« その場凌ぎの思いつき適当教義 | トップページ | 次は「本会を非難している者は、親鸞聖人の教えられ方で攻撃してきている」と言うかもしれません »

2013年2月20日 (水)

善導大師の三心釈を知っている筈もない高森顕徹会長

思い込みが激しく、非常識な思いつきを得意とするのが高森会長ですが、善導大師が回向発願心釈の中にある二河白道の譬えで仰った「能生清浄願心」を、親鸞聖人がどう解釈されたのかが、親鸞学徒にとっては一番の問題である筈です。

『教行信証』信巻には、

「能生清浄願心」といふは、金剛の真心を獲得するなり。本願力の回向の大信心海なるがゆゑに、破壊すべからず。これを金剛のごとしと喩ふるなり。

と仰り、『浄土文類聚鈔』では

「能生清浄願心」は、これ凡夫自力の心にあらず、大悲回向の心なるがゆゑに清浄願心とのたまへり。

と仰っています。
」をどう読むかは問題ではなく、「能生清浄願心」を他力の意味でしか親鸞聖人は解釈されていないのです。

善導大師の「衆生貪瞋煩悩中、能生清浄願往生心」は、『正信偈』でいえば、

すでによく無明の闇を破すといへども、
貪愛・瞋憎の雲霧、つねに真実信心の天に覆へり。

と同じ意味です。

二河白道の譬えの他の御文と比べると、より判ると思います。

まさしく水火の中間に一の白道あり。 その水の波浪交はり過ぎて道を湿し、その火炎また来りて道を焼く。

自力の信心で煩悩と戦った末に、他力の信心を生ずるではなく、他力の信心は煩悩の中に生ずる、というだけの意味です。まさか『正信偈』の御文を、貪愛・瞋憎の雲霧と戦って、無明の闇を破し、真実信心を獲る、とでも解釈するのなら別ですが。真実信心は煩悩に覆われている、と素直に読むのなら、「衆生貪瞋煩悩中、能生清浄願往生心」も素直に読めばいいのです。

ついでですから、至誠心釈についても述べておきます。

高森会長の好きな

外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。

は、至誠心釈にあります。善導大師は、信心として仰った内容の一部ということです。

これを親鸞聖人は読み替えられて、『教行信証』信巻に引かれています。
つまり、親鸞聖人は、善導大師が他力の信心を顕した部分と解釈されていることになります。更に、化土巻には、読み替えた御文もないし、読み替えられていない御文も引かれていませんので、信前の自力の信心を顕わされたものと、親鸞聖人は見做されていないことは、明白です。

もう一つ言っておくと、至誠心・深心・回向発願心の三心が揃って他力の信心ということは、二心だけ、一心だけ、という状態があるのを前提として善導大師は仰っているのです。そしてそれを親鸞聖人が、二心だけ、一心だけという自力の信心とはどういうものかについて、化土巻で説明されていますので、親鸞聖人も自力の至誠心・深心・回向発願心をもった人がいることを前提とされているということです。つまり、善人が存在するのが前提です。

高森邪義に毒されていると、今回も理解しがたい内容でしょうが、少しでも思考を働かせれば理解できると思います。

もちろん高森会長には理解できないでしょう。

|

« その場凌ぎの思いつき適当教義 | トップページ | 次は「本会を非難している者は、親鸞聖人の教えられ方で攻撃してきている」と言うかもしれません »

コメント

親鸞聖人の立場は絶対他力といわれることが多いですが、前回と今回でおっしゃっていることはまさにその、親鸞聖人においてとりわけ特徴的な、いわば宗教思想の中核に関わる重要な部分に関わることですね。特にここでは、聖人のなかでの曇鸞大師の重みが感じられます。本願力回向にしても他力にしても曇鸞大師に由来するものですからね。観経疏は浄土門の者にとっては経典と同じなので当然そこに依って立つことになるわけですが、聖人においてその解釈は曇鸞大師を規範として行われている、それが「絶対他力」を帰結した、といったところでしょうか。

すると、浄土真宗の者にとっては自力を容れた解釈を採用する余地はなく、もちろん高森会長の珍奇な説が許される余地はないでしょう。親鸞聖人の解釈に反することになりますからね。

そういえば、親鸞会の人って「絶対他力」って言葉、使いませんねえ。まあ、避けているのでしょう。彼らにとってマズイから。

投稿: dandelion | 2013年2月21日 (木) 19時40分

dandelion 様

仰る通りです。
曇鸞大師の教えられ方と善導大師の教えられ方を融合されたのが親鸞聖人です。
自力を強調する高森会長に「絶対他力」は言えない筈ですが、それが言っていた時期もあるので驚きです。
高森会長には、矛盾という概念はないのでしょう。

投稿: 飛雲 | 2013年2月21日 (木) 20時34分

わりと普通または普通以上に賢明そうな方が沢山親鸞会の会員でおられることに驚きましたが、まだ親鸞会、潰れてなかったんですね。不思議。邪霊たちが守ってるのかな?
わたしが不思議に思ったことは、高森会長が他人(創価学会とかキリスト教とか自分より大きな力を持つ組織)に対してものすごく見苦しい批判を繰り返しおこなっていたことです。仏教とかいう前に、人として精神異常としか思えませんでした。昭和50年頃のことです。一回聞いただけで(10分程度で)もう次は結構と思いました。

投稿: mako | 2014年6月 4日 (水) 13時25分

mako 様

未だに、会員からの異常な搾取を続けることで、何とか延命しているといったところでしょうか。makoさんのような洞察力を持っていれば、私も含めて多くの人が苦しめられることはなかったのでしょうが、我々よりも会長の方が上手だったとしか言い様がありません。。

投稿: 飛雲 | 2014年6月 4日 (水) 18時20分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« その場凌ぎの思いつき適当教義 | トップページ | 次は「本会を非難している者は、親鸞聖人の教えられ方で攻撃してきている」と言うかもしれません »