高森会長のための「1からわかる浄土真宗講座」
最近の親鸞会主催文化講座のチラシには、「1からわかる浄土真宗講座」とありますが、もの凄いギャグです。
浄土真宗の教えの1も判っていないのに、ハッタリだけは一流です。
講師:高森顕徹先生
講座の内容
- 人生の目的
- 苦しみの根源
- 運命の鍵
- 命の意味
- 『歎異抄』の解説
- 『正信偈』のお言葉
- 見捨てられない幸福
- 本当の私 など
とありますが、高森会長の『歎異抄をひらく』とかいう駄本を見れば、『歎異抄』の正しい解説などできるはずもないことは、真宗関係者なら容易に判るでしょう。
さて、『歎異抄をひらく』の宣伝広告として、悪人正機を取り上げていますが、この悪人正機も根本的に間違っています。
全人類は悪人しかいない
という妄想で論理展開するから、すべてが狂ってくるのです。
悪人正機とは、善人傍機のことです。『歎異抄』だけしか読んだことがない無教学の高森会長と会員が知らないのも無理はありませんが、『口伝鈔』には次のようにあります。
一 如来の本願は、もと凡夫のためにして聖人のためにあらざる事。
本願寺の聖人(親鸞)、黒谷の先徳(源空)より御相承とて、如信上人、仰せられていはく、「世のひとつねにおもへらく、悪人なほもつて往生す、いはんや善人をやと。この事とほくは弥陀の本願にそむき、ちかくは釈尊出世の金言に違せり。そのゆゑは五劫思惟の苦労、六度万行の堪忍、しかしながら凡夫出要のためなり、まつたく聖人のためにあらず。しかれば凡夫、本願に乗じて報土に往生すべき正機なり。凡夫もし往生かたかるべくは、願虚設なるべし、力徒然なるべし。しかるに願力あひ加して、十方衆生のために大饒益を成ず。これによりて正覚をとなへていまに十劫なり。これを証する恒沙諸仏の証誠、あに無虚妄の説にあらずや。しかれば御釈にも、〈一切善悪凡夫得生者〉と等のたまへり。これも悪凡夫を本として、善凡夫をかたはらにかねたり。かるがゆゑに傍機たる善凡夫、なほ往生せば、もつぱら正機たる悪凡夫、いかでか往生せざらん。しかれば善人なほもつて往生す、いかにいはんや悪人をやといふべし」と仰せごとありき。
18願を悪人正機と言われるのは、悪凡夫が正機で善凡夫が傍機、という意味です。全人類が悪人ということではなく、全人類の中で悪人を正機とし、全人類の中で善人を傍機とするということです。当然ながら、善人がいて、悪人がいるのです。
前回のエントリーで述べた下品下生、前々回の「極重悪人唯称仏」を正しく理解していれば、何も難しいことでありません。
善人には「他の方便」である諸善がありますが、悪人には「他の方便なし」で最初から最後まで念仏しかないのです。
従って、「他の方便」のある善人は、「他の方便なし」の悪人よりも救いが結果的に遠回りになりがちです。親鸞聖人は『教行信証』信巻で「迂回の善なり」と仰っていることからも判ります。
それを『歎異抄』では
善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや
と言われているのです。
一方で、阿弥陀仏のお力から言えば、極重の悪人の臨終でさえ救うことができるのですから、軽度の悪人や善人で、しかも平生なら尚更救うことができます。これが平生業成ということです。
最近述べていることは、高森会長のための「1からわかる浄土真宗講座」です。浄土真宗の教えは、下品下生、「極重悪人唯称仏」の理解からです。これさえ間違って布教しているから、親鸞会は浄土真宗とは無関係の高森教と揶揄されるのです。
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