« お勤めをしないから、正信偈の御文も知らない高森顕徹会長 | トップページ | 朝令暮改と詭弁が特技の高森顕徹会長 »

2013年12月21日 (土)

何をしても、行き当たりばったりの高森顕徹会長

アマゾンの『なぜ生きる2』のレビューで、法論が行われてきました。
講師部員か幹部会員が書いたレビューに対して、退会者がコメント欄に書き込んでの短期決着法論と、退会者のレビューに講師部員らしき人物がひたすら質問攻めにしたにも関わらず、結果的には墓穴を掘ってしまい、荒らしに徹するという法論があります。
そのお陰で、退会者も出ているようで、喜ばしいことです。

公開法論を避けたかった親鸞会にとっては、大誤算でしょうが、そんなことすら想定できないとは、お粗末過ぎます。

さて、前回の「極重悪人唯称仏」等の御文は、『観無量寿経』下品下生の往生について仰ったものですから、それについて解説をしておきます。

下品下生といふは、あるいは衆生ありて不善業たる五逆・十悪を作り、もろもろの不善を具せん。かくのごときの愚人、悪業をもつてのゆゑに悪道に堕し、多劫を経歴して苦を受くること窮まりなかるべし。かくのごときの愚人、命終らんとするときに臨みて、善知識の種々に安慰して、ために妙法を説き、教へて念仏せしむるに遇はん。この人、苦に逼められて念仏するに遑あらず。善友、告げていはく、〈なんぢもし念ずるあたはずは、まさに無量寿仏〔の名〕を称すべし〉と。かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するがゆゑに、念々のなかにおいて八十億劫の生死の罪を除く。命終るとき金蓮華を見るに、なほ日輪のごとくしてその人の前に住せん。一念のあひだのごとくにすなはち極楽世界に往生することを得。

(現代語訳)

次に下品下生について説こう。もっとも重い五逆や十悪の罪を犯し、その他さまざまな悪い行いをしているものがいる。このような愚かな人は、その悪い行いの報いとして悪い世界に落ち、はかり知れないほどの長い間、限りなく苦しみを受けなければならない。
 この愚かな人がその命を終えようとするとき、善知識にめぐりあい、その人のためにいろいろといたわり慰め、尊い教えを説いて、仏を念じることを教えるのを聞く。しかしその人は臨終の苦しみに責めさいなまれて、教えられた通りに仏を念じることができない。
 そこで善知識はさらに、<もし心に仏を念じることができないのなら、ただ口に無量寿仏のみ名を称えなさい> と勧める。こうしてその人が、心から声を続けて南無阿弥陀仏と十回口に称えると、仏の名を称えたことによって、一声一声称えるたびに八十億劫という長い間の迷いのもとである罪が除かれる。
 そしていよいよその命を終えるとき、金色の蓮の花がまるで太陽のように輝いて、その人の前に現れるのを見、たちまち極楽世界に生れることができるのである。

簡単に言えば、平生に善をすることもなく仏法を聞くこともない五逆罪を造った者が、臨終になって初めて仏法を聞く気が起きて、善知識から勧められたことは念仏1つであり、臨終の苦しさで心の籠った念仏を称えることができないまま十回の念仏を称えて往生した、というものです。

法然上人も下品上生・下品中生・下品下生について『選択本願念仏集』

この三品は、尋常の時ただ悪業を造りて往生を求めずといへども、臨終の時はじめて善知識に遇ひてすなはち往生を得。

(現代語訳)

この下三品は、平常の時ただ悪業ばかり造って浄土往生を求めないけれども、臨終のときになってはじめて善知識に遇うて、すなわち往生を得る。

と仰っている通りです。
善など全く無関係に往生できる、これが18願なのです。

それを「他の方便なし」と源信僧都、親鸞聖人、蓮如上人も仰っただけですから、極重の悪人が19願を必ず通らなければならないとか、そんな思想は出て来ようがありません。

御文の裏を読もうとか、本心は違う所にあるとか考える必要もないくらい、明確な教えです。

以上のように下品下生の往生の説明をするだけで、高森邪義は粉砕できます。高森邪義とは、本当にその程度でしかないのです。

そのうち、アマゾンのレビューを会員に読ませることも禁止されると思います。皆さん、お時間があれば、レビューを好きに書き込まれては如何でしょうか。あるいは、反親鸞会のレビューには「参考になった」、親鸞会側のレビューには「参考にならなかった」をクリックしてみるのも、いいかもしれません。
ただし、★1つで偽装した親鸞会側レビューもありますので、注意してください。

|

« お勤めをしないから、正信偈の御文も知らない高森顕徹会長 | トップページ | 朝令暮改と詭弁が特技の高森顕徹会長 »

『なぜ生きる2』」カテゴリの記事

コメント

たしかに、悪意に満ちたレビューが見られますね。勝るを妬む気持ちからでしょうか。

投稿: | 2013年12月22日 (日) 09時21分

本当だ。
間違いを指摘されて、反論できないくやしさから、勝るを妬む親鸞会の講師がみじめな姿を晒していますね。

滑稽としか言い様がない。

投稿: 元カルト | 2013年12月22日 (日) 14時00分

新人太郎という紛らわしいハンドル使ってるのは誰ですか?笑

投稿: | 2013年12月22日 (日) 20時01分

コメントとは別の話になりますが、他のネットで飛雲さんの批判的なコメントがありました。私は飛雲さんの方針に賛同していますから、気にしないで今後もお願いします。飛雲の果たされた役割と今後も果たす役割は他の追随を許していません。
これからも応援します。

