一口問答(因果の道理4)
問い
阿弥陀仏の本願も仏教ですから、因果の道理と無関係である筈がありません。
答え
覚如上人は「おほよそ他力の一門においては、釈尊一代の説教にいまだその例なき通途の性相をはなれたる言語道断の不思議なり」(改邪鈔)と仰っています。18願の教えは、釈尊一代の説法に例がなく、通仏教の教えとはまったく別の、言語を超絶した不思議な教え、ということです。
蓮如上人の愛読書であった『安心決定鈔』にも、「願行は菩薩のところにはげみて、感果はわれらがところに成ず。世間・出世の因果のことわりに超異せり。」とあります。18願の救いは、世間の因果・出世の因果に超異している、ということです。
要するに、因果の道理を信じれば信じる程、18願を疑うことになり、高森会長の話を聞くことは害にしかなりません。
| 固定リンク
「一口問答」カテゴリの記事
- 一口問答(法の深信12)(2014.07.22)
- 一口問答(法の深信11)(2014.07.21)
- 一口問答(法の深信10)(2014.07.14)
- 一口問答(法の深信9)(2014.07.13)
- 一口問答(法の深信8)(2014.07.12)
コメント
とどろき・顕正新聞・アニメ等関連このブログを読まれている方は捨てられましたか、小生は教えは噴飯物と理解できましたが、中々捨てられません。
投稿: | 2013年9月25日 (水) 22時24分
高森会長は、「信心決定した者は深信因果させられる」と言っていましたが、これもお聖教に根拠のないことなんでしょうね。
もし高森会長が深信因果していたら、もっと会員のことを顧みるでしょうし、そもそも会員の搾取などは有り得ないはず。高森会長にしてみれば「会員に宿善を積ませて獲信まで導く」という大義名分を握っているので、今のやり方(搾取)で安泰と思っているのでしょう。「我々は宿善を積む必要がある」と信じている会員さんは本当に気の毒です。御文章に「宿善」という文言は度々出てきても、「宿善を積め、宿善を求めよ」とのお勧めは一ヶ所も無いのに。
投稿: | 2013年9月25日 (水) 22時40分
とどろきとか全部すてました☆
顕正新聞の記事の題名見て、
せまい世界で自画自賛ごっこやってるなぁー、相手にもされてないのに対等にはりあってるふりしてバカみたいだなーって思ったら、そんなの信じてた自分がもう気持ち悪くて気持ち悪くて(笑)とても手元においておけませんでした。
ただ記念品とかで大量に渡された一万年堂出版の本とかは、一度に同じ本たくさん捨てるのも変なので、1冊ずつ思い出したときに捨てて、まだあと数冊残ってるかな。
投稿: 未練なし | 2013年9月25日 (水) 23時07分
数年前に退会しましたが、親鸞会に関するものはすべて捨てました。
前にコメントされた方も書いていらっしゃいますが、持ってても気持ち悪いからです。
すべて捨てて、自分自身としてはすっきりしました。
投稿: | 2013年9月25日 (水) 23時55分
書籍もテキストも雑誌も新聞もアニメビデオも、すべて故紙と可燃ゴミに出して捨てました。
公刊書籍は古書店に売ろうかとも思ったのですが、害毒をまき散らす可能性が否定できないので、やはり故紙に出しました。
投稿: | 2013年9月26日 (木) 07時19分
皆さん忙しいところ、ご回答ありがとうございます。ただ小生は会員歴が長く「聖人のお言葉があればゴミと一緒にださず、シュレッターで裁断してから処分するよう指示された」年代でして、会員歴の長い方も処分されましたか。【飛雲さま。小生はアラシではありません。ご迷惑かもしれませんが、「一切衆生必堕無間」で人生の半分以上を棒に振った世代で相談する方がありません』
投稿: | 2013年9月26日 (木) 22時05分
私は50代前半ですが、18歳から20年以上親鸞会に在籍し、10年前退会しました。
白道燃ゆや本願寺なぜはすぐに捨てましたが、顕正新聞縮小版(ハードカバー)は
捨てる際心残りがありました。
親鸞会教義の誤りを知る文献として有益ではないかと思ったからですが、
結局、古紙回収にだしました。
投稿: | 2013年9月26日 (木) 23時54分
親鸞会での「求道」歴二十数年の脱会者です。
自分の場合は、会の資料はできるだけ残してあります。
顕正新聞ととどろき、顕真は家の者に捨てられてしまいました。家の者は会のことを快く思っていなかったので、脱会した途端、無断で処分されてしまいました。
会の資料を残してある理由は、当時何を思っていたか忘れないためと、教えのどこが間違いかハッキリ理解するための材料としてです。
知らず知らずのうちに精神的に色々な影響を受けてしまっているので、それを解きほぐして会の呪縛を解く目的です。
捨てることに関しては、親鸞会の教えは親鸞聖人の教えとも、釈迦如来の教えとも異なるので、ゴミとして捨てることへの抵抗はありません。
投稿: | 2013年9月27日 (金) 00時13分
私も20数年親鸞会にいましたが、顕正新聞・顕真・とどろき等はすべて処分しました。本になっているものは1冊ずつ残してあります。ブログで書くときに参照することがあると思ってです。
親鸞会とは関係のない一般の新聞や書籍にも、経典の御文や親鸞聖人のお言葉が載っていることがあります。それを処分できないという人は多分ないと思います。それらと同じ扱いで良いと思います。
投稿: 飛雲 | 2013年9月27日 (金) 06時32分
「苦笑のひとりごと」「私の白道」「安心問答」「飛雲」さんにより呪縛が解けようとしています。高森会長のことを「鉄工所のおやじみたいで、徳を感じない」と切り捨てた親族がありましたが、初対面で私もそう感じたように思えたのを思い出しました。邪義が捨てられないというのが本願を疑うということになるのなら、捨てることで一向になりたいと思います。(形だけでも)でもマインドコントロールはなかなか抜け切れません。皆さん、お忙しい中ありがとうございました。
投稿: | 2013年9月27日 (金) 20時24分