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2013年3月19日 (火)

小学生でも判る矛盾を、改める気の全くない高森顕徹会長

高森会長が、教義上の誤りを認めて軌道修正しているのではないか、と期待している人もあるようですが、今月号の顕真の内容を見れば、高森会長の本心は明らかになります。

先月号同様、1月に行われた講師部講義の内容が、紹介されています。

最初に

「白道」に、自力と他力
三願転入を説かれた「二河譬」

と題して、その後に講義の概要説明があります。

 1月の講師部・特専部へのご講義で、高森先生は、前月に引き続き、本誌の「ひと口問答」について詳説なされた。
「白道」を自力の心というのは間違い、と非難する者は、自力から他力へ、という善導大師、親鸞聖人のみ教えを知らぬ者である。
 善導大師の「二河白道の譬え」と、親鸞聖人の三願転入の教えの関係を受講した講師部員から、高森先生へ寄せられたお手紙を紹介する。

この後4人の講師部員の手紙が紹介されていますが、抜粋しておきます。

N講師部員

「諸の行業を廻して直に西方に向う」と、善導大師が三願転入の道程を、「二河白道の譬え」で示されており、「前段なしの後段はあり得ず」とのお言葉が、三願転入を否定する者を破邪しておられると知り、驚きました。

Y講師部員

白道について、前段と後段があり、自力の白道と他力の白道とが教えられていることを、根拠を挙げてご教導いただきました。

S講師部員

後生の一大事が知らされ、何とか解決したいと阿弥陀仏に向かって初めて自力が起き、自力で求めている人に、自力が廃って一念で他力に入る時があります。自他力廃立、三願転入の教えこそが、善導大師の「二河白道の譬え」であり、聖人のみ教えであることを教えて頂きました。

S講師部員

善導大師も三願転入を、「二河譬」の中に教えられているとお聞きしました。「前段なしの後段はあり得ず、あとは自他力廃立あるのみです」の一行で、三願転入を否定する者を破邪なされていて、ただその深さに驚くばかりです。

如何でしょうか。高森会長が、親鸞聖人の教えを正しく伝えようと言う気のさらさらないことが良く判ります。
高森会長が根拠していることは、「前段なしの後段はあり得ず」という妄想だけです。
顕真には親鸞聖人の御言葉も出してありますが、それは次回にまわして、今回は善導大師の御言葉から説明しておきます。

高森会長の言う「前段」は信前、「後段」は信後を指していることは明白ですが、それを善導大師の譬えで探してみてください。『散善義』の原文は以下です。

たとへば、人ありて西に向かひて百千の里を行かんと欲するがごとし。 忽然として中路に二の河あるを見る。 一にはこれ火の河、南にあり。 二にはこれ水の河、北にあり。 二河おのおの闊さ百歩、おのおの深くして底なし。 南北辺なし。
まさしく水火の中間に一の白道あり。 闊さ四五寸ばかりなるべし。 この道東の岸より西の岸に至るに、また長さ百歩、その水の波浪交はり過ぎて道を湿し、その火炎また来りて道を焼く。 水火あひ交はりて、つねにして休息することなし。 この人すでに空曠のはるかなる処に至るに、さらに人物なし。 多く群賊・悪獣ありて、この人の単独なるを見て、競ひ来りて殺さんと欲す。 この人死を怖れてただちに走りて西に向かふに、忽然としてこの大河を見て、すなはちみづから念言す。
「この河は南北に辺畔を見ず。 中間に一の白道を見るも、きはめてこれ狭小なり。 二の岸あひ去ること近しといへども、なにによりてか行くべき。 今日さだめて死すること疑はず。 まさしく到り回らんと欲すれば、群賊・悪獣漸々に来り逼む。 まさしく南北に避り走らんと欲すれば、悪獣・毒虫競ひ来りてわれに向かふ。 まさしく西に向かひて道を尋ねて去かんと欲すれば、またおそらくはこの水火の二河に堕せん」と。 時に当りて惶怖することまたいふべからず。
すなはちみづから思念す。 「われいま回らばまた死せん。 住まらばまた死せん。 去かばまた死せん。 一種として死を勉れずは、われむしろこの道を尋ねて前に向かひて去かん。 すでにこの道あり。 かならず度るべし」と。
この念をなす時、東の岸にたちまち人の勧むる声を聞く。
「なんぢ、ただ決定してこの道を尋ねて行け、かならず死の難なからん。 もし住まらば、すなはち死せん>」と。
また西の岸の上に人ありて喚ばひていはく、「なんぢ一心正念にしてただちに来れ。 われよくなんぢを護らん。 すべて水火の難に堕することを畏れざれ」と。
この人すでにここに遣はし、かしこに喚ばふを聞きて、すなはちみづから身心を正当にして、決定して道を尋ねてただちに進みて、疑怯退心を生ぜず。
あるいは行くこと一分二分するに、東の岸に群賊等喚ばひていはく、「なんぢ、回り来れ。 この道嶮悪にして過ぐることを得ず。 かならず死すること疑はず。 われらすべて悪心をもつてあひ向かふことなし」と。 この人喚ばふ声を聞くといへどもまた回顧せず。 一心にただちに進みて道を念じて行けば、須臾にすなはち西の岸に到りて、永くもろもろの難を離る。 善友あひ見えて慶楽すること已むことなし。

