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2013年2月 1日 (金)

なりふり構わず金集め人集めに必死になっている高森会長

宿善を厚くする方法として、

1.聴聞
2.勤行
3.六度万行の実践

そして聴聞の心構えは

1.骨折って聞け
2.衣食忘れて聞け
3.間断なく聞け
4.聞けない時は思い出せ

と高森会長は教えていますが、これは香樹院師からのパクリとその改竄です。香樹院師は、決して宿善が厚くなる方法として言われたものではないですし、その上一部改竄までして、トンデモ教義を創作しています。

参考までに香樹院師の教えた内容を紹介しておきます。
加藤智学編『香樹院講師語録』より

禅僧弘海曰く。予かつて師に問う、
私、浄土真宗の教えに帰し、
御講師に随い聴聞いたせども、
未だ心に聞え申さず、如何致すべく候や、と。
師の仰せに、
汝まづ聖教を熟覧せよ、と。

則ち命のごとく拝見候いしが、文義はわかれども、
我が出離にかけて思えば、往生一定ならず。
再び、如何せんと問い参らす。
師曰く、よく聞くべし、と。

予聞いて云わく、
よく聞くとは如何聞くべきや。
師曰く、骨折って聞くべし。

予云わく、
骨折るとは、遠路を厭わず聞き歩くことに候や、
衣食も思わず聞くことに候や。
師曰く、しかり。

予また問うて云わく、
しからば、それほどに苦行せねば聞えぬならば、
今までの禅家の求法と何の別ありや。
師呵して曰く、
汝法を求むる志なし、いかに易行の法なりとも、
よく思え、今度佛果を得る一大事なり。
しかるに切に求法の志なき者は、
これを聞き得ることをえんや、ああうつけ者かな、と。

予云わく、
しからば身命を顧みぬ志にて、聞くことなりや。
師曰く、
もっともしかり。切に求むる志なくして、
何ぞ大事を聞きえんや。
また曰く、常に絶え間なく聞くべし、と。

予問い参らするよう、
それはその志にて聴聞つかまつれども、
法縁の常になきを如何致すべきや、と。
師その時に、
何ぞ愚鈍なることを云うぞ。法話なき時は、
聞きたることを常に思うべし。
聞く間ばかり聞くとは云わぬぞ。
また曰く、
汝眼あり、常に聖教を拝見すべし、
これまた法を聞くなり。
もしまた世事にかかりあい、聞見常に縁なき時は、
口に常に名号を称すべし、これまた法を聞くなり。
汝信を得ざるは業障の故なり。
さればいよいよ志を励まし、かくの如く常に心を砕き、
よく聞けよ。信を得る御縁は聞思に限るなり、と。

予問うて云わく、
法話を聞くことと、
自ら聖教を読んで我が耳に聞くということとは、
有り難く承りぬ。ただ、念佛するを聞くと申すは、
われ称えて我が声を聞くことに候や。
師大喝して曰く、
汝何事をか云う。我が称える念佛というものいづこにありや。
称えさせる人なくして、罪悪の我が身何ぞ称うることをえん。
称えさせる人ありて称えさせ給う念佛なれば、
そもそもこの念佛は、何のために成就して、
何のためにか称えさせ給うやと、心を砕きて思えば、
即ちこれ常に称えるのが、常に聞くのなり、と。

予、この一語心肝に徹し、はっと受けたり。
心に思うよう。
我至成佛道、名聲超十方、究竟靡所聞、誓不成正覚。
また第十七の願に、我が名を諸佛にほめられんとの誓いは、
名号を信ぜさせんとの御意なり。
かつまた、常に聞くと申すことは、
ただ法話のみを聞くことと思いしは誤りなりき。

あわれ、志の薄かりしことよと恥ぢ入り、
今まで禅門において、知識より、
汝今をも知れぬ命なれば、昼夜十二時思惟して、
この公安を拈底せよ、しばらくも忘るることなかれ、
と云われしことを思い浮かべ、
聞思して遅慮するなかれ、との祖訓を、
見聞集に尽したまいしことを感悟し、
それより常に法話なき時は聖教を拝聴し、
朝夕は『大經』、『正信偈』、『和讃』、『御文』を拝読し、
また常恒に念佛を拝聴し奉るに、
われ今称うる念佛には、御主ありて称えさせ給うなり。
しかればただ称えさせるを詮としたまわず。
称えさせ給うは、助け給わんために、
一声をも称えさせて下さるることよと思えば、
それより称えることについて、
尊く称えさせてくださるる身となりしなり。
このこと今に耳にありて、忘るる能わず、
と申されけり。

聴聞の心構えについては高森会長の説明と合っていますが、聴聞できない時には
常に聖教を拝見すべし」と「口に常に名号を称すべし」です。
聖教の拝読と念仏です。当然ながら諸善の勧めはありません。

香樹院師は、聖教の拝読も念仏も聴聞の代わりと位置付けていますので、聴聞のみを勧めているということで筋が通っています。

それを理解できなかったのか、理解した上での改竄なのか、高森会長は諸善の実践で宿善が厚くなるという邪義を創作したのです。

なお、親鸞聖人は往生・獲信のために諸善を勧められた箇所は、皆無であり、それどころか「多功徳・多善根・多福徳因縁」の自力念仏さえも勧められた箇所はほとんどありません。自力念仏を厳しく誡められたお言葉ばかりです。

つまり、親鸞聖人には、宿善が厚くなって救われると言う発想自体がないのです。ないものをあるかのように偽装して、金集め人集めになりふり構わず必死になっているのが高森会長だということです。

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コメント

う~ん、おそらく聖教を読むということ念仏するということをわざと避けてますねこれは。
聖教には会長の言ってることと違うことが書いてありますから発見されて疑惑を生じさせないように、念仏は口をふさいでさせなくして会の活動に没頭させるように。

しかしこれもパクリでしたか。
このことなど会長の言うことで首肯出来ることが多々あったので騙されてしまいましたが全部先哲方のパクリだったとは。
ウイルスなどは偽装して勘違いさせますがそれと似た状況です。
騙されても仕方ないと思いたいですがまったく信じがたい人物がいたものです。

投稿: | 2013年2月 1日 (金) 21時43分

無二の善知識ではなく、無二の嘘つきでした。親鸞会在籍から高森会長の書籍及び講師から伝わる会長の言葉に違和感(幼稚)がありました。 講師にあの指示は誰ですかと聞けば(会長先生です) あんな幼稚な・・・がありました。現在はネットで謎が解けました。高森会長はオウムの麻原死刑囚に毛が三本多くありました。

投稿: 過去に会員 | 2013年2月 3日 (日) 00時25分

名無し 様
過去に会員 様

そうなんですよ。
全くどうしようもない人物です。

投稿: 飛雲 | 2013年2月 4日 (月) 20時33分

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