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2012年10月19日 (金)

嘘をつき通さねばならない哀れな高森会長と講師部員

親鸞会では、法論を申し込まれればどんな条件でも受けると公約していて、最近はそれを会員に無理やり宣伝しています。必死さが伝わって哀れみを感じます。ここまであからさまな嘘を付かなければならない程、もがき苦しんでいるようです。

過去に何人かの退会者が親鸞会に法論を申し込みました。しかし、悉く無視されています。私もその一人です。

その時のことは

書面で法論を申し込んだら、”検討する”だそうです

で書きました。もちろん未だに何の連絡もありませんが、密かに顕真にて「ひと口問答」が連載されて、内輪向けに反論していることになっています。現在は10項目中の5番目までです。

その内容は以下の通りです。

飛雲

1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間

顕真5月号

問い

弥陀に救われずに死ぬ人は、六道輪廻するか、または十九願・二十願の行者は化土へ往生すると親鸞聖人は教えられているのに、地獄に堕ちるというのは間違いだと言う人がありますが、如何でしょうか。

答え

 蓮如上人は「信心決定せずは、報土往生すべからず」(『御文章』三帖目八通)と、報土に対する化土ですから、十九・二十願の行者の化土往生も排除されてはいません。 また、六道の中には無間地獄もありますから「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして無間地獄に堕在すべきものなり」とも『御文章』(二帖目二通)にあります。

飛雲

2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

顕真6月号

問い

五逆罪や法謗罪は、造っている人と 造っていない人とがいると親鸞聖人は説かれているのに、全ての人が造っている罪であるいうのは間違いだと言う人がありますが、如何でしょうか。

答え

一切の群生海、無始より已来、乃至今日・今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心無く、虚仮諂偽にして真実の心無し」と『教行信証』に親鸞聖人は説かれています。「一切の群生海」とは、全ての人のことです。「清浄の心無く、真実の心無し」とは、五逆・法謗の者ということです。親鸞聖人は至る所に説かれていることで、決して珍しい事ではありません。

顕真9月号

問い

浄土真宗では、すべての人を「煩悩具足の凡夫」とか「罪悪生死の凡夫」と言われますが、
この「煩悩具足」や「罪悪生死」の中に、五逆罪や法謗罪は入らないと言う人と、入るという人とがありますが、いかがでしょうか。

答え

五逆罪も法謗罪も弥陀の本願の正機ですから、もちろんすべての人は逆謗の機です。
それを、『正信偈』には「極重悪人」と教え、『歎異抄』には「罪悪深重・煩悩熾盛の衆生を助けんがための願」と言い、
他力信心を獲得すれば万人等しく二つのことが知らされる『二種深信』の機の深信には、「自身は、現にこれ罪悪生死の凡夫(逆謗)~乃至~と深信す」と、
弥陀の救いに値えば明らかに知らされることであると説かれています。

飛雲

3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

顕真7月号

問い

親鸞聖人は善人と悪人がいると仰っているのに、すべての人は悪人というのは間違いだと言う人がありますが、如何でしょうか。

答え

一切の群生海、無始より已来、乃至今日・今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心無く、虚仮諂偽にして真実の心無し」と『教行信証』に断言されています。「一切の群生海」とは、すべての人のことです。「清浄の心無く、真実の心無し」とは、悪人ということです。 善人は一人もいないと仰っています。 これは親鸞聖人の一貫して変わらぬ人間観で、世に轟いていることです。

飛雲

4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

顕真8月号

問い

親鸞聖人は 念仏一つで助かる。獲信には善は不要 と仰っているのに、 善をしなければ獲信できない というのは間違いだという人がありますが、如何でしょうか。

答え

親鸞聖人は信心一つで助かると言われています。獲信には善は「間に合わぬから捨てよ」とは徹底して教えられていますが、どこにも「不要」とは教えられていません。「捨てよ」と「不要」との違いは、「ハケ」と「ハゲ」の読み違いどころではありません。毛の有るのと無いのとは、全く逆で大違いだからです。注意しなければなりません。

飛雲

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

顕真10月号

問い

白道とは自力の心に非ず」と教えられているのに、白道を自力の心というのは間違いだ、という人がありますが、如何でしょうか。

答え

白道とは、善導大師の「二河譬」に出る言葉です。
その中で、「火焔に道を焼く」と我々の善心、聞法心を白道に喩えられ、自力の善心、求道心の微弱でお粗末なことを「極めてこれ狭少なり」と仰っています。
善導大師の「二河譬」の前段に説かれる白道とは、明らかに自力の聞法心、願往生心を喩えられたものです。
前段なしの後段はあり得ず、あとは自他力廃立あるのみです。
親鸞聖人は、この善導大師を大心海化現の方と言い、「善導独明仏正意」と讃仰されています。

以上を見て頂いてお判りかと思いますが、親鸞聖人が仰ったこととして私が書いたことを直接否定していません。つまり、親鸞聖人がこのように仰っていることを初めて認めた訳です。これまで、親鸞聖人がそのようなことを仰っていたとは、言ったことがありませんでした。というよりも、知らなかった、というのが正しいと思いますが。

従いまして、親鸞聖人が高森会長の言っていることを否定されたお言葉があることは、認めざるを得なかったのですから、進歩といえます。ただし、その否定しようのない親鸞聖人のお言葉を、高森会長の独自の解釈を持って否定しようとしているのですから、無理な話です。それが判っていながら嘘を付き通さねばならない高森会長と講師部員は本当に哀れです。その嘘に騙されて、献金を強要されて疲弊している会員はもっと哀れです。

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コメント

今なお会員を続ける方々へ。苦しみ悩み続ける人をカモにしてお布施として巻き上げる、「本当の親鸞聖人の教えをお伝えする」と言いながら文証で反論できない、大沼・伊藤氏の劣化コピーでしかない親鸞会。社会の害でしかない親鸞会、内輪に逃げずに反論をお願いしたい。

