお言葉でまず説明するのが当然です。しかし、会長はそれがないし、第一知らないので、その指摘です。

>『極重悪人唯称仏』はだけでは根拠として弱いし、逆に信心による往生を説かれた御文はいくらでもある。

弱いとか強いではなく、親鸞聖人が仰っていることを肯定するか否定するかの問題です。信心と念仏との関係についても書いてありますが、信心を歎異抄で説明するなら、「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」と信じたことです。つまり、ただ念仏を称えることが先にあるのです。それさえ理解できていないのが会長です。

>文法的な誤りなどを問題にして

文法を無視してでも強引な解釈をしなければならないことが問題です。

>親鸞聖人の「誠なるかなや」などの断言と矛盾している。

「かな」の意味は『学研全訳古語辞典』によれば

終助詞
《接続》体言や活用語の連体形に付く。〔詠嘆〕…だなあ。

とあります。断言とはニュアンスが違います。つまり、正しいかどうかを知る智慧はないが、体験から正しいのだなという感動を顕わされたものであって、それ以上ではありませんから矛盾はしていません。それを『執持鈔』で説明してあるのですが、無視するしかないのでしょう。
判りやすく言えば、「正しいかどうか判らないまま救われた、救われた体験はあるが、正しいかどうかを知る智慧は今もない」ということです。

なんだかんだと屁理屈を捏ねるのが親鸞会の特長ですから、簡単には変わらないと思いますが、根気強く話をされるしかないと思います。
今回はその第一歩です。

次は実名での反論を無視している件について、話をしてみてください。

また何かあればいつでも仰ってください。

投稿: 飛雲 | 2014年1月 7日 (火) 06時00分

名無しさん、はじめまして。
私も2世です。でも、親も私も退会しました。
法論で負け続けていることは、衆知の事実ですので、それを確認する勇気があるかないかだけです。
amazonでの『なぜ生きる2』のレビューなんかは、会員も気になる所でしょうから、一度読んでもらってはどうでしょうか。
間違いを指摘されて反論を試みるも、すべて親鸞会の負けです。
法論は「あらぬ批判や誹謗中傷」ではないですよね。一番大事な教えについてのことです。

そんな親鸞会に愛想が付きて一家で退会しました。

投稿: 私も2世 | 2014年1月 7日 (火) 10時02分

意外と二世がここを訪れていてびっくり。顔見知りだったりするのかな

親には早く目覚めて欲しい。ただそれだけですね。いつかその時がくればいいな

南無阿弥陀仏

投稿: 俺も二世 | 2014年1月 8日 (水) 01時28分

2014年1月 7日 (火) 01時47分の名無し様、はじめまして。まだ見ておられますかね。気になった点についてコメントさせていただきます。

>親鸞聖人の教えはあくまで信心往生であり

>信心による往生を説かれた御文はいくらでもある

やはり高森親鸞会では単信無称――しかも真実信心ではなく狂信とか盲信とか邪信――の、観念の遊戯ですらない自己矛盾に満ちた考え方をされているのだと思います。同会での「お礼の念仏」などという言い回しが、その最たるものなのではないかと個人的には思います。

宗祖のお言葉のみで言えば、『教行信証』の「行巻」の標挙に

諸仏称名の願  浄土真実の行
           選択本願の行

とあり、続けて

 つつしんで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり。大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。ゆゑに大行と名づく。しかるにこの行は大悲の願(第十七願)より出でたり。すなはちこれ諸仏称揚の願と名づく、また諸仏称名の願と名づく、また諸仏咨嗟の願と名づく、また往相回向の願と名づくべし、また選択称名の願と名づくべきなり。

と示されます。そして『大経』をはじめとする引文ののちに

 しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。

と釈され、重ねて論釈を引文され

 あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし。

とお勧めになります。そういうわけで行から信をひらいて

 おほよそ誓願について真実の行信あり、また方便の行信あり。その真実の行の願は、諸仏称名の願(第十七願)なり。その真実の信の願は、至心信楽の願(第十八願)なり。これすなはち選択本願の行信なり。その機はすなはち一切善悪大小凡愚なり。往生はすなはち難思議往生なり。仏土はすなはち報仏・報土なり。これすなはち誓願不可思議一実真如海なり。『大無量寿経』の宗致、他力真宗の正意なり。

