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2013年7月 3日 (水)

高森顕徹会長を喜ばせる財施は永久にできない

全国の会館建設で、財務状況が若干改善されたものの、自転車操業から抜け出せず、会員の負担は年々重くなってきています。

昔、高森顕徹会長は、「邪教に比べたら親鸞会の金集めは生ぬるい」と言っていましたが、今やその邪教を遥かに上回るなりふり構わぬ金集めがなされています。

通常なら、その異常さに気が付くのでしょうが、善の勧めなる妄想でマインドコントロールされた会員は、泣きながら耐え忍んでいます。

その心情は、「命懸けで善をしたならば、微塵の善もできないことが知らされて、自力が廃る」というものでしょうが、こんな変な理屈は親鸞会内だけでしか通用しません。

よく、「親孝行をすれば、親孝行のできないことが知らされる」と言いますが、この意味するところは、親孝行して親を喜ばせようとすると、親が子供に気を遣って、却って親に苦労させることになり、本当の意味で親孝行にならないことです。親孝行という行為自体ができないのでもなければ、親孝行したいという気持ちが嘘なのでもありません。

同様に、善をして善が微塵もできないと知らされるのではなく、中途半端な善しかできないと知らされるだけです。善をしたのですから、これだけの善ができたという実績が積み上がるだけです。

聖道門において、命懸けで善をするのは、成仏が目的です。19願諸行往生においては、報土往生が目的です。これらを目指している人が、成仏できる真実の善ができない、報土往生できる真実の善ができない、と知らされることはあるでしょう。
しかし、18願念仏往生を目指している人が、命懸けで善をして何を知らされたいのでしょうか。

善が微塵もできないと知らされることはありませんし、そもそもそんなことを知らされる必要がありません。

善人は善人のまま、悪人は悪人のまま救うと誓われたのが、18願です。

善によって初地まで至られた龍樹菩薩は菩薩のまま救われたのです。善根薄少で出離できないと仰った善導大師は出離できないまま、いずれの行も及びがたいと仰った親鸞聖人は行の及ばないまま、泥棒さえ止めることのできなかった耳四郎は泥棒のまま、父親を殺した阿闍世は五逆罪のまま、みな等しく救われたのです。

菩薩も善凡夫も悪凡夫も共通して知らされることは、『高僧和讃』

煩悩具足と信知して
 本願力に乗ずれば
 すなはち穢身すてはてて
 法性常楽証せしむ

です。

会員も気が付いて欲しいものです。

親鸞会に財施をして知らされることは、高森会長を喜ばせる財施は永久にできない

ということを。

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コメント

「邪教に比べたら親鸞会の金集めは生ぬるい」
また、小杉に会館を建てるにあたって、会長は全国の邪教の本部を見て回ったとも言っていました。
何かと邪教を引き合いに出すあたり、会長自身は自分がしていることの意味を解っているということでしょう。
知らぬは会員ばかりなり。苦しいサークル活動です。

投稿: | 2013年7月 4日 (木) 00時20分

名無し 様

本当にその通りだと思います。

投稿: 飛雲 | 2013年7月 4日 (木) 07時50分

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