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2013年12月24日 (火)

簡単な話を難しくして誤魔化しているのが高森顕徹会長

高森顕徹会長は、雑行の定義さえも正しく理解していないのですが、それは前回紹介した『なぜ生きる2』の

「雑行を捨てよ」とは、この悪い「自力の心」を捨てよということである。
 七高僧方が捨てよと言われるのも、「諸善」や「万行」のことではなく「自力の心」のことなのだ。

でも判ります。
結論を先に言えば、

「雑行を捨てよ」=「諸善を捨てよ」=「万行を捨てよ」

です。親鸞聖人は『教行信証』化土巻・雑行釈

おほよそ浄土の一切諸行において、綽和尚は「万行」といひ、導和尚は「雑行」と称す。感禅師は「諸行」といへり。信和尚は感師により、空聖人は導和尚によりたまふ。
経家によりて師釈を披くに、雑行のなかの雑行雑心・雑行専心・専行雑心あり。また正行のなかの専修専心・専修雑心・雑修雑心は、これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。

(現代語訳)

浄土門で説かれるすべての自力の行について、道綽禅師は『安楽集』に「万行」といわれ、善導大師は『観経疏』に「雑行」(散善義)といわれている。懐感禅師は『群疑論』に「諸行」といっている。源信和尚は懐感師により、源空上人は善導大師によっておられる。釈尊の経説にもとづき、祖師方の解釈を見てみると、雑行の中には、雑行雑心、雑行専心、専行雑心があり、また正行の中には、専修専心、専修雑心、雑修雑心がある。これらはみな自力の行であって、辺地・疑城胎宮・懈慢界といわれる方便の浄土に生れる因なのである。

と教えられています。

万行」=「雑行」=「諸行」(=「諸善」)

ですが、それも知らないのです。

次に親鸞聖人は、雑行を3つに分けておられます。「雑行雑心」「雑行専心」「専行雑心」ですが、同様に正行を「専修専心」「専修雑心」「雑修雑心」と分けておられます。
正行の「専修専心」「専修雑心」「雑修雑心」の意味をそれぞれ説明すると長くなるので、理解しやすい「専修専心」だけ説明すれば、五正行うちの1つを専ら修し、他の行に心を移さないことを言います。
これは紛れもなく、雑行を捨てた状態のことを意味しています。
つまり、雑行を捨てて「専修専心」の正行を修する行者がいることを親鸞聖人が説明されているのです。

雑行はたのむ一念まで廃ることはない、とういのが親鸞会の迷信ですが、それが間違いであることは雑行、正行の意味を知るだけでも判りそうなものです。

前回も言いましたが、雑行が18願に背く行だと判れば、雑行を自ずから捨てます。そこで正行を修する行者が出てきてもおかしくはありません。もちろん、親鸞聖人の教えを正しく聞いていれば、助業ではなく正定業を修することになりますが、いずれにしても、信前において雑行を自ら捨てて正行なり正定業を自ら選び取る訳です。

それがなぜ信一念まで雑行を捨てることができない、という発想になるのでしょうか。五雑行は、他の仏に向くことですから、阿弥陀仏だけに向けば自ら五雑行を捨てることができます。同じことで、諸善は18願に背く行ですから、念仏だけに向けば自ずから諸善を捨てることができます。

難しくも何ともありません。少し考えれば判る簡単な話ですが、簡単な話を難しくして誤魔化しているのが高森会長です。尤も、簡単な話さえも理解していないのが高森会長ですので、余計に達が悪いです。

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