として「正信念仏偈」をお作りになられ、

本願名号正定業 至心信楽願為因
(本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願(第十八願)を因とす。)

と讃嘆されるのです。

つまり

・念仏成仏するのが浄土真宗である
・称名は選択本願の正定業(往生成仏の業因)である
・行から信をひらくと「信心正因 称名報恩」となる
・行を離れた信も信を離れた行もない

ということです。

投稿: 薄縹 | 2014年1月 8日 (水) 22時41分

皆様、丁寧なご解説とご回答ありがとうございました。2世の物です。

私の両親は親鸞会と30年以上の付き合いで自分の考えや会長の教えに非常に自信を持っており、本願寺の批判など取るに足らない幼稚なものだ思っています。
逆に私は親鸞会で知ったことしか知らないし、親鸞聖人や浄土真宗の教えには詳しくなく自信もありません。
なので、後になって「ああそうか、言われてみれば親の言ってることはめちゃくちゃだな」と思うことはあっても、相手が親ということもあってその場ではなかなか言い返せません。

でも、実名で反論されているというのを聞いて安心しました。今度はそちらで言ってみようと思います。
カルトのマインドコントロールを解くためには社会的な批判(献金・搾取やカルト犯罪など)ではなく教義批判の方が効果的だと聞いたことがあります。もしいくら教義上の批判を言っても親が認めないのであれば、親鸞会そのものが潰れるかでもしない限り恐らく打つ手はないでしょう。そうなったら以前飛雲様の言われたとおり、自分だけでも脱会すると言うことにします。

次の帰省は2月中旬ぐらいになりそうです。皆様、ありがとうございました。

投稿: | 2014年1月 8日 (水) 23時39分

信心いただいてから思うのはなぜ会にいた頃はあんなに自力、他力の念仏を区別したがっていたのかなと。そして善を勧めることがよくて、自力の念仏(信前の念仏)を称えることが悪いことみたいになってたんだよな。いま思うとやっぱり親鸞会は異常だよ。明らかに浄土真宗じゃない。

ふと思ったけどもしかしたら二世のほうがマイコンがとけやすいのかも。いややっぱりそこは宿善によるのかな。どちらにせよいつかマイコンがとけた二世が多くなったとき一致団結して親世代を親鸞会から解放する活動が出来たらいいな。効果は大きそう。

とりあえず質問された二世さんは今も浄土真宗自体は信じている立場ならまず自分自身が信をいただいてください。そうしないと相手の虚構とはいえ何十年もの信仰を崩すことはかなり難しいと思います。
一緒にがんばりましょう。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

投稿: 俺も二世 | 2014年1月 9日 (木) 01時40分

名無し 様

御両親は、年齢的に私と近いと思います。私は教義的に間違っていることを知って、親鸞会を辞めました。
20年、30年、40年と会員を続けていると、親鸞会の反社会的な面はよく判っていますが、教義が正しいから高森会長についていく、と思っています。その教義が間違いと判れば親鸞会から離れることになる筈ですが、教義が間違いと判る、が問題です。
人生の大半を親鸞会に捧げて来て、今更それを間違いとは認めたくないからです。今までの人生の否定になるからです。
大変な葛藤があるでしょう。しかし、ここを乗り越えなければ親鸞会の奴隷で終わります。

名無しさん御自身で、教義の間違いを説明するのは現実的に困難だと思います。
したがいまして、ブログ等の教義批判を御両親に示して、親鸞会としての反論を要請することがよいと思われます。

「浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人のみ教えと同じか?」
http://sinrankaix.exblog.jp/

は、私から正式に法論を申し込みしたの対して、親鸞会が内輪用に回答をしたように装っただけとは言いながら、法論は間接的に成立しているのですから、これを示されるのがよいと思われます。

今、『なぜ生きる2』に直接反論した一口問答を作っていますので、それと併せられると効果も高いかもしれません。

簡単ではないでしょうが、御両親も年末年始のことで多少の動揺はしていると思いますし、兎に角頑張ってみてください。

いつでも協力させて頂きます。

投稿: 飛雲 | 2014年1月 9日 (木) 07時29分

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