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2013年5月25日 (土)

無二の善知識の種と仕掛け

親鸞会は、様々な意味で年々衰えが目立ってきました。高森会長の年齢的なこともあるでしょうが、絶対正しい筈の教義が、悉く間違っていたと広く知れ渡ったことが、最大の原因でしょう。

高森会長は、常識を超えた存在だと思われてきました。世間を知らない高森会長が、世間常識から大きく外れているのは当然としても、教義解釈までも真宗の常識から逸脱していることが、高森会長の偉大さの証明とされてきました。

これに多くの人が騙されてしまいました。

高森会長が真宗の常識から逸脱しているのは、単に高森会長が真宗の常識を勉強してこなかったからです。更に悪いことに、高森会長は常識から逸脱していることを恥ずかしいと思うのではなく、逆に誇りに思う、という性格であったがために、真宗学を学ぼうとする気持ちさえ起らなかったのでしょう。

その高森会長の非常識と性格が選んだのが、大沼法竜師の独特な味わい解釈でした。

三願転入も、善の勧めも、みな大沼師からのフルパクリです。

ただし、大沼師の場合は、常識的な真宗教義を身につけた上で、自由な味わいを述べているので、言葉は同じでも、高森会長とは意味が違います。

大沼師の言う三願転入も善の勧めも、獲信・往生のための19願・諸善は否定しています。それを知ってか知らずか大沼師フルパクリで大学者を気取っているのが、高森会長の実像です。

大沼師の『方便より真実え 浄土真宗』は、高森会長の一番の愛読書でしょう。

 真宗では、方便の二願は第十八願に誘導する階段と説かずに、むしろ邪魔物のように無視しておらるるが、方便の二願を捨て、第十八願がどうして真実であると知ることができますか、第十八願の真実を真実と知らすための方便の願ではないのですか。三願は孤立した願ですか、関連した願ですかと問うているのです。
(中略)
 だから聖人は、三願は孤立した願と扱うてはおられません。方便の二願を並べて、真実の第十八願に趣入する道程を見ておられます。
 至心信楽欲生と    十方諸有をすすめてぞ
 不思議の誓願あらはして真実報土の因とする。(第十八願)
 至心発願欲生と    十方衆生を方便し
 衆善の仮門ひらきてぞ 現其人前と願じける。(第十九願)
 至心回向欲生と    十方衆生を方便し
 名号の真門ひらきてぞ 不果遂者と願じける。(第二十願)
 三願転入が入信の順路でございます。これが方便から真実に帰入する道程であります。

『本願寺なぜ答えぬ』を始め、今でもよく使われるフレーズ

三願は孤立したものでない

の原点はここにありますし、

十九・二十の方便二願は、真実、十八願に転入する、十方衆生の道程と、みておられることがよくわかる。

もそうですし、『本願寺なぜ答えぬ』に出した三つの御和讃も、ここからきています。
もちろん、この「十方衆生」に着目したのも、元は大沼師です。

同じく『方便より真実え 浄土真宗』に

 彌陀の本願に十方衆生を救うという摂生の願が三つあると前にいったでしょう。第十八願が絶対他力の随自意の願で、この王本願の独り作用で救おうとしても、私たちの自力の執着が捨たらないから、その心を見抜いて、それならどれだけ自力ができるかやってみよと第十九願の随他意(凡夫の心に随うた願)の方便の願を建て、自力の行を自力の心で勤めてみて、自己の無能を知らして、もう一歩進めて、第二十願の随他意の方便の願を建て、他力の行(名号)を自力の心で励む、他力の中の自力なりまで進ますのが、親の念力です。(中略)
この第十九願の自力の中の自力なりを、上人が雑行といわれ、第二十願の他力の中の自力を雑修といわれ、この二願の相手の機は、自力の機執が捨たらないから「自力の心を振り捨てて」といわれ、第十八願の他力の中の他力こそ専修正行だから、この境地まで進みなさいと進められたのが、「もろもろの雑行雑修自力の心をふり捨てて」と仰せられたので、上人が勝手なことを仰せられたのではなく、彌陀の三願の真意を諦得したうえで述べられたのです。

