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2012年12月 7日 (金)

真宗教学「0」の高森会長は、善知識ですか?

下品下生の往生と聞いて連想するのが耳四郎です。耳四郎のことは、親鸞会でも聞いたことのある人も多いと思います。
『顕真』平成22年11月号には

しかも宿善厚き頓機は極めて少なく、宿善薄き漸機は圧倒的に多いと説かれている。

 記録に残っているものから窺っても、法然上人のお弟子三百八十余人の中、頓機は親鸞聖人と蓮生房、耳四郎の三人のみ。

とあります。「頓機」「漸機」の意味が違っていますが、それはさておき、耳四郎の人物像については『勅伝』に

河内国に天野の四郎とて、強盗の張本なるものありけり。人をころし財をかすむるを業として世をわたりけるが、としたけて後、上人の化導に帰し、出家して教阿彌陀佛と号しけり。

とあります。五逆罪まで造っていたとは伝えられていませんが、耳四郎は強盗、殺人を平気で犯す人物でした。ある時、法然上人の御法座に紛れて盗みの機会を窺っていたところ、法然上人の御説法を聞いて、それが我が事と思い、潜んでいた縁の下から出てきて、法然上人のお弟子になったと伝えられています。このことをもって高森会長は、法然上人の弟子の中で極めて短期間で救われた人として耳四郎を挙げています。
では、耳四郎は法然上人のお弟子になった後、犯罪を止めたのかといえば、盗みは相変わらず行っていたようです。止めようと努力しても止めることができなかったのです。

つまり、耳四郎は信前信後を通して、盗みという粗い悪さえも止まなかったということです。耳四郎のことを『唯信鈔』でいえば、「宿善すくなきものは今生に悪業をこのみ善根をつくらず」ですし、『口伝鈔』でいえば、「宿悪おもきものは、今生に悪をこのみ善にうとし」です。親鸞会的な宿善論ならば、耳四郎は、信前信後ともに宿善薄いものであって、宿善が厚くなっていないのに、救われたことになります。

高森会長の言う宿善論の破綻は明白ですが、問題は五逆罪の者でも善知識に遇って念仏の教えを聞き信じる者もいれば、善知識に遇うことができない者、また善知識に遇っても念仏の教えを信じようとしない者がいるということです。
ここから、「宿善」という概念が生れたことは前回のエントリーでも御理解いただけたのではないかと思います。

存覚上人は『浄土見聞集』に

この法を信ぜずはこれ無宿善のひとなり。
(中略)
おぼろげの縁にては、たやすくききうべからず。もしききえてよろこぶこころあらば、これ宿善のひとなり。善知識にあひて本願相応のことはりをきくとき、一念もうたがふごころのなきはこれすなはち摂取の心光行者の心中を照護してすてたまはざるゆへなり。
光明は智慧なり。この光明智相より信心を開発したまふゆへに信心は仏智なり。仏智よりすすめられたてまりてくちに名号はとなへらるるなり。

と教えられ、これを承けられて蓮如上人が『御文章』2帖目第11通

これによりて五重の義をたてたり。
一つには宿善、二つには善知識、三つには光明、四つには信心、五つには名号。この五重の義、成就せずは往生はかなふべからずとみえたり。

と教えられたのも、「善知識」にあって念仏の教えつまり18願を聞かなければ救われることはありませんので、一番最初に「宿善」を出されて、次に「善知識」なのです。「善知識」の後に「宿善」ではないことが重要です。「善知識」と18願の教えに遇う条件が「宿善」なのです。
前回も述べたように、どんな因縁かはわかりませんが、「宿善」のあった人は、「善知識」に遇って18願を聞き願い求めるのですから、「善知識」に遇った後に「宿善」をどうこうするという問題ではないのです。

真宗教学「」の高森会長のために、「1からわかる浄土真宗講座」の「」の部分である下品下生の往生から説明してきました。しかし、大沼師の著書さえ読み間違う教養では、到底理解できない内容かもしれません。

ただ1つ言えることは、ここまで馬鹿にされても、何一つ言い返すことのできないのが、浄土真宗親鸞会の会長たる高森顕徹という人物だということです。

さて、真宗教学「」の高森会長を「善知識」とか思っている人は、残念ながら「宿善」のない人かもしれません。

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コメント

親鸞会の活動自体、宿悪重き者でなければついていけない活動だと思います。
宿善のある人は早晩会を離れることになるでしょう。

投稿: | 2012年12月 7日 (金) 22時54分

なるほど。五重の義の順番からの宿善の説明、わかりやすいです。有り難うございます。

投稿: 黒猫 | 2012年12月 8日 (土) 02時45分

名無し 様

信心決定したい、親鸞聖人の教えに従いたい、と思っている真面目な人は、教義に疑問をもって、辞めるはずです。


黒猫 様

高森邪義を離れれば、素直に理解できると思います。

投稿: 飛雲 | 2012年12月 8日 (土) 12時44分

確かに親鸞聖人の教えなどどうでもよくて高森会長を中心としたカルトをとことんやりたい集団が親鸞会ですね。

投稿: | 2012年12月 8日 (土) 20時28分

後の名無し 様

全くその通りだと思います。

投稿: 飛雲 | 2012年12月10日 (月) 20時18分

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