高森顕徹理論を捨てることが、19願を離れることであり、雑行を捨てること
前回エントリーのコメントを読まれれば判ると思いますが、親鸞会の思考は根本的におかしいです。
1.親鸞聖人が実際に仰っていることを否定して、直接仰ってはいないが親鸞聖人の本心はこうに違いないと断定する。
2.親鸞聖人の仰った御言葉を、文法的にあり得ない解釈をする。
3.親鸞聖人の仰った御言葉の単語の意味を、非常識に解釈し、他のお言葉との整合性がとれない。
4.親鸞聖人の仰った御言葉を断章取義し、前後を併せて読むと反対の意味になるが、それを無視する。
これを主導しているのが、会員に何百年に一度しか現われない無二の善知識と崇め奉らせている高森顕徹会長です。その結果、こうなります。
いつもの11項目
1.獲信していない人の死後はどうなるか
親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間2.五逆罪・謗法罪について
親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている3.善人と悪人について
親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である4.獲信のために善は必要か
親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない5.白道とは
親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力6.定散二善について
親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ
7.19願について
親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ
8.宿善について
親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
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高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない9.機の深信について
親鸞聖人 自力では出離できない
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高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる10.善知識に無条件服従しなければならないか
親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
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高森会長 善知識に無条件服従せよ
11.因果の道理について
親鸞聖人 罪福の因果を信じることは自力・仏智不思議を疑う心
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高森会長 因果の道理を深信しなければならない
『歎異抄』について
第1章
1.「ただ信心を要とす」の「信心」とは
親鸞聖人 「ただ念仏で往生できる」と信じた心
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高森会長 「助かった」とハッキリした心2.「本願を信ぜんには他の善も要にあらず」とは
親鸞聖人 本願に救われるには善は不要
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高森会長 救われたなら善は不要だが、救われる前には善が勧められている3.「悪をもおそるべからず」とは
親鸞聖人 本願に救われるのに、悪が妨げになることはない
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高森会長 悪を恐れ不安になるのは、地獄一定の悪人と知らされていないからだ第2章
4.「ただ念仏して」の「ただ」とは
親鸞聖人 念仏一行
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高森会長 びっくり仰天5.「総じてもつて存知せざるなり」とは
親鸞聖人 念仏が浄土に生れる因なのか地獄に行く因なのかを知る智慧を持っていない
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高森会長 知り過ぎた知らん6.「弥陀の本願まことにおわしまさば」は仮定か断定か
親鸞聖人 仮定
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高森会長 断定第3章
7.「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」とは
親鸞聖人 善人ではなく悪人のために18願を建てられた
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高森会長 「悪人」とは、全人類のことであり、「人間」の代名詞にほかならない
さて、前回述べましたように、法然上人は19願や諸善は末法の衆生にとっては実践する意味がないことを教えられているのです。親鸞聖人が法然門下に入られたということは、19願や諸善を捨てられたとことに他なりません。
ではもう一度三願転入の文を見ると、
論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。
は、直接的には法然上人、間接的に七高僧方の御勧化によって、19願を離れた、としかならない訳です。これが雑行を捨てる、ということであり、親鸞聖人の
建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。
を存覚上人は『六要鈔』で
「建仁」等とは、元年辛酉、大祖聖人六十九歳、鈔主聖人二十九歳。始めて門下に入りて即ち宗旨を伝う。
とされています。
「法然門下に入ったこと」=「19願を離れたこと」=「雑行を棄てたこと」
つまり、高森理論を捨てることが19願を離れることであり、雑行を捨てることになるのです。高森理論に支配されているうちは、19願に留まったまま、親鸞聖人で言えば法然上人に遇われる前の状態だということです。
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コメント
【親鸞聖人のみ教えは要するに】 善いことをすれば、善い結果が返ってくる。しかし、我々に極楽浄土に生まれるような善を積むことは不可能だから、極楽に生まれる結果が現れるはずがない。【これが分からないのが聖道門】しかし、生きとし生きるものを幸せにしてやりたいという願いを建てらさまが現れて①浄土に生まれる力のある名号と②そのいわれを知る信心を与えてくだされた。【名号にいくら力があるといっても、厄除けのように称えられてもその効はえられない。なんのために称えるのが大切。弥陀は欲生我国と教えられた】という理解で良いのでしょうか。
投稿: | 2013年10月30日 (水) 23時19分
建てられさま× 建てられた阿弥陀様〇
投稿: | 2013年10月30日 (水) 23時21分
こんなレベル低いヤツに質問するのやめときなよ。
投稿: | 2013年10月31日 (木) 15時17分
そうですね、レベルの低い人は放置して、御質問にお答えします。
>【親鸞聖人のみ教えは要するに】 善いことをすれば、善い結果が返ってくる。しかし、我々に極楽浄土に生まれるような善を積むことは不可能だから、極楽に生まれる結果が現れるはずがない。
この根拠は信楽釈の
一切凡小、一切時のうちに、貪愛の心つねによく善心を汚し、瞋憎の心つねによく法財を焼く。急作急修して頭燃を灸ふがごとくすれども、すべて雑毒雑修の善と名づく。
また虚仮諂偽の行と名づく。真実の業と名づけざるなり。この虚仮雑毒の善をもつて無量光明土に生ぜんと欲する、これかならず不可なり。
>【これが分からないのが聖道門】
その通りです。
>しかし、生きとし生きるものを幸せにしてやりたいという願いを建てらさまが現れて①浄土に生まれる力のある名号と②そのいわれを知る信心を与えてくだされた。
表現として適切かどうかは別にして、仰りたいことはその通りだと思います。
>【名号にいくら力があるといっても、厄除けのように称えられてもその効はえられない。なんのために称えるのが大切。弥陀は欲生我国と教えられた】という理解で良いのでしょうか。
ここは若干補正が必要でしょう。念仏には現世利益はありますので、そこは踏まえておく必要があると思います。
投稿: 飛雲 | 2013年10月31日 (木) 18時53分