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2013年1月15日 (火)

一口問答(宿善6)

問い

蓮如上人は『御文章』で「いずれの経釈によるとも、既に宿善に限れりと見えたり」(3帖目第12通)、「弥陀に帰命すというとも、信心獲得すと言うとも、宿善にあらずということなし」(4帖目第1通)、「無宿善の機に至りては力及ばず」(4帖目第8通)、「まことに宿善まかせ」(4帖目第15通)と、信心決定は宿善の有無によって決すると教えられているではないですか。

答え

蓮如上人が仰っている宿善は、過去世の善根の意味ではありません。
たとえば3帖目第12通には、「それ、当流の他力信心のひととほりをすすめんとおもはんには、まづ宿善・無宿善の機を沙汰すべし。さればいかに昔より当門徒にその名をかけたるひとなりとも、無宿善の機は信心をとりがたし。まことに宿善開発の機はおのづから信を決定すべし。されば無宿善の機のまへにおいては、正雑二行の沙汰をするときは、かへりて誹謗のもとゐとなるべきなり。」とあります。親鸞聖人の教えを信じられる人が宿善の有る人で、親鸞聖人の教えを信じられない人は宿善の無い人になります。
要するに蓮如上人が仰っていることは、信心決定は親鸞聖人の教えを信じられるかどうかによって決する、ということです。

(参照)
「難信」と宿善との関係

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コメント

宿善の「善」というのは教えを信じ浄土に往生するという善い因縁を意味するところを、彼らは「善」という字をもって聖道門的な善と取り違えているということですか。
確信犯的に錯誤させようとしているのか、元々知らずに間違いを信じているのかは分かりませんが。

投稿: | 2013年1月17日 (木) 13時23分

名無し 様

以前は半分無知でしたが、今は完全に確信犯です。

投稿: 飛雲 | 2013年1月17日 (木) 21時19分

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