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2013年6月 8日 (土)

高森顕徹会長も講師部員も想定通りの反論(?)しかできない

高森顕徹会長も講師部員も、想定通りにしか反論しませんので、法論に勝つことは実に容易いです。

例の退会者偽装ブログについては、相手をしてくださる方がありますので、任せておけばいいでしょう。

コメント欄にもあります通り、今回の結論は、

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・真実の経の大経には、三輩が説かれている。

・真実の経の大経には、衆生は闡提の一機と説かれていない。

・涅槃経には、上根・中根・下根と分けられていると親鸞聖人が教えられている。

・存覚上人は、上根・下根と分けられたり、善人・悪人と明確に分けられている。

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です。

大経の根拠を出せと言っても出せないのですから、存覚上人の説をとらないと言いながら、存覚上人の『六要鈔』を出してくるところが、流石です。

真実の経は大経のみ → 根拠は涅槃経
存覚上人の説はとらない → 根拠は存覚上人

『六要鈔』しか出してこないことは最初から判っていましたので、2番目を言いたいが為に、ちょっと罠に嵌めてあげたのですが、本人は気が付いていないでしょう。

いつも言っているように、親鸞会と法論して勝つには、親鸞会が出してきた根拠の前後を読めばいいだけです。

今回は、M野さんの相手をしておきましたさんのコメントで十分でしょう。

補足すれば、『六要鈔』の解説は、定善の機が九品の中に入るのかどうかの話ですから、最初から的外れです。

さて、私はこれまで親鸞聖人と高森会長との違いとして、10項目を挙げて、親鸞会に提示してきましたが、何一つ直接反論してきません。反論できないから、内輪で反論を偽装していたり、退会者や僧侶を偽装してブログを書くのが関の山です。

いつもの10項目

1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

6.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ

7.19願について

親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ

8.宿善について

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
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高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない

9.機の深信について

親鸞聖人 自力では出離できない
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高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

10.善知識に無条件服従しなければならないか

親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
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高森会長 善知識に無条件服従せよ

この10項目の中で、善の勧めについては、ない知恵を絞って、必死になって下劣な漫画で会員の洗脳を試みています。

親鸞聖人が、往生・獲信のために善を勧められたことは一箇所もありません。当然なことで今更説明するまでもないでしょう。

これに対して親鸞会は、善の勧めの根拠がないので、お勤めや聞法が勧められている、ということをしきりと言っています。

問答としては実に頓珍漢です。簡単に言えばこういうことです。

問い

布施等の善を勧めらた根拠がないではないか?

答え

お勤めや聞法が勧められているではないか。

親鸞会らしい詭弁です。

このことについては

「善知識方は五正行を勧められている」は本当?

で述べてありますので、親鸞会の詭弁に騙されそうな方は読んでおいてください。

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コメント

以下コメントしておきました。


「 『この願成就の文は、すなわち三輩の文これなり。
『観経』の定散九品の文これなり。」
 次にこの願の下一行余は、私の御釈なり。『観経』等とは、
問う、九品の行は、これ散善なり。何ぞ定散というや。
答う、総じて定散を標す。その二善の中に別して散善の中の九品を挙ぐ。
三輩九品は一機たるが故に九品を標するなり。」(六要鈔)


これはね、簡単に言うと、


問い

九品の行は散善なのに、なぜ定善を含んだ定散というのか。

答え

まとめて定散という。定散二善の中に、別に散善の九品を挙げられている。
親鸞聖人が「三輩の文」「『観経』の定散九品の文」と仰っているが、「三輩」「九品」は同じ機のことであるから、「九品」で顕わされている。

つまりね、三輩と九品は、法然上人が仰っているように、まとめると3つになり、細かく開くと9つになるということ。定善の機はもちろん上品に含めてね。

もう一回言っておこうか。

三輩九品は同一の機を大きくまとめるか、細かく分けるかの違いだけで、内容は同じということ。


三輩九品は闡提の一機におさまるということではないわね。
2013-06-08(20:04) : 「三輩九品は一機」の意味 URL : 編集

投稿: 「三輩九品は一機」の意味 | 2013年6月 8日 (土) 20時08分

「三輩九品は一機」の意味 様

あまり詳しく教えると、罠に嵌ってくれませんから、程々にお願いします。

投稿: 飛雲 | 2013年6月 8日 (土) 22時26分

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