投稿: 過去に会員 | 2013年12月23日 (月) 00時58分

私はこのサイトのおかげで親鸞会から離れることが出来たので感謝しています。
ただ最近思うのは親鸞聖人のお言葉で他者と論争するのはなにか悲しいなと思うようになりましたね。まあ必要なことなので飛雲さんにはこの調子で頑張っていただきたいですが。
いつかみんなでただ念仏出来る日が来ればいいなあ。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

投稿: A | 2013年12月23日 (月) 01時51分

コメント頂いた皆様

批判的な意見、大いに結構なことです。敢えて傲慢に書いているのですし、そう思うのが普通でしょう。

このスタイルを変えるつもりはありませんし、退会者で読みたくなければ読んでもらおうとも思っていません。

傲慢な高森会長と親鸞会に対して、批判者が皆紳士的な態度で接すれば親鸞会に通用するのなら、親鸞会が過去の法論に全戦全勝と宣伝することはなかったでしょう。

・紳士的な態度で親鸞会に勝利宣言される
・傲慢な態度で親鸞会に勝利宣言をさせない

共にあるでしょうが、前者は沢山あります。後者は少ない。このブログは後者で親鸞会を追い詰める方法を選択しただけのことです。

対親鸞会には、いろいろのタイプがあった方がいいと思っています。

他にもある意図がありますが、ここでは言いません。

投稿: 飛雲 | 2013年12月23日 (月) 05時21分

飛雲さんは、傲慢な態度と言いますが、親鸞会は「正しい親鸞聖人のみ教えを伝える唯一の団体」を標榜しながら黙殺し続けているのですから、許容の範囲であろうと思います。

投稿: | 2013年12月23日 (月) 12時39分

最後の名無し 様

有難うございます。私なりに頑張っていきます。

投稿: 飛雲 | 2013年12月23日 (月) 22時59分

他所で勝手に飛雲さんのことを話題にしてしまいました。申し訳ありませんでした。本当に余計なことを書いたと後悔しています。

飛雲さんがここでやっておられることの意図と、果たしてこられた役割は私も理解しているつもりでしたが、こうしたことを戦略的に続けてゆくタフさというものに私は無理解だったかもしれません。私にとって親鸞会はいまや本当にどうでもいい存在でしかなく、そこまでして関わり続けてゆくということがまったく想像できないもので、それで「もったいない」と思ってしまいました。しかし、それでも飛雲さんはこのやり方を続けてゆかれるのですよね。凄いと思います。

でも正直なところ、親鸞会とまったく関わりない真宗のお話がもっとできたらなあ、もったいないなあ、という思いもやはり本音としてあります。しかしこれは私の個人的なわがままでしょうね。お聞き流しください。

投稿: dandelion | 2013年12月24日 (火) 01時11分

dandelion 様

誰から批判があっても、自分の考えでやっていることですから、私は気にしていませんし、dandelionさんも気にしないで下さい。
また話がしたいですね。

投稿: 飛雲 | 2013年12月24日 (火) 06時37分

信心数え歌にある「必定地獄」に人生を振り回された、あるいは人生をめちゃめちゃにされた若人が、どれほどいたことか。その不幸の拡大再生産にのみ親鸞会は、あったのです。本来なら本願寺が果たす責任を「馬鹿につける薬はない」と匙を投げたものですから、その害毒に当てられました。飛雲さんの功績は本当に大きいです。

投稿: | 2013年12月24日 (火) 19時37分

確実に、高森氏はこのブログを読んでおり、今も上げ足をとろうと一生懸命です。飛雲氏のブログ更新は親鸞会敗北の歴史であることはもはや疑いがありません。ただ高森氏の粘着性格・独断性格により因縁を吹っかけてブログ閉鎖に持ち込む可能性があります。【一か八か、k堀弁護士を使って「苦笑の独り言」を閉鎖に追い込んだように」】それでなかれば、あれほど過ちが指摘された三願転入論を展開したなぜ2を出版するとは思えません。あの人達は、プライドが高く、解釈次第では邪義ともとれるなら、針小棒大に書くことを厭いません。【なんせ断章主義はお手のものです】高森氏はこう書かれていますが、親鸞聖人七高僧方はこうご教示ですと提示されていかれては如何でしょう。あの方々は普通の物差しがありません。

投稿: | 2013年12月24日 (火) 20時07分

学生時代に、人生に親鸞会に会わなかったら、どれだけ幸せだったことか。ずいぶん人生を迂回しました。これ以上犠牲者を生まないためにも飛雲さんに宜しくお願いいたします。気をつけてください。高森氏は豊田商事社長からも金をせびっていた輩ですからね。常識のある人間はこの時点で辞めますわ。今残っている会員は頭おかしいとしか、言いようがない。

投稿: | 2013年12月24日 (火) 20時18分

高森氏は、生涯に何回親鸞聖人の教えを変節していくのでしょうか。聖人は名前こそ生涯変えていかれましたが。やはり消えて頂きたい。社会のために。

投稿: | 2013年12月24日 (火) 20時21分

有難うございます。もっと頑張ります。

投稿: 飛雲 | 2013年12月24日 (火) 20時24分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1323088/54335856

この記事へのトラックバック一覧です: 何をしても、行き当たりばったりの高森顕徹会長:

« お勤めをしないから、正信偈の御文も知らない高森顕徹会長 | トップページ | 朝令暮改と詭弁が特技の高森顕徹会長 »