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2012年11月19日 (月)

今回は余談です

講師部員が立場を偽装して、本願寺僧侶、退会者としてブログを書いています。親鸞会の講師部員としては、ブログを書けない訳があるのです。法論に負けると、大変なことになるからです。法論に勝てるとは思っていないのです。実際、いつも惨敗です。
ところで、立場の違うこの”2人”の主張と根拠及び引用論文は、なぜか一致しています。偽装したいのならば、もっと上手くすればいいものを、書くネタが限られているのに無理に書くからボロがでるのです。その”2人”がよく引用する書について、コメントを頂きましたので、紹介しておきます。

M野クンの大好きな『相伝叢書』なる書物の来歴は何なのか?が長らく疑問でしたが、
龍谷大学学術機関リポジトリで藤田真証師の論文を読んで詳細がわかりました。
http://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/handle/10519/1555
http://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/1555/4/dk_136_abstract.pdf

蓮師以降、本願寺の歴代門主ならびに格式ある五箇寺に相伝された教学であるが、江戸時代に本派、ついで大派でも途絶えた、とされているそうです。
近年になって大派の学者さんが発掘し出版されて、大派の一部で注目を受けているようですが、
この論文で藤田師は「相伝教学の系譜に信憑性が認められない」と結論付けています。

藤田師の言われる通り、存師の六要鈔における本典解釈を「附仏法の外道」とまで批判している書物が蓮師の手によるはずがないですよね。
室町~江戸時代初期に歴代の門主や一部の僧侶に相伝された、なんらかの教学があったとしても、「相伝叢書」の書物自体は17世紀の僧侶らによる著述だと見做すのが妥当のようです。
六要鈔を持ち出したかと思えば、六要鈔を否定する立場の書物を「これぞ伝統的な真宗の教義解釈のオーソドックスである」と強弁したり、M野くんも忙しいですね。会長並の二転三転ぶりです。

読まれた通りです。

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コメント

まったくの余談かつ想像ですが、16、7世紀あたりの時代は勢力のわりに本願寺教団の権威が未確立だった時代で、それまでは長い間東国門徒系の高田派の流れに連なる教団が主流だったわけですから、その意味で当時の僧侶が口伝相承を重視し、なおかつ口伝という意味では途切れがあるようにも見える存覚上人の権威を否定しておく必要があったのかもしれませんね。存覚上人といえば大谷廟所の寺院化に否定的な東国門徒に支持されていたため覚如上人と布教路線をめぐる対立がありその果てに二度の義絶があったというように、明白に東国門徒の系譜にある人ですから。もちろん蓮如上人はそういうこととは関係なく存覚上人を尊敬なさっていたわけで、存覚教学なしに蓮師の教学は考えられないわけですが。とまれ、存覚上人のことや真宗の相承の問題は一筋縄では行かないところがあります。

それにつけても思うのは、親鸞会の人たちというのは他人の立場を理解しようとしない人たちだと思ってはいましたけれども、本当に存覚上人のこととか本願寺教団の正統性とかいうことをどういうふうに思っているんでしょうね。本願寺教団を口を極めて攻撃しているかと思えば、いわゆる本願寺史観を当の本願寺教団の人たち以上にナイーブに前提していたり、矛盾が多すぎますね。まあ、筋を通すという作法そのものを知らないのかもしれませんが。。

投稿: dandelion | 2012年11月20日 (火) 00時29分

親鸞会の本願寺の印象付けは高森以前か高森以降かなんかな
書物選定もそんな気がする
信楽教授の論文を用いようとしてたきもするけど所詮論破に利用するだけだろう

特攻隊も戦争協力なのに本願寺は非難しても高森に非難なし
戦争反対や神儀不拝で逮捕されたお坊さんや奔走されたお坊さん方をなんとも思わないのでしょうね
伊藤康善先生のご苦労は高森には豚に真珠だったのね

投稿: ずんぐりむっくりいがぐりあたま | 2012年11月20日 (火) 10時00分

dandelion 様
ずんぐりむっくりいがぐりあたま 様

高森会長は、私利私欲を満たすことしか考えていませんから、利用できるものは何でも利用して、その場凌ぎの適当教義になり、矛盾ばかり噴出しているのが現状でしょう。

投稿: 飛雲 | 2012年11月23日 (金) 22時07分

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