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2013年7月17日 (水)

雑行の意味さえ知らない高森顕徹会長

親鸞会は、雑行の意味についても知りません。
蓮如上人は

雑行をすてて、後生たすけたまえと一心に弥陀をたのめ

と『御文章』に何度も書き記しておられますが、

蓮如上人が「雑行をすてて」と仰っていることは、他力に帰すと同時なのだ、という勝手な解釈をしています。

蓮如上人の教学を語る上で、存覚上人を抜きにすることはできません。

『御一代記聞書』158に

前々住上人(蓮如)、南殿にて、存覚御作分の聖教ちと不審なる所の候ふを、いかがとて、兼縁、前々住上人へ御目にかけられ候へば、仰せられ候ふ。名人のせられ候ふ物をばそのままにて置くことなり。これが名誉なりと仰せられ候ふなり。

(現代語訳)

蓮悟さまが、蓮如上人のおられる南殿へおうかがいし、存覚上人の著わされたお聖教に少し疑問に思うところがあるのを書き出して「どういうことでしょうか」と、上人にお見せしました。
すると上人は、「名人がお書きになったものは、そのままにしておきなさい。
こちらの考えが及ばない深い思し召しのあるところが、名人の名人たるすぐれたところなのである」と仰せになりました。

とあります。
蓮如上人は、存覚上人のことを釈尊の化身、勢至菩薩の化身とも敬っておられ、その著書も最大限の敬意を表して、そのまま受け入れられたのです。

では親鸞聖人が仰った有名な御言葉

建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。

を存覚上人はどのように解釈なされているのか。
『六要鈔』では、

「建仁」等とは、元年辛酉、大祖聖人六十九歳、鈔主聖人二十九歳。始めて門下に入りて即ち宗旨を伝う。

とあります。
雑行を棄てて」=「(法然上人の)門下に入りて
です。
法然上人の門下に入ったことと、他力に帰したこととは同時ではありません。

蓮如上人にこのことを尋ねてみるとどう答えられるでしょうか。

名人のせられ候ふ物をばそのままにて置くことなり。これが名誉なり

でしょう。

高森顕徹会長以下、講師部員はこんなことさえ知らないのです。

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コメント

雑行に二つありますが、区別が出来てますでしょうか?

投稿: 一年生 | 2013年7月24日 (水) 13時01分

雑行は雑行ですが、何か疑問がありますか?

雑行とは、正助を除きて以外をことごとく雑行と名づく。(化土巻)

投稿: 飛雲 | 2013年7月24日 (水) 21時50分

雑行に二つあるとして、どういう論理展開で、どういう結論になるのかいまいち分かりませんが…

投稿: | 2013年7月25日 (木) 00時20分

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