とありまして、”摂生の願”も”蓮如上人の三願転入の根拠”さえも、やはり大沼師です。
宿善の厚薄も大沼師が言っていますし、高森会長の説く”善のすすめ”は、すべて大沼師からの盗作です。盗作でないと考えられていた『本願寺なぜ答えぬ』も、かなりの部分で盗作しています。本願寺に対する悪口、”死に本願寺、干餓死本願寺”でさえも、大沼師の盗作です。

無二の善知識の、種も仕掛けも判ってしまえば、高森会長は俗人以下と気が付くでしょう。それが親鸞会の衰退を招いているのです。

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コメント

こんなのに騙されていたのかと思うと侘しくて、怒り心頭に発します。

投稿: シニ干餓死親鸞会 | 2013年5月25日 (土) 20時53分

大沼師の言っていることは基本は勿論十八願のみだけれども、少数十九願、二十願の趣を通る人も中にはいるといった特別な例のことなんでしょうかね
全人類が通るべき道なわけないのは当然として

投稿: | 2013年5月25日 (土) 23時10分

高森会長の様子を聞いていると、この人はそもそも人格が破壊されているのではないのか?!・・・と思うことがあります。
教学力無しで“大善知識”のごとくに振る舞える神経が、私には全くもって理解できません。
このボケ老人の妄想に付き合わされる会員さんが、なんとも哀れです…。

投稿: しかばね | 2013年5月26日 (日) 09時08分

親鸞会のマークも、高森氏が好きな、リポビタンの大正製薬の鷲のマークのパクリだったりして・・・。

投稿: | 2013年5月27日 (月) 01時28分

ボケ老人の妄想と気付いていながら、我が身可愛さで動きの取れない講師達の罪は重い。
自浄能力をなくした組織に待つのは「死への行進」あるのみでしょう。
飛雲さんの尽力通じて、目覚めた人から脱出されることを、ただただ願うばかりです。
「諸仏の大悲は苦あるひとにおいてす」の発現を信じて・・・
南無阿弥陀仏

投稿: ねずみ | 2013年5月27日 (月) 01時28分

最近「ネットを見て親鸞会を辞めました」という人に出会いました。
辞めた理由は当然のことながら「信心決定したいからです」とのことです。
本気で獲信したい人は、いつまでも親鸞会なんかにはいませんよ。
飛雲さん、がんばって下さい。応援してます!

投稿: れん | 2013年5月27日 (月) 18時14分

シニ干餓死親鸞会 様

同感です。


先の名無し 様

大沼師の解釈は、19願は聖道門を断念した人、20願は信前の同行、というような感じです。
真宗の同行が、19願から始めなければならないと言う考えはないです。


しかばね 様

会長はそういう性格だと思ってください。


後の名無し 様

鷲のマークは、親鸞会初期の会長の側近だった人が考案したものです。何をモデルにしているかは判りません。ちなみに、その人は除名となっています。


ねずみ 様

騙されている会員が哀れでなりません。私なりに尽力したいと思っています。


れん 様

信心決定したい人が辞めて、信心決定に興味のないサークル活動をしている人が残っている状態です。
しかし、まだ何も知らない会員がいますので、その人には気が付いてもらいたいと思っています。

投稿: 飛雲 | 2013年5月27日 (月) 19時11分

会員はまさに「サークル活動」状態です。
どこにも出口を見出せずに、泣きながらグルグル同じ活動をして回り続けている、哀れな会員たち。
ああ、本当に早く救ってやりたい、いえ、お救いくださいませ
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

投稿: | 2013年5月29日 (水) 03時52分

最後の名無し 様

退会者が親鸞会を突くことで、会員は少しずつ辞めていくと思います。地道な作業ですが、それが近道です。

投稿: 飛雲 | 2013年5月29日 (水) 07時17分

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