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2013年5月 8日 (水)

余りにも無教学な高森顕徹会長

覚如上人の御著書には、『歎異抄』と重なる内容の記述がいくつも見られます。そのために、以前は、覚如上人が『歎異抄』の著者ではないかとの説があったくらいです。しかし、その説は否定されて、『歎異抄』の著者は唯円というのが定説になっています。
覚如上人は、その唯円に会って直接話を聞かれていますので、『歎異抄』とはやや異なる表現をされています。

したがって、『歎異抄』の解釈をしようとするならば、覚如上人の御著書との比較が必要になりますが、高森会長はそれをしていません。

なぜなら、読んでいないからです。

このこと1つとってみても、高森会長が如何に無教学であるかがよく判ります。

覚如上人の御著書でさえ読んでいないのですから、難しい『教行信証』を読んでいることは絶対にない、と断言できます。『教行信証』を読んでいたら、あそこまで愚かな教義にはならなかったでしょう。

高森会長は、大沼師と伊藤師の著書を読んで、そこに引用されていた聖教上の文を書き留めて、それを使いまわすことで大学者を装っているに過ぎません。もちろん、その御文の意味も知らずにです。

『歎異抄をひらく』に出てくる根拠も全く同様です。『教行信証』をもって解釈したとか言いながら、ほとんど関係のない『教行信証』の御文の引用で支離滅裂の解釈になっています。

前回出した7項目については、これまで当ブログで何度も言ってきたことですから、読者の皆さんはお判りのことでしょう。

これまで言及してこなかったことで「高森親鸞会の誤りと浄土真宗の正義」にも取り上げられていることの中に、「無碍の一道」があります。

『歎異抄をひらく』に見る親鸞会の間違い【11】《念仏者は無碍の一道なり》

です。

「無碍の一道」については、『教行信証』を読んでいたら、『浄土論註』更には『華厳経』との関連に気が付く筈です。しかし、それが全くないのですから、高森会長も講師部員も『教行信証』を全く読んでいないことが判ります。

親鸞聖人は『教行信証』の中で、『華厳経』を直接あるいは間接的に多く引用されていますので、親鸞聖人の教えを語る上で、『華厳経』は重要な経典と言えます。

ところが高森会長から話を聞いたことのある方なら判ると思いますが、高森会長は七大経という創作教義の中で、『華厳経』を最初に説かれた最も難解な経典というだけです。

それを聞いたなら、『華厳経』は親鸞聖人の教えとは関係ない、と思うでしょう。高森会長も直接は言いませんが、そう思い込んでいることは間違いないです。なぜなら、菩薩しか理解できない最も難解な経典なのですから、知る必要がないと勘違いしているでしょう。

ただ、今回「高森親鸞会の誤りと浄土真宗の正義」に『華厳経』のことが書かれたため、突如、したり顔で『華厳経』の話がでてくるかもしれません。

その際は100%パクリですから、著作権侵害で訴えられるかも?

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