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2013年7月21日 (日)

会員の選択の自由を奪う高森顕徹会長の手口

前々回、存覚上人が

雑行を棄てて」=「(法然上人の)門下に入りて

と解釈されていることを紹介しましたが、ここから言えることは、法然上人が雑行を勧めておられなかった、ということです。
当然と言えば当然なのですが、親鸞会はこの程度のことさえ、認めようとはしません。

法然上人の『選択本願念仏集』の結論である三選の文は、

それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣きて選びて浄土門に入るべし。
浄土門に入らんと欲はば、正雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛てて選びて正行に帰すべし。
正行を修せんと欲はば、正助二業のなかに、なほ助業を傍らにして選びて正定をもつぱらにすべし。
正定の業とは、すなはちこれ仏名を称するなり。名を称すれば、かならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑなり。

です。
ここで仰っていることは、直ちに出離したいのなら

1.聖道門を捨てて浄土門に入りなさい
2.雑行を捨てて正行に帰しなさい
3.助業を傍らに置いて正定業の念仏を専修しなさい


という3つのことを実践しなさいということです。

1は、諸行によってこの世でさとりを開いて聖者となり成仏を目指す聖道門を捨てて、死後に浄土往生して成仏する浄土門を選びなさい、です。阿弥陀仏の本願を聞いている時点で、1の条件はクリアしています。

2は、本来聖道門における諸行はそのままで浄土を願って修すれば雑行となりますが、その雑行を捨てて、往生の正しい行である正行を修しなさい、です。これは1と関係していますが、雑行は聖道門の延長ですから、聖道門の考え方から脱却すれば、2の条件もクリアできます。親鸞聖人が法然上人の門下に入られた時点で、これを親鸞聖人はクリアされているのです。

3は、正しい往生行の中でも読誦・観察・礼拝・讚歎供養の4つは、18願に誓われた行ではないので、18願に誓われた念仏一行を専ら修しなさい、です。念仏称えることで往生させてみせると誓われた18願通りになることで、これが「本願に帰す」になる訳です。

このように法然上人は判りやすく3段階で、「本願に帰す」ことを教えられたのですが、親鸞会はこれが理解できない、というよりも理解したくないのです。

聖道門と浄土門のどちらを選択するかは、自分の意思です。この世でさとりが開け、いつか成仏できると思う人は聖道門を選ぶでしょうが、歴史に名を残した先達でさえ現実としてできなかったのに自分ができる筈が無いと思う人は浄土門を選びます。聖道門を実践しなければ浄土門を選択できないのではありません。

ならば同様に、雑行と正行のどちらを選択するかも、自分の意思で決定できるのです。助業と正定業の選択も同じです。

要するに、正定業の念仏一行を選択して、他を捨てるのは、その人本人の意思でなされるものであって、自分の意思で捨てることができないのではありません。

以上のことは、何も難しいことではありませんが、高森顕徹会長の詭弁に騙されると、雑行を強要されることになります。

聖教を少し読むだけで、高森会長の嘘は見抜けるのですが、聖教を読むことさえ禁止された会員には、正邪選択の自由も奪われてしまっているのです。

高森会長の極めて悪質な騙しの手口が、ここでも判るでしょう。

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コメント

雑行を捨てるとはどういうことでしょうか?善をしなくなることではないですよね?

投稿: とある名無し | 2013年7月22日 (月) 22時07分

>とある名無しさん

まず「善」という言葉の定義をされた方が良いと思いますよ。

投稿: | 2013年7月23日 (火) 00時40分

とある名無し 様

新しいエントリーに書いておきましたので、参考にしてください。

投稿: 飛雲 | 2013年7月23日 (火) 06時49分

あなた方の主張している「念仏一行」とは、称名正因の異安心のように思えますが、どこが違うのでしょうか?

投稿: 一年生 | 2013年7月24日 (水) 12時55分

一年生 様

自力念仏と他力念仏の区別はつきますか?
「念仏一行」は、法然上人が仰った結論であり、それをい受け継がれたのが親鸞聖人です。
当エントリーではこのことしか書いていません。

どこが違うは、自力と他力の違い、信心の有無の違いですが、信心とは、「念仏一行」と心が定まったことをいいます。

これまで何度も述べてきましたが、一度くらいは読んでください。

投稿: 飛雲 | 2013年7月24日 (水) 21時47分

信心のひとにおとらじと
疑心自力の行者も
如来大悲の恩を知り
称名念仏はげむべし

自力諸善のひとはみな
仏智の不思議をうたがえば
自業自得の道理にて
七宝の獄にぞいりにける


未信の人にお念仏を勧めるはずだけど諸善を勧めるのは獄に入って欲しいからかな?

投稿: 往生においての話 | 2013年7月24日 (水) 23時35分

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