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2012年11月29日 (木)

高森会長のための「1からわかる浄土真宗講座」

最近の親鸞会主催文化講座のチラシには、「1からわかる浄土真宗講座」とありますが、もの凄いギャグです。
浄土真宗の教えの1も判っていないのに、ハッタリだけは一流です。

講師:高森顕徹先生

講座の内容

  • 人生の目的
  • 苦しみの根源
  • 運命の鍵
  • 命の意味
  • 『歎異抄』の解説
  • 『正信偈』のお言葉
  • 見捨てられない幸福
  • 本当の私  など

とありますが、高森会長の『歎異抄をひらく』とかいう駄本を見れば、『歎異抄』の正しい解説などできるはずもないことは、真宗関係者なら容易に判るでしょう。

さて、『歎異抄をひらく』の宣伝広告として、悪人正機を取り上げていますが、この悪人正機も根本的に間違っています。

全人類は悪人しかいない

という妄想で論理展開するから、すべてが狂ってくるのです。

悪人正機とは、善人傍機のことです。『歎異抄』だけしか読んだことがない無教学の高森会長と会員が知らないのも無理はありませんが、『口伝鈔』には次のようにあります。

一 如来の本願は、もと凡夫のためにして聖人のためにあらざる事。

 本願寺の聖人(親鸞)、黒谷の先徳(源空)より御相承とて、如信上人、仰せられていはく、「世のひとつねにおもへらく、悪人なほもつて往生す、いはんや善人をやと。この事とほくは弥陀の本願にそむき、ちかくは釈尊出世の金言に違せり。そのゆゑは五劫思惟の苦労、六度万行の堪忍、しかしながら凡夫出要のためなり、まつたく聖人のためにあらず。しかれば凡夫、本願に乗じて報土に往生すべき正機なり。凡夫もし往生かたかるべくは、願虚設なるべし、力徒然なるべし。しかるに願力あひ加して、十方衆生のために大饒益を成ず。これによりて正覚をとなへていまに十劫なり。これを証する恒沙諸仏の証誠、あに無虚妄の説にあらずや。しかれば御釈にも、〈一切善悪凡夫得生者〉と等のたまへり。これも悪凡夫を本として、善凡夫をかたはらにかねたり。かるがゆゑに傍機たる善凡夫、なほ往生せば、もつぱら正機たる悪凡夫、いかでか往生せざらん。しかれば善人なほもつて往生す、いかにいはんや悪人をやといふべし」と仰せごとありき。

18願を悪人正機と言われるのは、悪凡夫が正機で善凡夫が傍機、という意味です。全人類が悪人ということではなく、全人類の中で悪人を正機とし、全人類の中で善人を傍機とするということです。当然ながら、善人がいて、悪人がいるのです。

前回のエントリーで述べた下品下生、前々回の「極重悪人唯称仏」を正しく理解していれば、何も難しいことでありません。
善人には「他の方便」である諸善がありますが、悪人には「他の方便なし」で最初から最後まで念仏しかないのです。
従って、「他の方便」のある善人は、「他の方便なし」の悪人よりも救いが結果的に遠回りになりがちです。親鸞聖人は『教行信証』信巻で「迂回の善なり」と仰っていることからも判ります。
それを『歎異抄』では

善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや

と言われているのです。

一方で、阿弥陀仏のお力から言えば、極重の悪人の臨終でさえ救うことができるのですから、軽度の悪人や善人で、しかも平生なら尚更救うことができます。これが平生業成ということです。

最近述べていることは、高森会長のための「1からわかる浄土真宗講座」です。浄土真宗の教えは、下品下生、「極重悪人唯称仏」の理解からです。これさえ間違って布教しているから、親鸞会は浄土真宗とは無関係の高森教と揶揄されるのです。

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コメント

親鸞会の救いは念仏ではなく宿善を積んで三願転入で信心を貰って信楽の身になり絶対の幸福になる、というのが高森教義のようですが、それならあとどのくらいで転入するのか予定が組めるのではないのかと思います。忙しい世の中だし命もお金も有限なので親鸞会行をするに当たって費用対効果をキッチリ出さないと人生台無しになりかねないと思います。会員や講師部員は一体どういう了見なのでしょうか。それとも宗教やっているという姿勢だけでその実は金持ちの道楽か暇人の集団なのでしょうか。何度も生まれ変われば別に今生の求道で悟りも信心も得られなくてもOKという人達が多いのでしょうか。全人類悪人だからやっぱり悪人は今生の仏教はどうでもいい人たちなのかな。絶対の幸福なので地獄と極楽に同時に逝く教義のようだからどうでもいいのかな。

2ちゃんねるが工作員に荒らされて久しいようですが、やや日刊カルト新聞を読むと、幸福の科学は便所の落書きと言ってやや日刊カルト新聞を荒らしている模様です。しかも人を救うはずの宗教が人を起訴して金銭的賠償まで求めたりしているようです。救いではなくて地獄を与えているようです。

どうしてあんなにも他宗教団体をコケにしたり他人を貶めたりして平気なんでしょう。なんであんなにも他人の気持ちや都合を無視して踏みにじって争いを好むのでしょう。

あんな時間やお金があるなら私にもくれたっていいのになあと思います。

投稿: 争いばかり | 2012年12月 1日 (土) 09時49分

前回のエントリーにあった「善をしたくないだけだろう」という罵りはとても可笑しいですね。
自分たちが善人だという前提から出てくる言葉ですから。
盛んに喧伝している「罪悪観」と完全に矛盾しています。
親鸞会員は「善」をすればするほどウヌボレが増長して「罪悪観」どころではないのですよね。

そしてもう一つ、善人・悪人の問題を親鸞会員が理解できない原因の一つは「上の心」「下の心」という二重構造を想定することにあると思います。飛雲さんどう思われますか?

投稿: | 2012年12月 1日 (土) 14時26分

争いばかり 様

なぜあんな言動するのか、答えはカルトだからです。
他人の都合などお構いなしですから、カルトなのです。


名無し 様

二重構造と言えば、簡単な話を複雑にすることで誤魔化しやすくなりますが、実態は思考停止をさせているだけだと思います。

上の心で、極重の悪人であると判っている(このように騙されているだけ)が、
下の心では、善ができると自惚れている(このように騙されているだけ)。

少しでも真宗の教義を学べば、こんな理論は全く成り立たないことが判る筈です。

投稿: 飛雲 | 2012年12月 1日 (土) 19時45分

親鸞会では世俗の幸せを捨てて見捨てられない幸福になると受け止められる
節がありますが、飛雲さんはどう思われますか?

投稿: 元末端会員 | 2012年12月 3日 (月) 09時23分

元末端会員 様

『持名鈔』に

世をもそむかず名利にもまつはれながら、めでたき無上の仏法をききて、なが く輪廻の故郷をはなれんことは、ひとへにはからざるさいはひなり。

とありますように、世俗の幸せを求めながら、出離させて頂くのが、阿弥陀仏の救いですから、親鸞会の言っていることは聖道門の考え方です。

投稿: 飛雲 | 2012年12月 4日 (火) 09時29分

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