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2013年5月29日 (水)

高森顕徹会長とその弟子達の無知を証明しておきます

機の深信は説明するまでもなく善導大師のお言葉です。

親鸞聖人は『教行信証』信巻に、『散善義』の機の深信を引いておられます。

決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。

もう一つ、善導大師の『往生礼讃』を信巻に引かれています。

自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知す。

出離できず常に流転している凡夫のことを、共に仰ったものです。流転とは、六道を巡ることで、「地獄一定」の意味はありません。

善導大師はこの機の深信を詳しく仰ったのが、『散善義』にあります。

わが身は無際よりこのかた、他とともに同時に願を発して悪を断じ、菩薩の道を行じき。他はことごとく身命を惜しまず。道を行じ位を進みて、因円かに果熟して、聖を証せるもの大地微塵に踰えたり。しかるにわれら凡夫、すなはち今日に至るまで、虚然として流浪す。煩悩悪障は転々してますます多く、福慧は微微たること、重昏を対して明鏡に臨むがごとし。

(現代語訳)

わが身は、無始よりこのかた、他のものと同時に、発願し、悪を断ち、菩薩の道を行じたのに、他のものはことごとく身命を惜しまず、修行して位を進め、因が円満し、果が成就して、聖者の位を証した。その数は、大地を微塵にくだいたよりもなお多い。しかるに、われら凡夫は過去より今日に至るまで、いたずらに流転して、煩悩の悪障が次第にますます多くなり、福徳智慧のきわめて少ないことは、重昏をもって明鏡に望むがようである。

善導大師の仰る機の深信とは、出離して聖者となられた多くの方がある一方で、出離できずに流転し続ける凡夫が、自分の相だということです。

聖者は初地以上で、初地まで至っていない人はすべて凡夫ですから、凡夫といってもある程度のさとりを開いた善凡夫から、さとりどころか悪しか造っていない悪凡夫もいます。

聖者から、善凡夫、悪凡夫も含めて、親鸞聖人が御自身のお言葉で機の深信について語られたのが、信巻の信楽釈にあります。

しかるに無始よりこのかた、一切群生海、無明海に流転し、諸有輪に沈迷し、衆苦輪に繋縛せられて、清浄の信楽なし、法爾として真実の信楽なし。ここをもつて無上の功徳値遇しがたく、最勝の浄信獲得しがたし。一切凡小、一切時のうちに、貪愛の心つねによく善心を汚し、瞋憎の心つねによく法財を焼く。急作急修して頭燃を灸ふがごとくすれども、すべて雑毒雑修の善と名づく。
また虚仮諂偽の行と名づく。真実の業と名づけざるなり。この虚仮雑毒の善をもつて無量光明土に生ぜんと欲する、これかならず不可なり。

(現代語訳)

ところで、はかり知れない昔から、すべての衆生はみな煩悩を離れることなく迷いの世界に輪廻し、多くの苦しみに縛られて、清らかな信楽がない。本来まことの信楽がないのである。このようなわけであるから、この上ない功徳に遇うことができず、すぐれた信心を得ることができないのである。
すべての愚かな凡夫は、いついかなる時も、貪りの心が常に善い心を汚し、怒りの心が常にその功徳を焼いてしまう。頭についた火を必死に払い消すように懸命に努め励んでも、それはすべて煩悩を離れずに修めた自力の善といい、嘘いつわりの行といって、真実の行とはいわないのである。この煩悩を離れないいつわりの自力の善で阿弥陀仏の浄土に生れることを願っても、決して生れることはできない。

さて、このどこに「地獄一定」の意味があるというのでしょうか?

親鸞聖人は、

急作急修して頭燃を灸ふがごとく」修善に励んでも、雑毒の善しかできないから、報土往生はできない

と仰っているのです。

聖者も善凡夫も雑毒の善しかできないということであって、無善だとは仰っていませんし、地獄に堕ちるかどうかという低レベルの話もされていません。

具体的に言えば、

初地まで至られた龍樹菩薩は、聖者であり、出離された方ですが、それでも報土往生できる真実の善はできませんでした。もちろん「地獄一定」とは無関係です。

上品上生の往生を遂げた智覚禅師も、地獄に堕ちる方ではありませんが、報土往生できる真実の善を修することはできませんでした。

五逆罪・謗法罪を造って、雑毒の善もしていない下品下生の者は、報土往生は勿論できないし、必堕無間ですから、「地獄一定」と言えます。

この三者を共通で「地獄一定」と言っているのですから、無知を曝け出しているだけです。

今回のエントリーは、仏教の常識が判っていれば、簡単な話です。

しかし、仏教の勉強も真宗の勉強も全くしていない高森顕徹会長とその弟子には、この程度のことさえも理解できないでしょう。

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コメント

 これまでの法論や各ブログ等の内容からするに、会長や講師部員たちは今までまともに真宗や仏教を勉強したことがなく、おそらくこれからもする気はないのだろうということは察しがついてはいたのですが、何か…いつまでたってもこちらの言わんとすることが通じないというか、聞く耳を持ってもらえないという感じのようですね。ぬかに釘、のれんに腕押しの心境でしょうに、飛雲さんをはじめ皆さんよく辛抱強く相手をしておられると思います。私ならもうサジを投げていそうです。
 ところで、会長は―こんなことを書けば下手をすると差別にもなりかねませんが―ディスレクシアでもあるのかもしれない、という気がしてきました。「サイコパスでは?」という指摘はあちこちでありますが、それに加えて。もちろん、軽々しく判断できることではありませんが、「知的能力に問題はないが、文字の読み書きに著しい困難をともなう」ことのようで、実はそう珍しいものでもないらしいようですし、そう考えでもしないと会長の言う事書く事がこれ程矛盾・破綻していることの説明がつかないというか(元の文章をはなから読んでいない、というのもありますが)…。

投稿: あずきあらい | 2013年5月29日 (水) 23時38分

親鸞会には法悦がない。
阿弥陀仏の大慈悲心を説かずに「地獄 地獄!!」と会員を駆り立てるから、カルトと呼ばれるんです。

投稿: れん | 2013年5月30日 (木) 08時03分

興福寺奏状に倣って言うなら、親鸞会の罪状の第一は「お聖教に昏き失」ですね。その他にも、社会常識に昏き失、妄語多用の失、いろいろありますが。

投稿: | 2013年5月30日 (木) 10時39分

あずきあらい 様

会長も講師部員も、普通ではありません。悪い意味で。御想像通りの人物です。


れん 様

阿弥陀仏の大慈悲心を説かないのではなく、説けないが正しいと思います。本当に知らないのでしょう。


名無し 様

上手いこと言いますね。

投稿: 飛雲 | 2013年5月30日 (木) 21時27分

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