一口問答(三願転入9)
会員と法論をして今回判ったことがあります。親鸞会にとって捨てよという雑行とは、五雑行のことで、五雑行以外の諸善は含まれていないと言うことです。法然上人においてさえもそうだと考えているようですので、驚きました。
法然上人は『選択本願念仏集』で
『観経』の意、初め広く定散の行を説きて、あまねく衆機に逗ず。後には定散二善を廃して、念仏一行に帰す。いはゆる「汝好持是語」等の文これなり。
この『経』(観経)すでに定散の諸善ならびに念仏の行を説きて、そのなかにおいて孤り念仏を標して分陀利に喩ふ。雑善に待するにあらずは、いかんがよく念仏の功の余善諸行に超えたることを顕さん。
おほよそこの『経』(観経)のなかに、すでに広く定散の諸行を説くといへども、すなはち定散をもつて阿難に付属し後世に流通せしめず。
ただ念仏三昧の一行をもつてすなはち阿難に付属し遐代に流通せしむ。定散の諸行は本願にあらず。ゆゑにこれを付属せず。
また定散を説くことは、念仏の余善に超過したることを顕さんがためなり。もし定散なくは、なんぞ念仏のことに秀でたることを顕さんや。
ゆゑにいま定散は廃せんがために説き、念仏三昧は立せんがために説く。
随他の前にはしばらく定散の門を開くといへども、随自の後には還りて定散の門を閉づ。
など、法然上人は定散二善を捨てて念仏に帰すべきことを繰り返し教えられています。
つまりは、法然上人にとって捨てるべきものとは、五雑行は当然として定散二善がメインであったことになります。
親鸞聖人においても『教行信証』行巻にて
名号定散対
と定散二善を名指ししておられます。
化土巻でも
雑行とは、正助を除きて以外をことごとく雑行と名づく。これすなはち横出・漸教、定散・三福、三輩・九品、自力仮門なり。
とされ、雑行のメインを19願、定散二善とされています。
要するに雑行を捨てよとは、定散二善を捨てよ、とほとんどイコールだということですが、親鸞会ではそれを五雑行に限定することで定散二善を捨てるべきものから外したい意図があるのでしょう。
しかし、助業さえ捨てよと言われるのに、布施等の定散二善を残す道理が通るわけもありません。
問い
雑行を捨てよとは、五雑行を捨てよと言うことです。諸善をするなではありません。
答え
法然上人は「また定散を説くことは、念仏の余善に超過したることを顕さんがためなり。」「定散は廃せんがために説き、念仏三昧は立せんがために説く。」(選択本願念仏集)と仰り、明らかに定散二善を捨てよと仰っています。
親鸞聖人も「雑行とは、正助を除きて以外をことごとく雑行と名づく。これすなはち横出・漸教、定散・三福、三輩・九品、自力仮門なり。」(教行信証化土巻)と仰って、捨てるべき雑行とは19願、定散二善だと仰っています。
往生のためには、諸善を捨てよ、以外に教えられていません。
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