七深信の第三深信について知らないけど言ってみただけの高森顕徹会長
mixiでの法論の際に、親鸞会が出した根拠の1つが、いつもの『一念多念証文』の
おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ。これを仮門となづけたり。…
ですが、この「浄土の方便の善」の意味について、退会者が示したのが、『教行信証』化土巻の
釈家(善導)の意によりて『無量寿仏観経』を案ずれば、顕彰隠密の義あり。顕といふは、すなはち定散諸善を顕し、三輩・三心を開く。しかるに二善・三福は報土の真因にあらず。諸機の三心は自利各別にして、利他の一心にあらず。如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。これはこの経の意なり。
にある、「欣慕浄土の善根」です。聖教を読んだことのない高森顕徹会長には、全く聞いたことのない言葉だったようで狼狽していました。
この「欣慕浄土の善根」は、善導大師の『散善義』にある七深信の第三深信で信巻および化土巻に引かれている、
また決定して、釈迦仏、この『観経』に三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して人をして欣慕せしむと深信すと。
を指しているのですが、当然、これも高森会長は全く知りませんでした。
更には、同じく化土巻に
仮令の誓願(第十九願)まことに由あるかな。仮門の教、欣慕の釈、これいよいよあきらかなり。
とあり、「欣慕」という言葉が化土巻に3度出てきますが、高森会長は全く知りませんでした。
ところが今回の『なぜ生きる2』には、「仮令の誓願(第十九願)まことに由あるかな。仮門の教、欣慕の釈、これいよいよあきらかなり。」と「七深信」が載っています。
もちろん、間違った意味に使っていますし、七深信に至っては説明さえもありません。
会員も初めて聞く根拠に驚いているようですが、これこそがmixiの法論惨敗に対する反論本の決定的証拠になります。高森会長が完全に消してしまいたい法論惨敗の記録と照らし合わせてみれば、会員は何と言うでしょうか。この辺が、高森会長の先を見る目の無さです。
さて、愚かな高森会長の為に、傷口に塩を塗って差し上げましょう。
七深信の第三深信は、『観無量寿経』定散二善に関しての深信です。
また決定して、釈迦仏、この『観経』に三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して人をして欣慕せしむと深信すと。
釈尊が『観無量寿経』にて九品と定散二善(三福を含む)を説かれたのは、阿弥陀仏と浄土を褒め称えて、浄土を願っていない人に浄土を願わしめるためであった、と深信する、ということです。
ここで浄土を願っていない人とは誰のことかと言えば、化土巻に
おほよそ一代の教について、この界のうちにして入聖得果するを聖道門と名づく
と仰った聖道門を信じている人のことを指しています。一方浄土門を
安養浄刹にして入聖証果するを浄土門と名づく
と定義されて、浄土門を信じている人は浄土を信じていることが大前提です。聖道門は浄土を目指さずに、この世界でさとりを開くことを目指しているから、浄土を願っていない人とは聖道門のことを指していて、浄土門の人はここに含まれていません。浄土を目指さない浄土門の人は浄土門ではないからです。尤も、絶対の幸福と言うこの世のさとりを目指しているなんちゃって真宗サークルの人は浄土門とは言えませんが。
従って、浄土を願っていない聖道門の人に浄土を願わせるために釈尊が、定散二善を説かれたと深信したことが、真実の信心と言うことです。
では高森会長の信心はどうでしょうか。『なせ生きる2』にはこうあります。
弥陀の真実・十八願を疑う自惚れ心(自力の心)を破り、出来ぬことを出来ぬと信知させるのが、十九の願を建てられた弥陀の目的であり、釈迦一代の教導なのだ。
第三深信とは似ても似つかない、全く次元の違う信心でした。
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コメント
私もなぜ生きる2読みました。七深信を出した意図が分かりませんでした。
二河譬は言葉が出てくるだけで、譬えは出てきませんでした。肩すかしをくらった気分です。
ついでに言うと本願文の解釈も訂正したみたいですね。
投稿: | 2013年12月14日 (土) 21時19分
会長は今後、今まで教えてきたことは自分の身勝手な解釈で親鸞聖人の教えとは全く違うものだったと謝罪する日は来るのでしょうか。
投稿: | 2013年12月15日 (日) 01時03分
高森会長は「親鸞聖人の教えを間違って伝えたら切腹ものだ」とよく言っていました。
一方、高森会長の言葉に「できない約束はしないことだ」ともあります。
両方合わせると、「そんなこと真受けにしおって。ダラが。」という意味になります。
投稿: | 2013年12月16日 (月) 02時14分
コメント頂いた皆様
自分の言ったことを平気で撤回する。
それについて謝罪はしない。
追及すると逆ギレする。
こういう人物です。
投稿: 飛雲 | 2013年12月16日 (月) 21時26分