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2013年11月20日 (水)

仏語の意味を悉く間違えている高森顕徹会長

一向専念無量寿仏」の意味さえ間違っているのですから、他も悉く間違っています。「一向専念無量寿仏」に関連した雑行の意味も勿論間違っています。

一向専念無量寿仏」とは、念仏以外の諸善を捨てることですが、この諸善と五雑行とが別だという高森式迷信が、「一向専念無量寿仏」の意味を間違う原因になったのでしょう。

高森顕徹会長は雑行の説明として、

雑行とは、五雑行といわれるものと諸善万行とがある

と、かつて会員に徹底させていました。これがそもそも間違っています。

親鸞聖人は『教行信証』化土巻の雑行釈で、

おほよそ浄土の一切諸行において、綽和尚は「万行」といひ、導和尚は「雑行」と称す。感禅師は「諸行」といへり。

(現代語訳)

浄土門で説かれるすべての自力の行について、道綽禅師は『安楽集』に「万行」といわれ、善導大師は『観経疏』に「雑行」(散善義)といわれている。懐感禅師は『群疑論』に「諸行」といっている。

と仰っています。

つまり、

万行=雑行=諸行

ということで、高森会長の言葉を使って正しく言い直すと、

雑行とは、諸善万行である

となります。

五雑行はどうなったんんだ

と無知な会員は目くじらを立てて、反論するでしょうが、それについては法然上人が『選択本願念仏集』

次に雑行は、すなはち文に、「この正助二行を除きてのほかの自余の諸善をことごとく雑行と名づく」といふこれなり。意はいはく、雑行無量なり、つぶさに述ぶるに遑あらず。ただしばらく五種の正行に翻対してもつて五種の雑行を明かすべし。一には読誦雑行、二には観察雑行、三には礼拝雑行、四には称名雑行、五には讃歎供養雑行なり。
(中略)
このほかまた布施・持戒等の無量の行あり。みな雑行の言に摂尽すべし。

(現代語訳)

次に雑行というのは、すなわち文に「この正助の二行を除いて、ほかのいろいろな善根は、ことごとく雑行と名づける」といわれたのがこれである。その意味をいえば、雑行は無数であって、つぶさに述べることはできないが、ただ、今はしばらく五種の正行に対して、もって五種の雑行を示そう。一つには読誦雑行、二つには観察雑行、三つには礼拝雑行、四つには称名雑行、五つには讃嘆供養雑行である。
(中略)
このほか、また布施や持戒など数多くの行があるが、みな雑行の言に摂め尽くすことができる。

と教えられています。

要するに、雑行とは正行以外の諸善のことで、その中に五正行に対する五雑行がある、ということです。
先ほどの高森会長の言葉を使って再度正しく言い直すなら、

雑行とは、諸善万行のことであり、その中に五雑行と言われるものがある

なります。諸善万行と五雑行は並列の関係ではなく、五雑行は諸善万行の一部だということです。

ここまで説明すれば、小学生並みの思考力の会員でも理解できるでしょうか。

一向専念無量寿仏」とは、五雑行を捨てることではなく、五雑行を含む諸善万行を捨てることだ、と。

まだ判らないですかね。

もっとはっきり言うと、阿弥陀仏に一向専念することと往生のために諸善を修することとは、正反対、対立することなのです。それで、諸善を捨てよ、と教えられているのです。

誤解のないように一応言っておきますが、往生と無関係に倫理道徳の善をすることは、雑行ではありませんので、大いにすればいいですが、法然上人が仰っているように、布施・持戒等は雑行です。

思考力のない会員には、布施・持戒等と倫理道徳の善との違いも判らないでしょう。なぜなら、高森会長の六度万行の説明も間違っているのですからね。

高森会長の説明は、大げさでも何でもなく、本当に悉く間違っているのです。

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コメント

では、救われてからの諸善万行はどうなるんですか?