投稿: | 2012年10月20日 (土) 18時06分

あの"公約"は、なし崩し的に葬られるものと思っていましたが、親鸞会も意外な出方をしてきましたね。外部から法論の申し込みがあることを会員には一切知らせないつもりなのかもしれませんが、そんなことが可能なのでしょうか。

投稿: | 2012年10月21日 (日) 01時04分

親鸞会も誤魔化しに必死なのでしょう。
本願寺の僧侶を偽装したり、退会者を偽装したりして教義批判に反論するも、全く歯が立たず、退会者続出に歯止めがかからずにいるのですから、親鸞会のできることと言えばこの程度でしょう。

投稿: 飛雲 | 2012年10月21日 (日) 06時54分

話は変わって申し訳ないですが、吉行淳之介氏の「赤と紫」にこういう下りがあります。『女同士の間では、日常いたるところで決闘が行われている。決闘という話が大袈裟とおもうかもしれぬが、たとえば盛装した二人の女がすれ違うとする。見ず知らずの二人であるが、すれ違った』『一瞬のあいだの視線によって相手の頭から爪先までの値踏みをし、自分の服装と比較検討し、勝負をきめようとする。それは決闘と言っても大袈裟ではない』これが、白道燃ゆでは、『女同士の間では、常に決闘が行われているようである。決闘というと少し大袈裟のようであるが、たとえば、盛装した二人の女が、道ですれ違う時の目をみるがよい。見ず知らずの二人であるが、すれ違った一瞬の間に、相手の頭の先から爪先までの値踏みをし、自分の服装と比較検討し、勝負をきめようとする』まだ、会員の方はパクっておきながら、得意然としている人物を「正しく」見たほうが良くないですか。

投稿: | 2012年10月21日 (日) 16時35分

パクりの威力の凄さには圧倒されますね。
よっぽどのつわものでもコロッと騙されて嵌められてしまう。

投稿: | 2012年10月21日 (日) 19時02分

吉行淳之介氏からもパクッていたとは知りませんでした。
パクリとパクリ損ないと、深い欲望で成り立っているのが、高森邪義です。

投稿: 飛雲 | 2012年10月21日 (日) 20時51分

親鸞会にとって退会者のブログなど誹謗以外の何ものでもないのかも知れませんが、親鸞聖人ご自身も助からない教えに悩まれ山を下りられました。高森教は、聖人の教えと程遠い「珍しい教え」です。現会員の皆さんは、省みる機会を持たれては如何でしょうか。会に残るのと山を下りるのと、どちらが聖人が選ばれるのか。聖人は、山を下りられました。今思えば、会員の方それぞれは個人的に良い方ばかりで懐かしく、その方々が苦しむ教えから離れられないことに本当に心痛みます。このプログ私怨だけでは書けませんし、更新を続けられないでしょう。私も30年近く会にいましたが、退会しました。急ぐことはありませんが、心残りは始末していきましょう。飛雲さんには心より
感謝しています。

投稿: | 2012年10月22日 (月) 00時32分

吉行淳之介氏の「赤と紫」
覚えておきます。
知らせてくださった方ありがとう。

嘘つきは泥棒の始まり。

仏教のためにと言って、嘘をついたり盗作したりしては本末転倒。

投稿: 廃棄物 | 2012年10月22日 (月) 11時01分

高森会長の教えることが、親鸞聖人の本心だ、というような秘事法門を本気で信じているのが、会員です。親鸞聖人の教えと違っていようが関係なく高森会長を信じる会員は、どうぞそのまま残ってください、という気持ちですが、親鸞聖人を信じ、浄土真宗の教えを信じている会員はなんとか退会させたいです。

投稿: 飛雲 | 2012年10月23日 (火) 07時07分

吉行淳之介氏の情報ありがとうございます。
Amazonで発注して本日届きました。
204ページから205ページに該当文章があります。
ところで、この作品は1974年初版で「白道燃ゆ」と同じ年でした。
もっと詳しく調べてみたら、この作品は地方新聞に1963年に連載小説として連載されています。
中国新聞や北国新聞に連載されていました。
その小説を翌年に「女の決闘」という題で桃源社から単行本で出版されています。
1974年に角川文庫から元の題に戻して出版されたみたいです。
Amazonでは「赤と紫」は私が発注した翌日に2万円になっています。(私は500円でした)
「女の決闘」は千円以下で、まだ数冊あります。
「女の決闘」では143ページです。

投稿: 淀川コナン | 2012年10月26日 (金) 19時29分

淀川コナン 様

情報有難うございます。
命がけの著作の正体がよくわかりますね。

投稿: 飛雲 | 2012年10月26日 (金) 20時23分

二万円!高すぎる。
命懸けの盗作のための盗作元抹殺か!?

詐欺師は過去や正体を暴かれるような論理性ある話題を嫌いますね。60年代や50年代が盗作の中心かもしれませんね。

あやつは自分の使っているのは否定しよらんが講師部員は愚民化政策の犠牲になっていることに気づいているのかな。

自分の話を聞かせるため、自分の話に魅力を感じさせるため、我のためを覆い隠せばパチもんの出来上がり。自分の組織を作ったのもなんかありそう。

占いとか宗教に多そうです。上っ面で人を引き付けようとしても論外なんでしょう。

方便、方という字、便という字、どういう意味か、大切ですね。

親鸞会に方便無し。
親鸞会は真実ではない。

高森顕徹は悪痴識だ!

投稿: もぐら叩き | 2012年10月29日 (月) 10時15分

もぐら叩き様

御尤もです。

投稿: 飛雲 | 2012年10月31日 (水) 07時03分

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