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2013年9月15日 (日)

邪教と呼ぶ他の宗教団体を遥かに凌駕した金集めをしている親鸞会

20数年前、高森顕徹会長はこんなことを言っていました。

邪教の金集めに比べたら、親鸞会は生ぬるい。

当時は、確かにそうだったと思います。
しかし今は違います。高森会長が邪教と呼ぶ他の宗教団体を遥かに凌駕した金集めをしているのが、親鸞会です。
各支部の会合で話があることは、

いくら出せるのか

だけです。
講師部員にこう言わせているのは、もちろん高森会長です。各事業の赤字補てんも会員に押し付けて、会員は打ち出の小槌としか見做されていません。会員は実に哀れです。

会員は高森会長のことを信じよう信じようと頑張っていますが、何から何までデタラメなのが高森会長です。やっていることがデタラメですが、それも肝心要の教義がデタラメであるからです。これまで10項目と『歎異抄』についての7項目を挙げてきましたが、何一つ反論ができません。ここに、因果の道理を加えて欲しいとの御要望を頂きましたので、加えておきます。

いつもの10項目に1項目追加

1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

6.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ

7.19願について

親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ

8.宿善について

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
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高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない

9.機の深信について

親鸞聖人 自力では出離できない
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高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

10.善知識に無条件服従しなければならないか

親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
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高森会長 善知識に無条件服従せよ

11.因果の道理について

親鸞聖人 罪福の因果を信じることは自力・仏智不思議を疑う心
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高森会長 因果の道理を深信しなければならない

『歎異抄』について

第1章

1.「ただ信心を要とす」の「信心」とは

親鸞聖人 「ただ念仏で往生できる」と信じた心
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高森会長 「助かった」とハッキリした心

2.「本願を信ぜんには他の善も要にあらず」とは

親鸞聖人 本願に救われるには善は不要
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高森会長 救われたなら善は不要だが、救われる前には善が勧められている

3.「悪をもおそるべからず」とは

親鸞聖人 本願に救われるのに、悪が妨げになることはない
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高森会長 悪を恐れ不安になるのは、地獄一定の悪人と知らされていないからだ

第2章

4.「ただ念仏して」の「ただ」とは

親鸞聖人 念仏一行
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高森会長 びっくり仰天

5.「総じてもつて存知せざるなり」とは

親鸞聖人 念仏が浄土に生れる因なのか地獄に行く因なのかを知る智慧を持っていない
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高森会長 知り過ぎた知らん

6.「弥陀の本願まことにおわしまさば」は仮定か断定か

親鸞聖人 仮定
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高森会長 断定

第3章

7.「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」とは

親鸞聖人 善人ではなく悪人のために18願を建てられた
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高森会長 「悪人」とは、全人類のことであり、「人間」の代名詞にほかならない

高森会長の人間性や、親鸞会が完全なトップダウンの組織であることは一般の会員では判らないでしょうが、教義のデタラメだけは隠しようがありません。

今回追加した因果の道理について、一口問答形式で、今後書いていきます。

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コメント

高森会長のことを思い出すたびに怒りが湧いてしまいます。
以前は会をやめようとした人に「人生の目的を投げ出す者など畜生と同じだ。三回回ってワンと言え」と言った話など聞いたものですが、五欲のためだけに生きている高森会長こそ三回回ってワンと言うべきだと思います。

投稿: | 2013年9月15日 (日) 19時37分

名無し 様

お気持ちは、よく判ります。
ただ私なら、「恩を知らざるものは畜生にも劣る」の方をとります。
つまり、会長は三回回ってワンとさえ言える立場にさえないのでは。

投稿: 飛雲 | 2013年9月15日 (日) 21時26分

昔、高森会長が「高森がやっとるのは金儲けじゃ、と言っとるモンがおるが、そういうのを下司の勘ぐりと言うんです」と話すのを何回か聞きました。その当時は私もイッパシの高森先生ファンでしたから、「その通り!」と思って聞いていました。しかし今は、「下司の勘ぐり」こそが正鵠を射ていたとつくづくと思います。

投稿: | 2013年9月15日 (日) 21時44分

それにしても会員は大変ですね。会費 月2度の本部交通費 ご法礼 地元会館の維持費 支部長の会合や
講演会 チラシのお布施 書籍の購入 降誕会 報恩溝その他 1燈会員でも月平均6~7万円 
遠方の会員なら10万円は必要です。
小杉の維持費も会員減少で苦しくなっていますから、それ以上にむしり取ろうとしているのですね。
そのうちに、高岡会館 岐阜会館 滋賀会館を 会員に売りつける話も出てくるんじゃないですか。

