« 「凡夫」の意味さえ、高森顕徹会長・退会偽装者には、理解すること「あたはず」 | トップページ | 謗法罪の意味も理解すること「あたはず」の高森顕徹会長・退会偽装者 »

2013年6月13日 (木)

今回も高森顕徹会長と退会偽装者には理解することあたはずの内容

予言したとおり、親鸞会に染まった頭では前回のエントリーが理解することあたはずでした。

当然なことです。

「かたし」「ごとし」「2通り」の意味さえ知らない知能で、前回のエントリーが理解できたら奇跡でしょう。

さて、親鸞聖人は、衆生の機について、『唯信鈔文意』で詳しく教えられています。

「不簡多聞持浄戒」といふは、「多聞」は聖教をひろくおほくきき、信ずるなり。「持」はたもつといふ、たもつといふは、ならひまなぶこころをうしなはず、ちらさぬなり。「浄戒」は大小乗のもろもろの戒行、五戒・八戒・十善戒、小乗の具足衆戒、三千の威儀、六万の斎行、『梵網』の五十八戒、大乗一心金剛法戒、三聚浄戒、大乗の具足戒等、すべて道俗の戒品、これらをたもつを「持」といふ。かやうのさまざまの戒品をたもてるいみじきひとびとも、他力真実の信心をえてのちに真実報土には往生をとぐるなり。みづからの、おのおのの戒善、おのおのの自力の信、自力の善にては実報土には生れずとなり。

「不簡破戒罪根深」といふは、「破戒」は上にあらはすところのよろづの道俗の戒品をうけて、やぶりすてたるもの、これらをきらはずとなり。「罪根深」といふは、十悪・五逆の悪人、謗法・闡提の罪人、おほよそ善根すくなきもの、悪業おほきもの、善心あさきもの、悪心ふかきもの、かやうのあさましきさまざまの罪ふかきひとを「深」といふ、ふかしといふことばなり。すべてよきひと、あしきひと、たふときひと、いやしきひとを、無碍光仏の御ちかひにはきらはずえらばれずこれをみちびきたまふをさきとしむねとするなり。真実信心をうれば実報土に生るとをしへたまへるを、浄土真宗の正意とすとしるべしとなり。

(現代語訳)

「不簡多聞持浄戒」というのは、「多聞」とは、聖教を広く多く聞き、信じることである。「持」は、「たもつ」ということである。「たもつ」というのは、習い学ぶ心を失わず、散漫にならないことである。「浄戒」とは、大乗・小乗のさまざまな戒律のことであり、五戒、八戒、十善戒、小乗の具足戒、三千の威義、六万の斎行、『梵網経』に説かれる五十八戒、大乗一心金剛法戒、三聚浄戒、大乗の具足戒など、出家のものや在家のものが守るすべての戒律をいう。そしてこれらをたもつことを「持」というのである。このようなさまざまな戒律をたもっている立派な人々であっても、本願他力の真実信心を得て、はじめて真実の浄土に往生を遂げることができるのである。自らの力によってそれぞれが戒律を守ることで得る善根、それぞれの自力の信心や自力の善根では、真実の浄土には生れることができないというのである。

「不簡破戒罪根深」というのは、「破戒」とは、これまでに示したような出家のものや在家のものの守るべきさまざまな戒律を受けていながら、それを破り、捨ててしまったもののことであり、このようなものを嫌わないというのである。「罪根深」というのは、十悪、五逆の罪を犯した悪人、仏法を謗るものや一闡提などの罪人のことであり、総じて善根の少ないもの、悪い行いの多いもの、善い心が浅いもの、悪い心が深いもの、このような嘆かわしいさまざまな罪深い人のことを「深」といっているのであり、すなわち「深」は「ふかい」という言葉である。総じて、善い人も、悪い人も、身分の高い人も、低い人も、無碍光仏の誓願においては、嫌うことなく選び捨てることなく、これらの人々をみなお導きになることを第一とし、根本とするのである。他力真実の信心を得れば必ず真実の浄土に生れると教えてくださっていることこそ、浄土真実の教えの本意であると知らなければならないというのである。

と、親鸞聖人は、善人と悪人を分けて説明されています。

よきひと
=「多聞持浄戒」の人

あしきひと
=「破戒罪根深」の人

です。「あしきひと」「破戒罪根深」の人を更に分ければ、

破戒」の人
=「よろづの道俗の戒品をうけて、やぶりすてたるもの

罪根深」の人
=「十悪・五逆の悪人、謗法・闡提の罪人
=「善根すくなきもの、悪業おほきもの、善心あさきもの、悪心ふかきもの

となります。
つまり、親鸞聖人は善人と悪人とをこのように定義されて、悪人も細かく区別されています。十方衆生が、五逆、謗法、闡提という意味で仰っていないことは、明らかです。

『唯信鈔文意』はもちろん『唯信鈔』を解説なされたものですから、「あしきひと」「破戒罪根深」の人についてもともとの『唯信鈔』では、

仏いかばかりのちからましますとしりてか、罪悪の身なればすくはれがたしとおもふべき。五逆の罪人すら、なほ十念のゆゑにふかく刹那のあひだに往生をとぐ。いはんや罪五逆にいたらず、功十念にすぎたらんをや。罪ふかくはいよいよ極楽をねがふべし。「不簡破戒罪根深」(五会法事讃)といへり。善すくなくはますます弥陀を念ずべし。

と書かれてあります。
私たちは五逆罪までは犯していませんが、「罪悪の身」です。しかし、当ブログの読者は、五逆の者でさえないのですから、仏法を積極的に謗る謗法の者でもありませんし、仏法を求める心のない闡提でもありません。

では「多聞持浄戒」の人は、自力で真実の報土に生まれられるのかどうかについて先の『唯信鈔文意』で

みづからの、おのおのの戒善、おのおのの自力の信、自力の善にては実報土には生れずとなり。

と仰っています。

善人であっても、報土には往けません。

ですから、善人悪人関係なく、他力念仏に帰して、報土に往生しなさい、と仰っているのです。

善人がいないとか妄想に浸っている親鸞会には、驚天動地の御文でしょう。もちろん理解できれば。

|

« 「凡夫」の意味さえ、高森顕徹会長・退会偽装者には、理解すること「あたはず」 | トップページ | 謗法罪の意味も理解すること「あたはず」の高森顕徹会長・退会偽装者 »

法論」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1323088/52025496

この記事へのトラックバック一覧です: 今回も高森顕徹会長と退会偽装者には理解することあたはずの内容:

« 「凡夫」の意味さえ、高森顕徹会長・退会偽装者には、理解すること「あたはず」 | トップページ | 謗法罪の意味も理解すること「あたはず」の高森顕徹会長・退会偽装者 »