投稿: | 2013年11月20日 (水) 21時26分

でたー、論点ずらし。

救われる前の諸善万行の話をしているのに、救われた後の話でしか反論できない愚かさ。

つまり、救われる前には、諸善万行は不要と言うことに反論はできなかったのですね。

相変わらずみじめな現役会員。

一応教えておくと、蓮如上人は御文章で教えられていますよ。

信前・信後を問わず倫理道徳の善に心がけなさい、後生の為には諸善万行を捨てなさい、とね。

意味分かる?

倫理道徳の善に努めようとするのが、真宗での教え。高森教では、倫理道徳の善を犠牲にして、布施に励め、いや金集め人集めに励め、でしょ。

真宗と高森教との違いが分かった?

投稿: 論点ずらし | 2013年11月21日 (木) 01時38分

現役さんの気持ちは分かる。私もかつて現役さんと同じ気持ちを味わいましたからね。
まあいまはとりあえずなんでも質問されたらよろしい。たとえそれが勝他のためであっても。

投稿: A | 2013年11月21日 (木) 03時34分

名無し 様

救われる前には、諸善万行を捨てるとしか教えられていない、と御理解いただけたようで何よりです。
度々、コメントをいただいておりますが、今後もコメントをお待ちしています。

投稿: 飛雲 | 2013年11月21日 (木) 06時58分

名無しさんに質問です。

問.一向専念無量寿仏とは、どちらか。

 1.諸善万行を捨てること

 2.阿弥陀仏に向かって諸善万行をすること


簡単な質問ですから、答えてください。
ちなみに高森教では2が正解と教えています。

投稿: 名無しさんに質問 | 2013年11月21日 (木) 08時18分

高森教はあまり詳しくないんですが、、救われてからの諸善万行???
真宗においてそのような発想が出てくることは奇妙奇天烈、不可解なんですが。

投稿: | 2013年11月21日 (木) 16時13分

奇妙奇天烈、不可解なのが、高森教と言われる所以です。もちろん、真宗とは無間系です。
参考までに申し上げますと、このような奇妙奇天烈、不可解な質問をするのは、間違いを指摘されて反論できない時の詭弁で、
高森会長の最も得意とするところです。

投稿: 元高森教信者 | 2013年11月21日 (木) 17時27分

現会員の皆さんは、まず飛雲さんのブログを一通り読んでみて担当講師に質問してみては如何でしょう。会合や信心の沙汰の場のあの空気では無理ですから、ガチガチでない方と複数の方と一緒に。そのとき「なぜそんな質問をする」「高森先生に嘘があろうはずがない」「必ず後悔するぞ。因果の道理だ」「それが疑いだ。それで君は苦しみ悩み続けてきたんだ」「関東の同行に聖人は、あれこれ説明したか。面々の計らいとおっしゃったのではないか」とかいうでしょう。でもそれらは答えたことになりません。教行信証の説明で、教えを誤ると全てが間違えると教えたのは高森氏その人です。蓮如上人も「ものを言え」と教えられたというのも本会でした。

投稿: | 2013年11月21日 (木) 21時07分

続けます。道に迷えば元の位置まで戻って考えるのは自然な行動です。そうしないと山道では遭難しますからね。現会員のみなさんは、高森顕徹氏の話に疑問を持たれたなら、一度誹謗サイトを覗いて、原点に立ち帰ってみては如何でしょうか。どちらを信じるに値するかは、次第に分かります。

投稿: | 2013年11月21日 (木) 22時11分

会員時代はこう思っていました。「高森先生は真実信心があるから無敵で恐れる者なし。どんな相手が来ても正々堂々、真っ向勝負」と。
しかし今や、外部からの批判に対して打つ手なし。内(会員)に向かって「真実を分かってない者の妄言など聞いてはならぬ」との隔離策しかないことが如実に見て取れる。
自分の中で"高森先生神話"が崩れて良かった。

投稿: | 2013年11月23日 (土) 03時06分

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