今は金儲けというより 自転車操業ですね。会員が1割出し渋ったら破綻しますね。
 

投稿: ぼん | 2013年9月15日 (日) 23時06分

ところで、会員の方々は(もちろんかつての私も)「一つの善もできないと知らされるまで善をやらなければならない」という風に思い込まされていたわけですが、今にして思えば、これはいわゆる「悪魔の証明」というやつなのではないでしょうか?「『ある事実・現象が全くないことを証明させてはならない』という論争上の原則の一つ。」(「ニコニコ大百科」より)というものです。「親鸞会のトリック」というブログを見ていて、「立証責任の転嫁」という言葉が出てきたので思いだしたのです。
高森会長が「人間は悪しかできない(=人間のやることは全て悪だ)」と主張するなら、本来それを証明すべきは会長の方ではないでしょうか?(私は法律とか論理学とかは専門外なので、もし間違ったところがあったらすみません)
お金を出せ、人を連れてこいというのもさることながら、会長はこんなところでも会員さん達に無理難題を押し付けているのでしょうか…?

投稿: あずきあらい | 2013年9月16日 (月) 00時49分

あずきあらい 様

「一つの善もできないと知らされるまで善をやらなければならない」に関しては、もともと日本語としておかしいのです。
善をして一つの善のできないものと知らされることはありません。善をしたのですから。

ここに、「曽無一善」と「雑毒の善」という言葉を加えることで訳の判らない話にして、本人も訳が判っていないのでしょう。

もし最初の文を正しく言いたいのなら、
「真実の善ができないと知らされるまで善をやらなければならない」として、聖道門の方便としての役割を表わすことができます。
しかし、浄土門を信じている時点で「真実の善ができない」を信じているのですから、会員の頭の中では
「一つの(雑毒の)善もできないと知らされるまで(雑毒の)善をやらなければならない」とならざるをえないのですが、これではおかしくなります。
結局、「一つの善もできない」とは何だ?、ということですが、そこは曖昧のまま会長の深い御心で誤魔化すしかありません。

会長自身が自分の言っていることが判っていないので、説明のしようもないでしょう。

投稿: 飛雲 | 2013年9月20日 (金) 05時27分

飛雲様
ありがとうございます。論理学云々以前の問題だったんですね。

>会員の頭の中では
「一つの(雑毒の)善もできないと知らされるまで(雑毒の)善をやらなければならない」とならざるをえないのですが、これではおかしくなります。
結局、「一つの善もできない」とは何だ?、ということですが、そこは曖昧のまま会長の深い御心で誤魔化すしかありません。

「『雑毒の』善をやらなければならない」とは確かにおかしな話です。そもそも何で「『雑毒の』善ができない」と知らされる必要があるのか、とか…(たとえできたとしても『雑毒の』善が往生に役立つはずもないのに)。思うに、よく普段の生活の中で、「できるかできないか、やってみなければ分からないじゃないか」的な状況になることがあるので、それで私も(会長自身も?)おかしいとなかなか気づかなかったのかもしれません。
このブログや、別のブログ等でもよく現役会員(講師部員?)らしき人達がいろんな意味で頭の痛くなりそうなコメントをしているのを目にしますが、この会長にしてあの会員(講師)あり、「頭狂えば尻尾まで狂う」なんて聞いたのはこのことだったのでしょうか。

投稿: あずきあらい | 2013年9月21日 (土) 00時01分

あずきあらい 様

「できるかできないか、やってみなければ分からないじゃないか」というのは、可能性のある話の時に使います。
「東大に合格するかどうかは、やってみないと分からない」は確かにそうです。
「ノーベル賞を取れるかどうかは、やってみないと分からない」は、かなり苦しいですが、不可能ではないです。

しかし、「真実の善ができるかどうかは、やってみないと分からない」というレベルではありません。やってみなくても、煩悩を無くさない限りは不可能ですから、やってみなくてもできないことは判ります。

また「雑毒の善ができるかどうかは、やってみないと分からない」ということは親鸞会の論理からいえば矛盾です。雑毒の善ができると断言しているのですから。

結局、会長も会員も深く考えたことが無いだけのことです。

投稿: 飛雲 | 2013年9月22日 (日) 21時25分

最近、冨士大石寺顕正会が家宅捜索を受けました。実を言うと友達が顕正会にはまっています。それでも年会費が最低1万円、新聞代が年間7200円です。

投稿: プラウンタビー | 2013年9月30日 (月) 09時23分

プラウンタビー 様

如何に親鸞会の金集めが酷いか判りますね。

投稿: 飛雲 | 2013年10月 6日 (日) 06時40分

顕徹死んだら親鸞会終わりやな

投稿: 元会員 | 2014年1月20日 (月) 09時00分

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