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2013年7月 7日 (日)

高森顕徹流邪義の意図

微塵の善もできない者と知らせるために、善をするように勧められている」というのが、高森顕徹流邪義です。もちろん、これも大沼師からのパクリ損ないです。

もし、この理論が正しいとするならば、「微塵の善もできない者」とは「最もレベル度の低い善さえもできない者」の意味になる筈です。
なぜなら、「最もレベルの高い善はできないが、少しレベルをさげればできるかもしれない」という思いは、必ず出てきます。

『観無量寿経』で言えば、
定善が最もレベルが高く、定善のできない者のために釈尊は散善を説かれています。
散善の中でも、行福が一番レベルが高く、次に戒福、そして一番レベルの低いのが世福です。

レベルの高い順番に並べると、

定善>行福>戒福>世福

になります。

したがって、「微塵の善もできない者」と知らせるために善を勧めるならば、世福を勧めなければなりません。定善ができなくても、行福はできるかもしれません。行福ができなくても、戒福はできるかもしれません。戒福ができなくても、世福ができるなら、「微塵の善もできない者」は否定されてしまします。

ここまでは単純な理屈です。誰でも理解できる内容だと思います。

ところがこの単純な理屈が全く理解できないのが、高森会長であり、講師部員であり、会員です。

韋提希は、定善を実践しようとして定善ができず、「微塵の善もできない者」と知らされたことになっています。おかしいではないですか?

親鸞会では会員に勧められている善は建前上六度万行で実際は布施だけですが、これは行福です。命懸けで行福をしようとしてできなかったら、「微塵の善もできない者」と知らされることになっています。おかしくないですか?

なぜなら、最もレベルの低い、簡単な世福はできるかもしれないという”自惚れ”は、世福をしてみないとなくならないでしょう。
世福の代表は親孝行ですが、親鸞会では、

・親に反対されても、
・親から勘当されても、
・酷い例では親が自殺までして親鸞会を辞めるように抗議しても、

親鸞会で勧められる布施を優先するように指導されています。
布施を辞めれば、親孝行できる可能性は高くなりますが、無視し続けています。

これでは、世福さえもできない「微塵の善もできない者」と知らされることなど永久にありません。

補足すれば、韋提希が最初に実践しようとしたと親鸞会が説明する日想観は、定善十三観の中で、最も簡単なレベルの低い善です。しかし、韋提希は日想観ができなかったのに、日想観よりもレベルの高い水想観、更に地想観、…に挑戦していることになりますが、これもおかしいでしょう。
その証拠に『観無量寿経』地想観に、

この想成ずるとき、一々にこれを観じて、きはめて了々ならしめよ。
閉目・開目に散失せしめざれ。ただ睡時を除きて、つねにこの事を憶へ。かくのごとく想ふものを名づけて、ほぼ極楽国地を見るとす。

(現代語訳)

さてこの観が成就したなら、さらにそのようすを一つ一つ想い描き、それがきわめてはっきりと見えるようにして、目を閉じても開いても目の前から消え失せないようにしなければならない。そしてただ眠っているときを除いて、常にこのことを想い続けるがよい。このように想い描くことができれば、ほぼ極楽世界の大地を見たということができる。

とあります。
この想成ずる」は前の水想観のことですから、水想観ができたら地想観に進むという順番です。
もちろん

地想観>水想観>日想観

です。

不勉強の高森会長が『観無量寿経』を読んだことがないのは、当然でしょうが、理屈だけは通しておけば、恥をかかなくても済むのです。

高森会長にでも理解できるように結論を書いておきます。

「微塵の善もできない者」と知らされるために善を勧めるなら、世福を最も勧める筈です。世福を勧めずに、定善でもなく戒福でもなく行福のしかも布施だけを強く勧めるのは、高森会長の意図は違う所にある、ということです。

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コメント

知らされるか、知らされないか、まずはやってみよ。やってもみないものがわかる
ことでないって言うんでしょうね。これはやはり騙されますよね、目の前の人間が
ものすごく自身一杯訴えてくるんですから。とくに学生は。やはりS会みたいなのが
跋扈するのは社会の責任であり大学の責任は重大でしょうね、働いたことない学生は
まだまだ子供だという認識で京大とか早稲田とか放置せずに厳しく取り締まって欲し
いですね。自分も騙された口なんで、旧帝大とか出ていても親鸞会に就職しようものなら
終わりですから。

投稿: | 2013年7月 7日 (日) 21時49分

質問その一
あるお坊さんが六度万行が難しいと嘆いて祈願して菩薩に教えてもらったのが千日回峰行と聞いたことがありますが本当でしょうか?

質問その二
千日回峰行は諸善だと思うのですがなんで高森の聴聞に極まろうとしていながら三願転入とか叫ぶのでしょうか?千日回峰行ド真剣にしている講師や会員はおられましたか?

質問その三
千日回峰行より難しい六度万行を勧めておいて善が出来ないものと知らせたいとは、飛雲さんも本文でおっしゃるように可笑しくないですか?

質問その四
五正行より高森の話が偉いとか何様なんでしょうか?

質問その五
高森の話って特定人物の教説で金納めればお浄土行きが決まる信心決定までいけるってな話で人も誘え、金なければ努力しろ、と言ってるように思いますが、それって金集め目的を会員は求道にしていると感じますが、永遠にお金必要ですよね?親鸞会ってなんでしょう?

質問その六
ネットでは十年以上様々な方々が親鸞会に色々な点を指摘され続けましたが、親鸞会が善が出来ないと気付くことはありそうでしょうか?ネット以外でしたら何十年と経ちますが…。

投稿: 無駄 | 2013年7月 7日 (日) 22時03分

とても解り易いです。
善知識高森先生一撃でダウンの巻と言ったところでしょうか。

投稿: | 2013年7月 8日 (月) 22時43分

高森会長殿、お願いだからその団体名から「浄土真宗」と「親鸞」は外して下さい。飛雲さんの記事を読む度にそう思います、つくづくと。

投稿: | 2013年7月 9日 (火) 23時50分

言葉のあやでしょう。気にするほどのことではありませんね。

投稿: | 2013年7月10日 (水) 17時07分

コメントを頂いた皆様

冷静に考えれば、高森会長の言っていることは矛盾だけですが、詭弁に上手く騙されて、何となく筋が通っているように思わされているに過ぎません。
目の醒めた人が、未だ眠っている人を揺するしかないでしょう。

高森会長は、あのままで、一生を終るでしょうから。

投稿: 飛雲 | 2013年7月10日 (水) 21時14分

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