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2013年2月14日 (木)

一口問答(善知識への無条件服従2)

問い

では、「前々住上人へある人申され候ふ。開山(親鸞)の御時のこと申され候ふ。これはいかやうの子細にて候ふと申されければ、仰せられ候ふ。われもしらぬことなり。なにごともなにごともしらぬことをも、開山のめされ候ふやうに御沙汰候ふと仰せられ候ふ。」(御一代記聞書)は、間違いなく蓮如上人のお言葉です。納得できなくても、親鸞聖人のなされた通りに無条件で従うということではないですか。

答え

蓮如上人が「大勢至の化身なり」と尊敬されていた存覚上人の『六要鈔』を引用して、他所では、「しかるに『六要鈔』には三心の字訓そのほか、「勘得せず」とあそばし、「聖人(親鸞)の宏才仰ぐべし」と候ふ。権化にて候へども、聖人の御作分をかくのごとくあそばし候ふ。まことに聖意はかりがたきむねをあらはし、自力をすてて他力を仰ぐ本意にも叶ひまうし候ふ物をや。」(御一代記聞書)とあります。存覚上人でさえ、親鸞聖人の解釈について、「判らない」と言われているのだから、聖人のお心は本当にはかりがたいが、親鸞聖人の解釈に従うべきだ、ということです。
従うのは、親鸞聖人の教え、解釈です。

(参照)
「聖人の宏才仰ぐべし」と高森会長の「深い御心」との違い

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