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2012年12月13日 (木)

高森会長の知らない本物の他力の信心

高森会長が専売特許としている信心ですが、その信心の説明としてよく利用されるのが二種深信です。二種深信を、

「地獄行き間違いなし」と「極楽参り間違いなし」と絶対に矛盾することがはっきり知らされる

という摩訶不思議なものとして、それを絶対の幸福と称しています。高森会長の話を聞かなければ、この信心は頂けない、と会員を騙し続けていますが、高森会長の話を八万劫年聞き続けても、絶対にそんな信心は頂けません。第一、高森会長自身がその信心を体得していません。

無教学の高森会長と親鸞会は、二種深信といえば、『散善義』にあるお言葉しか知らないのですが、善導大師は『往生礼讃』でも、教えておられます。

二には深心。すなはちこれ真実の信心なり。
自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知し、
いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声・一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得と信知して、すなはち一念に至るまで疑心あることなし。
ゆゑに深心と名づく。

(現代語訳)

二つには深心。 すなわちこれは真実の信心である。
わが身は、 あらゆる煩悩を具えている凡夫であり、 善根は少なく、 三界にさまよって迷いの境界を出ることができないと信知し、
いま弥陀の本願は、 名号を称えること、 わずか十声・一声などの者に至るまで、 まちがいなく往生を得させてくださると信知して、 一声の称名に至るまで疑いの心がないから深心と名づける。

高森会長の言う摩訶不思議な信心

「地獄行き間違いなし」と「極楽参り間違いなし」と絶対に矛盾することがはっきり知らされる

とは、明らかに異なります。『往生礼讃』の二種深信を簡単に言えば、

私は三界を出ることのできる善ができず、そんな者を念仏1つで極楽に往生させてくだされると疑い無く信じる

ということです。理屈の上でも矛盾がありません。

親鸞聖人はこの二種深信を『教行信証』信巻でも説明されているのですが、直接『往生礼讃』から引用されずに、『往生礼讃』を引用した『集諸経礼懺儀』にある二種深信を引用されています。『往生礼讃』と『集諸経礼懺儀』とでは少し違います。法の深信の

下至十声一声等

下至十声聞等

となっています。親鸞聖人は「」を入れられるために、敢えて『集諸経礼懺儀』にある二種深信を引用されたと考えられています。親鸞聖人の御心は、自力信心と他力信心とを峻別された、つまり、念仏1つといっても、名号を称える行に拘る自力と名号を聞く他力の違いがあるということを明らかに示されたかったということではないでしょうか。

もちろん、真宗学の1も知らない高森会長には本物の他力の信心は、レベルが高すぎてチンプンカンプンな内容だとは思いますが、少なくとも高森会長が専売特許としている信心と、親鸞聖人が明らかになされた他力の信心とは、大きく異なることくらいは理解してほしいものです。

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コメント

歎異鈔をひらくというか滅却するつもりなのか、知りすぎた知らんとかいっとるそうです。
とうとう親鸞さまを釈尊より上にして自分がその第一人者であるかのように振る舞って求道の道を誤らせたいようです。
まるでアニメ親鸞会のなかの本尊でひとを騙そうとして逃げた教祖のようです。
善悪知りすぎたのなら豊田商事くらい世の中に何十億円と返すはずなのに、相変わらず迷わせる話をして宝石をばらまいているとまたまた人々を聖典と違うように道を誤らせているのかな。

華光会にもごめんなさいしないし、本願寺にもごめんなさいしないし、忘恩もいいところですね。

一千万円の誓約書で講師部員を縛りたいのも金カネ金カネ。

病院の負債額の背負わせられるのも天井知らずの誓約書。

人が救われるためには職員の命はカネで換算されるのですね。

不可思議尊を帰命せよ。
これも誤訳させたかったのでしょうね。
なにが救われたぞー、の叫びだよ。
個人的解釈で我ばかり。
自分以外にいくことを奇妙に嫌なようですね。

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏

投稿: くたばれ高森会 | 2012年12月13日 (木) 22時58分

くたばれ高森会 様

HNに、お気持ちがよく表われています。

投稿: 飛雲 | 2012年12月16日 (日) 21時33分

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