« 無二の善知識の種と仕掛け | トップページ | 高森顕徹会長とその弟子達の無知を証明しておきます »

2013年5月28日 (火)

聖教上の根拠なし・嘘・断章取義・隠れての反論しかできない親鸞会

親鸞会も高森顕徹会長も、外部からの批判には何一つ答えることができません。
しかしあれだけ威勢の良いことを言った手前、外部からの批判に答えていることにしなければならないので、苦労しているようです。

外部者が直接読むことのできない顕真に、「ひと口問答」を連載してこっそり反論を装うも、当然のようにボコボコにされ、
講師部特専部講義で「白道」について秘密の反論をして、その内容を自信満々顕真に紹介するも、完膚なきまでに叩きのめされてしまいました。

この内容は、すべて

「浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人のみ教えと同じか?」

にまとめてありますので、まだ見られていない方は、見ておいてください。

そこで苦肉の策として、親鸞会とは関係ない人物が親鸞会と高森会長の説を擁護する手口を思いつきました。法論に負けても親鸞会と高森会長に傷が付かないようにする汚い作戦です。

以前にもそれをしていて、私が反論すると何も言い返せず、しかも会員の評判も悪かったことから中断していたのですが、また復活させたとある方から教えて頂きました。

本願寺が間違っていると散々非難しておきながら、本願寺の説と高森会長の説が一致しているから、高森会長は正しい、との理屈です。しかもそれを会員に読ませるのですから、情けないの一言です。

機の深信について書いているようですが、高森会長の説を裏付ける根拠が本願寺出版社の『真宗の教義と安心』の断章取義です。

この書物に以下の一節があります。

機の深信とは、自らが地獄一定の存在であると、機の真実を信知すること

これが、私の機の深信の説明と違うと言っているのです。ちなみに聖教上の根拠は全くありません。

さて、『真宗の教義と安心』には実際にどう書かれてあるか皆さんにも紹介しておきます。

「真偽検証」
「地獄一定」という言葉は同じでも、その意味するところが違う

にも取り上げられています。

 機の深信とは、自らが地獄一定の存在であると、機の真実を信知することであり、法の深信とは、本願はそのような機をまちがいなく救う法であると、法の真実を信知することである。
 この二種深信は互いに矛盾した事実(地獄一定、往生決定)の信知と理解されやすい。しかし、機の深信の意味するところは自らの力が浄土往生についてなんの役にも立たぬと信知することであり、法の深信の意味するところは、出離ひとえに阿弥陀仏の救済の力にあると信知することである。すなわち、機の深信は自らのはからいを捨てさる(捨機)ということであり、また法の深信は阿弥陀仏の救済にすべてをまかせる(託法)ということである。このように二種深信は矛盾した信ではない。自らの力がなんの役にも立たないと知って、はからいを捨てさるということは阿弥陀仏の救済の力にまかせきるということであり、阿弥陀仏の救済の力にまかせきるということは自らの力がなんの役にも立たないと自力のすたるところであって、これは別なことではなく、『高僧和讃』にも、

 煩悩具足と信知して 本願力に乗ずれば
 すなはち穢身すてはてて 法性常楽証せしむ(五九一)

とうたわれている。

如何でしょうか。中学生レベルの国語の能力があればお判りになると思います。

機の深信の説明として

・自らの力が浄土往生についてなんの役にも立たぬと信知すること
・自らのはからいを捨てさる(捨機)ということ
・自らの力がなんの役にも立たないと知って、はからいを捨てさるということ
・自らの力がなんの役にも立たないと自力のすたるところ

の4通りの言い方をされています。
私がこれまで説明してきた通りのことです。

先の

「浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人のみ教えと同じか?」
親鸞会との問答(機の深信について)

にもまとめてありますから、不審に思われる方は、御確認下さい。

ある会員も怒っていました。

なぜ親鸞会は自分で反論せずに、本願寺僧侶の反論を会員に読ませるのか!!

|

« 無二の善知識の種と仕掛け | トップページ | 高森顕徹会長とその弟子達の無知を証明しておきます »

法論」カテゴリの記事

コメント

「自らが地獄一定の存在であると、機の真実を信知すること」とは、
つまり、
私たち凡夫は悪しかできないのではじめから地獄一定なのではなくて、
「自らの力がなんの役にも立たないと自力のすたる」機の深信によって、
このとき、はじめて地獄一定となる、
という理解でよろしいでしょうか?

本願寺が地獄一定の語を用いたのを逆手に取って、
いつもの「すべての人間は悪しかできないから地獄行き」の邪義を正当化しようとする、
いかにも高森氏らしい姑息なやり方ですよね。

投稿: どんクサい会員 | 2013年5月29日 (水) 02時05分

どんクサい会員 様

>「自らの力がなんの役にも立たないと自力のすたる」機の深信によって、
>このとき、はじめて地獄一定となる、
>という理解でよろしいでしょうか?

少し違います。
地獄一定とは、その人の個人的な思いであり、表現です。

「自らの力がなんの役にも立たない」どころか、自分はこんな悪を作っているから、地獄に堕ちるだろう

と思う人もあれば、

「自らの力がなんの役にも立たない」し、善もできないから、三悪道に堕ちるだろう

と思う人もいたり、

「自らの力がなんの役にも立たない」から、輪廻がら抜け出せない

と思う人もあるでしょう。

共通しているのは「自らの力がなんの役にも立たない」です。それ以外は個人個人の罪悪観です。

この本では、一番目を言ったに過ぎませんので、その後に「自らの力がなんの役にも立たない」を繰り返し説明している訳です。

ちなみに、親鸞聖人直筆の御著書のなかで「地獄一定」と同じ意味の言葉は全くありません。機の深信の説明の中でも、その他でもです。

『歎異抄』にある「地獄一定」がどんな背景で仰ったのかをよく理解する必要があります。

投稿: 飛雲 | 2013年5月29日 (水) 07時13分

講師部員が法論して駄目だったら引っ込んで顕真で記事を出して、顕真で論破されたら偽装本願寺僧侶を出してきて。

出てきて叩かれて引っ込んで、また別の穴から出てきて叩かれて引っ込んで…まるでもぐらたたきみたいな状態ですね。

投稿: | 2013年5月29日 (水) 11時59分

親鸞会は“阿弥陀仏の本願”を説いていないので、獲信者を出すことができません。
それこそが大問題なのであり、未信の人を騙すことに血道をあげている場合ではないのです。
機が見えると言っても、縁に触れて機の真実の一部を“阿弥陀様”のお力で見せられるだけです。
全部いっぺんに見せられたら、たぶん発狂すると思います。
「地獄一定」といっても、私の場合は「どっちに行くのかと聞かれたら、地獄の方かな・・・?」という程度のものです。
自らのはからいを捨てるのも、言葉で書くと“捨てる”と書きますが、“阿弥陀様”が全部取って下さるのです。
すべてが“阿弥陀仏”の方からで、他力のお救いは“何時”とも知らせないほど一方的なものです。
それを「宿善積んで、自分の方からつかみにかかれ!」と教えるから、何もかもが狂ってくるのです。

投稿: しかばね | 2013年5月29日 (水) 18時12分

名無し 様

いつまでも、もぐらを続けることでしょう。それしかできないのですから。


しかばね 様

同感です。

投稿: 飛雲 | 2013年5月29日 (水) 19時37分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1323088/51812553

この記事へのトラックバック一覧です: 聖教上の根拠なし・嘘・断章取義・隠れての反論しかできない親鸞会:

« 無二の善知識の種と仕掛け | トップページ | 高森顕徹会長とその弟子達の無知を証明しておきます »