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2013年6月16日 (日)

謗法罪と仏智疑惑の違いさえ理解すること「あたはず」の高森顕徹会長と退会偽装者

親鸞会は、謗法罪と仏智疑惑との区別もつかないほどの無知です。

聖教を読んだことのない高森顕徹会長は、釈尊や善知識方が死後のことをどのように仰っているか、何も知りません。退会偽装者ももちろん知りません。

さて、死後のことについて最も詳しく教えられているのが源信僧都の『往生要集』です。衆生が死後に行く世界について、以下のように書かれています。

問ふ。不信のもの、なんの罪報をか得る。

答ふ。
『称揚諸仏功徳経』の下巻にのたまはく、「それ、阿弥陀仏の名号功徳を讃嘆し称揚するを信ぜざることありて、謗毀するものは、五劫のうちに、まさに地獄に堕して、つぶさにもろもろの苦を受くべし」と。

問ふ。もし深信なくして疑念をなすものは、つひに往生せざるや。

答ふ。
まつたく信ぜず、かの業を修せず、願求せざるものは、理として生るべからず。もし仏智を疑ふといへども、しかもなほかの土を願ひ、かの業を修するものは、また往生することを得。『双巻経』にのたまふがごとし、「もし衆生ありて、疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修して、かの国に生れんと願じて、仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了せず、このもろもろの智において疑惑して信ぜず、しかもなほ罪福を信じ、善本を修習して、その国に生ぜんと願ぜん。このもろもろの衆生は、かの宮殿に生じて、寿五百歳、つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞の衆を見たてまつらず、このゆゑにかの国土においては、これを胎生といふ」と。{以上}仏の智慧を疑ふは、罪、悪道に当れり。しかも願に随ひて往生するは、これ仏の悲願の力なり。

(現代語訳)

問う。信じない者は、どのような罪の報を得るのであるか。

答える。《称揚諸仏功徳経》の下巻に説かれている。

もし、阿弥陀仏の名号の功徳を讃めたたえることを信じないで、謗り毀つ者があるならば、五劫のあいだ地獄に堕ちて、つぶさにもろもろの苦を受けねばならぬ。

問う。もし深心がなくて、疑念を生ずる者は、結局往生できないのであるか。

答える。もし、全く信ぜず、往生の業を修めず、浄土を願い求めない者は、道理として往生するはずがない。しかしながら、もし仏智を疑うけれども、それでもやはり、かの浄土に生まれたいと願い、往生の業を修める者は、これもまた往生することができるのである。

《無量寿経》に説かれているとおりである。

もし、人々の中で、疑いの心を持ちながら、いろいろの功徳を修めて、かの国に生まれたいと願い、仏智、思いもおよばぬ智慧 (不思議智)、はかり知られぬ智慧、すべての者を救う智慧、ならびなくすぐれた智慧を知らず、いろいろの仏の智慧を疑って信ぜず、しかもなお罪の報を恐れ、おのが善根をたのむ心をもって善の本を修め、それによってかの国に生まれたいと願うものがあれば、これらの人は、かの国に生まれても宮殿の中にとどまり、五百年のあいだ、少しも仏を拝むことができず、教法を聞くことができず、菩薩・声聞などの聖衆を見ることもできない。それゆえ、これをたとえて胎生というのである。

仏の智慧を疑うのは、悪道に堕ちる罪に相当する。けれども、その願いにしたがって往生するというのは、仏の大悲の願力によるのである。

宮殿」とは、化土のことです。

謗法罪の者は地獄ですが、「かの土を願ひ、かの業を修する」仏智疑惑の者は化土往生です。親鸞聖人も『正像末和讃』誡疑讃

仏智疑惑のつみにより
 懈慢辺地にとまるなり
 疑惑のつみのふかきゆゑ
 年歳劫数をふるととく

仏智疑惑のつみゆゑに
 五百歳まで牢獄に
 かたくいましめおはします
 これを胎生とときたまふ

などなど、他でも至る所で教えておられます。

仏智疑惑と謗法罪の違いは、真宗では常識ですが、親鸞会は真宗ではないから判らないのも仕方がないです。誰もが例外なく謗法罪を造っているという妄想から、仏智疑惑を謗法罪と考えるカルト思考です。

聖教から判ることは、

謗法の者―地獄
一般の者―悪道
浄土を願う自力の者―化土往生
深信の者―報土往生

ということです。深信の者以外は無間地獄、などという愚かな教えはありません。
従って、浄土を求めながらも他力になれない人は、化土往生というのが、浄土仏教の常識です。

以上のように、「一切衆生必堕無間」など、真宗とは無関係の教えです。化土往生も完全に否定し、それを親鸞聖人の教えだと断言しているのですから、救いようがないです。

ところで、親鸞会の会員は浄土を願っているでしょうか?
熱心な会員は必堕無間からの逃避を願っていますが、それは浄土を願っているのではありませんので、化土往生もできません。

退会偽装者など、自己の保身しか考えておらず、念仏1つと説く者を謗り続けていますので、「阿弥陀仏の名号功徳を讃嘆し称揚するを信ぜざることありて、謗毀するもの」です。

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