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2012年11月16日 (金)

一口問答(19願・定散二善)の追加

物判りの悪い高森会長、講師部員、幹部会員のために、「ひと口問答」への反論を、一応追加しておきます。

問い

蓮如上人は『御文章』で「一心一向といふは、阿弥陀仏において、二仏をならべざるこころなり。」(2帖目第9通)と教えられていますから、真宗における「一向専念無量寿仏」とは、阿弥陀仏以外の仏や菩薩や神に向かないことです。善を捨てよということではありません。

答え

蓮如上人はこの後に「なにの不足ありてか、諸行諸善にこころをとどむべきや。」と仰っています。親鸞聖人は「一向は余の善にうつらず」(一念多念証文)と仰っています。存覚上人も「諸行をまじふべからずとみえたり。」(持名鈔)と仰り、真宗においても「諸行を廃してただ念仏を用ゐるがゆゑに一向といふ。」(選択本願念仏集)の法然上人の仰せがそのまま継承されています。
要するに、「一向専念無量寿仏」とは善を捨てよ、ということで、高森会長の言う善の勧めを否定された根拠ですよ。

問い

念仏1つで助かるというのは間違いで、信心1つで助かる、と教えられたのが親鸞聖人です。

答え

親鸞聖人は「専修は本願のみなをふたごころなくもつぱら修するなり。修はこころの定まらぬをつくろひなほし、おこなふなり。専はもつぱらといふ、一といふなり、もつぱらといふは、余善・他仏にうつるこころなきをいふなり。」(一念多念証文)と仰っています。信心とは専修念仏の心、善と他の仏に心を掛けないことをいいます。
つまり、信心1つとは、念仏1つで助かると信じた心1つということです。
したがって、念仏1つで助かるというのは間違いだ、と言っている人は、親鸞聖人と信心(念仏1つで助かると信じた心)が異なるということですね。

(参照)
高森会長のために「一向専念無量寿仏」の意味を教えてあげます

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コメント

一向専念、無量寿仏ではなく、一向、専念無量寿仏であってそこを取り違えているということでしょうかね

投稿: | 2012年11月16日 (金) 22時25分

名無し 様

「一向」について、法然上人、親鸞聖人、蓮如上人は特に強調されているということで、「一向」も「専念」も同じ意味です。

投稿: 飛雲 | 2012年11月18日 (日) 09時11分

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