少し長いので、簡潔にまとめたものが『安心問答』にありますので、引用しておきます。

1.旅人が、無人の荒野を旅していました。
2.群賊悪獣に追われて、死を畏れて西に向かいました。
3.西に向かうと、水の河、火の河が突然として現れます。
4.群賊悪獣に追われて、帰るも死、とどまるも死、先にゆけばまた水火の二河に落ちて死んでしまう。
5.旅人は、そこで、どのみち行き場がないのなら、むしろ前に進んで行こうと決心をします。
6.東の岸に、この道を進めと勧める声と、同時に西の岸にいる人が「直ちに来たれ」と喚ぶ声をたちまちに聞きます。
7.その声を聞いた旅人は、疑いや恐れる心がなくなり、白道を進んでいきます。
8.白道を進み始めると、群賊悪獣が「帰ってこい」と誘惑します。
9.それらの声に惑わされることなく、旅人は白道を進み、西の岸に着きました。

さて、「前段」と「後段」を分ける一念はどこにあるでしょうか。2通り考えられます。

A.三定死と西の岸にいる人の声を聞いた時で分けるならば、「前段」は「白道」に乗る前、「後段」は「白道」に乗った後
B.「白道」を進んでいる途中とすると、「前段」「後段」を分ける一念がない。

どうですか?少しでも思考が残っていれば簡単な話です。
高森会長の話では、「白道」を進んでいる途中に、三定死と西岸上にいる人の声を聞いた時があることになっています。この時点で矛盾して、完全に破綻しているのです。
もし、高森会長が何が何でもを主張したいのであれば、まだ「自力の白道」である19願にさえ入っていない時に、三定死があり、西岸上の人の声を聞くことになります。さらにいえば、高森会長の力説する火に触ったよりも明らかな一念の体験を、善導大師は表現されていないことになります。

再度簡単にまとめますと、

A.三定死、西岸上の人の声を聞くという一念の体験
B.「前段なしの後段はあり得ず」の、「自力の白道」から「他力の白道」へという三願転入の教え

高森会長の最重要視するこの2本柱は、両立しないことを善導大師が明らかになされているのです。

こんなことは二河白道の譬えを読んで話の順番を覚える知能があれば、小学生でもこんな矛盾した話はしないでしょう。
講師部員もこの矛盾に気が付いているのです。それで講師部員の手紙には異口同音に、

高森先生からお聞かせいただかなければ、とても真意は判らないことも知らされました

と言っているのです。
完全に秘事法門です。

善導大師がどんな譬え話を創られたかなど知ったことではない、ワシが言っている内容に善導大師の譬えを合わせるのだ

高森会長が、善鸞と同じ気持ちであることは、皆さんもよく判られたと思います。

高森会長の秘事を破邪するのは、赤子の手を捻るよりも容易いことです。

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コメント

会では会長の説明に心の奥でえ?とひっかかることがあっても表にはとりあえず納得の意思表示をするということが多かったと思います。
会長の言うことを思考、批判を押し殺して頭ごなしに肯定だけするというまさに知識帰命の一種でしたね。
合点いかなければ合点いくまでで聞けなどとも教えてましたが洗脳するのが狙いだったようです。

投稿: | 2013年3月20日 (水) 11時07分

もう溜息しか出ない。勝手にすればいい。

投稿: 黒猫 | 2013年3月20日 (水) 17時48分

名無し 様

思考停止させる巧妙な騙しです。


黒猫 様

毎度毎度のことですが、会員が気が付くまではこのまま捨ててはおけません。

投稿: 飛雲 | 2013年3月20日 (水) 19時49分

優しいですね。私はもう疲れましたよ。

投稿: 黒猫 | 2013年3月21日 (木) 01時32分

黒猫 様

優しくないです。
高森会長にとっては、私は鬼に見えると思いますよ。

投稿: 飛雲 | 2013年3月21日 (木) 22時03分

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