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2013年4月 3日 (水)

親鸞聖人が教えられた自力と他力の水際

自力と他力の水際を最も端的に顕わされているのが、「二河白道の譬え」です。何度も述べましたが、親鸞聖人は「二河白道の譬え」が他力の信心を顕わされている、と教えられています。

自力は東岸、他力は白道です。ハッキリと水際が立っています。旅人のいる場所が全く違います。
一方、高森会長の説では、白道の途中で自力から他力になるとしています。水際は全く立ちません。なぜなら、元の譬えでは、白道も水の河も火の河も、途中で全く変化していませんから。譬えの上では何一つ変わっていないのです。

また、旅人が東岸から白道に乗るのは、西岸上の人の喚び声を聞いてです。もちろんこれが前回言った信心を顕す「」です。西岸上の人の喚び声を聞いて疑いがないから、その喚び声の通りに従うのです。旅人の心情で言えば、東岸にいる時は疑いがあるのですが、白道に乗った時には疑いがないのです。水際が立っています。
一方で高森会長の説では、白道の途中で西岸上の人の喚び声を聞くことになっていますが、元の譬えではそれがありません。したがって、水際が立ちません。

更に言えば、高森会長が拘った

「人道の上を行きてただちに西に向かふ」といふは、すなはちもろもろの行業を回してただちに西方に向かふに喩ふ。

は、白道に乗ってからずっと「もろもろの行業を回してただちに西方に向かふ」のまま、途中で変わっていません。つまり水際が全く立っていません。
これはもちろん、東岸にいるときに「もろもろの行業」を修してきた、あるいは修しようとしてきたのを、白道に乗った時には翻した、ということですから、水際が立っているのです。

以上のように、「二河白道の譬え」によって、自力と他力の水際がハッキリ立っている、と親鸞聖人は教えられているのですが、もともと「二河白道の譬え」を知らない高森会長は、妄想の中で自力と他力の水際が立っていることにしただけのことです。

なお、親鸞聖人は「二河白道の譬え」以外でも自力と他力の水際を至る所で説かれています。たとえば、『唯信鈔文意』には

自力のこころをすつといふは、やうやうさまざまの大小の聖人・善悪の凡夫の、みづからが身をよしとおもふこころをすて、身をたのまず、あしきこころをかへりみず、ひとすぢに具縛の凡愚・屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたるなり。

(現代語訳)

自力の心を捨てるということは、大乗・小乗の聖人、善人・悪人すべての凡夫、そのような色々な人々、さまざまなものたちが、自分自身を是とする思いあがった心を捨て、わが身をたよりとせず、こざかしく自分の悪い心を顧みたりしないことである。それは具縛の凡愚・屠沽の下類も、ただひとすじに、思いはかることのできない無礙光仏の本願と、その広く大いなる智慧の名号を信じれば、煩悩を身にそなえたまま、必ずこの上なくすぐれた仏のさとりに至るということである。

とあります。「二河白道の譬え」と重ねてみれば、理解しやすいと思います。東岸から白道に乗っても、水の河と火の河は全く変化していないことは、「煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたるなり」になりますし、「もろもろの行業を回して」が「みづからが身をよしとおもふこころをすて、身をたのまず、あしきこころをかへりみず」に当たります。

高森会長には自力と他力の水際が説けない、と言った意味が御理解頂けたのではないでしょうか。

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コメント

飛雲様、ありがとうございます。会長の説では白道上で三定死があって信心決定の後は水火の河が光明の広海になると言っており、衆生貪瞋煩悩中能生清浄願往生心といわれた善導大師の心が台無しであります。会長信心の人も煩悩は問題にならずただ自力の心を振り捨てて無碍光仏の御本願に帰依してもらいたいものです。称名。

投稿: 何某、 | 2013年4月 4日 (木) 21時44分

会長が縦と横の線を書いて話をすることを水際だと思い 真剣に聞き、もらさず聴聞録を書き
更に信心の沙汰と称して聴聞の復習をして 記憶の良い人を称賛し一言一句書き留めること数十年。
会員の上に立ち 講師として会員に仏法を教え広め 人生の目的達成とやらに命がけになって
自分達が「本道」と言いながら「聞き間違えていました」って なんじゃそれ。
こんな団体で真実の教えはここでしか聞けないと思っていた自分が情けないです。

投稿: おすぎ | 2013年4月 4日 (木) 23時20分

高森会長のデザインした教誨服のベルトをみるとよくわかる。あれは海軍のベルトを真似ていてそっくりである。興味ある人は、司馬遼太郎原作の坂の上の雲というNHKのドラマをみるとよい、
講師部員はある時期、腕に金のラインを入れた制服を着せられて、閉口した。彼は自己を中心とした軍隊組織を作りたかったのだ。参謀から、情報部、分隊、中隊、上隊という名称を組織に用いていたことからもわかる。その為には、平気で仏典、七高僧のお言葉を好き勝手な解釈を内部ではしても平気だった。
気に入らないことを(解釈、質問、意見)いえば青筋を立てて怒った。そして干されるのである。
かって彼の講演をvideoにして各地で見せる動きが始まったときに、会員以外への流出を会長は極端に恐れ、幹部にこういった。紛失した者は死刑に値する と
対外には通用しないこと、危険性をしっていたのだろう
会員のみなさん、早く気づかれますことを念じています。

二十年前にやめた講師部員より

四、五寸の白道はわずかな聞法心という説明もしていたことを記憶している。

投稿: | 2013年4月 5日 (金) 09時22分

前の方、そんなことがあったんですか。
四、五寸の白道はわずかな聞法心、懐かしい。(苦笑)

戦時中は見栄っ張りが多く権力欲と出世欲の亡者が上のポストに就いていたわけです。
今では揶揄される「大本営発表」のように戦果なども嘘の過大報告していたのが常態だったのからも窺い知れます。
その者たちが日本を戦争に引き込んで多くの無用の犠牲を出してしまったわけですが、
会長はそんな時代の人間の一人と考えると彼の素性が分かるような気がします。

投稿: | 2013年4月 5日 (金) 16時03分

会長さんはコスプレ好きのじーちゃんだったのね。
似たような人はコミケでもよく見かけますよ。
中二病を地で行った人生。それにつき従った人は頭をどこかでぶつけたような脳みその持ち主に違いありません。

投稿: | 2013年4月 6日 (土) 17時59分

そうだ、あれは中学校からの帰りだった。自衛隊の飛行機が上を飛んでいたので飛行機好きの自分は
かっこいいなあと上を見ながら歩いていると不意にガツンと何かに頭をぶつけて目の前が真っ暗になりそのまま道端に倒れこんだ。視界が戻った直後見るとそれは電信柱だった。
あの時の衝撃の脳へのダメージが数年後高森会に走ってしまう悪因になったのかもしれない。
歩くときはちゃんと前を見ながら歩かねば。誰かの歌みたいに上を向いて歩いちゃ危ない。

投稿: | 2013年4月 6日 (土) 20時36分

コメントを頂いた皆様

会長には自力と他力の水際を説くことは無理ですし、読んだこともない二河白道の譬えについて話をすることも無理です。
そんな会長を信じた私も皆さんも、残念ながら完全に騙されたのです。しかし今は気が付いて会長から離れることができた分、現会員よりはましです。
現会員も、早く気が付いてもらいたいものです。

投稿: 飛雲 | 2013年4月10日 (水) 09時21分

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