一口問答(善知識への無条件服従3)
問い
親鸞聖人の教え・解釈に従うのは当たり前です。蓮如上人は「開山のめされ候ふやうに御沙汰候ふ」(御一代記聞書)と仰っているのですから、教え・解釈以外のことについても、従っていくのが求道者のあるべき姿ではないですか。
答え
親鸞聖人は『大智度論』に記された釈尊のお言葉を引用されています。「今日より法に依りて人に依らざるべし(中略)法に依るとは、法に十二部あり、この法に随ふべし、人に随ふべからず。」(教行信証化土巻) 聖教に書かれた教えに従うのであって、教えと関係ない指示に従ってはならない、ということです。
聖教に書かかれてもいないことを平気で言いふらし、「阿弥陀仏・親鸞聖人の御心が判るのは高森先生だけだ」と弟子に言わせている人物には、決して従ってはならないのです。
(参照)
朝令暮改の人に随ふべからず
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コメント
「開山のめされ候ふやうに御沙汰候ふ」の「開山」を「高森会長」や「光晴氏」に置き換えてみます。
「高森会長や光晴氏のされた様に我々もやらなければならない」となります。
そうなると、盗作や不倫もやらなければならないのでしょうね。
投稿: ひろし | 2013年2月17日 (日) 16時34分
ひろし 様
成程。そこまで考えが至りませんでした。
投稿: 飛雲 | 2013年2月17日 (日) 21時00分